現在、シングルスランキングのトップ100に4人、ダブルスのトップ50に5人の選手が名を連ねる日本女子テニス。その計8人(日比野菜緒は両方にランクイン)のうち、実に5人までもが1994年生まれの選手たちである。 彼女たちは、日本女子テニ…

 現在、シングルスランキングのトップ100に4人、ダブルスのトップ50に5人の選手が名を連ねる日本女子テニス。その計8人(日比野菜緒は両方にランクイン)のうち、実に5人までもが1994年生まれの選手たちである。

 彼女たちは、日本女子テニス界ではジュニア時代から「94年組」と呼ばれ、将来を嘱望されてきた同期の桜だ。先の東レパンパシフィックオープンでも、日比野をのぞく4選手が単複の本戦に出場した。そのせっかくの機会にと、実現した今回の座談会。後編では、シングルスのみならずダブルスでも活躍する彼女たちのルーツに迫った。

「女子テニス94年組座談会・前編」はこちら>>>

【対談参加者】
穂積絵莉(ほづみ・えり)
1994年2月17日生まれ。神奈川県出身。2013年全日本選手権優勝。ダブルスでは2016年に加藤未唯と組みカトヴィツェ大会を制してツアー初優勝。2017年の全豪オープンでも加藤と組んでベスト4に入り、シングルスでは予選を突破して本戦出場を果たした。

尾崎里紗(おざき・りさ)
1994年4月10日生まれ。兵庫県出身。2016年にWTAツアー江西大会でベスト4となり、同年末にトップ100入り。今季はグランドスラムやツアーを主戦場とし、3月のマイアミ大会は予選から勝ち上がり4回戦進出。8月の全米オープンではグランドスラム初勝利をあげる。

二宮真琴(にのみや・まこと)
1994年5月28日生まれ。広島県出身。2011年のトヨタ75,000ドル大会を同期の澤柳璃子と組んだ「17歳ペア」で制するなど、早くからダブルスで頭角を現す。2016年に青山修子と組んでジャパンウィメンズオープン優勝。2017年はレナタ・ボラコバ(チェコ)と組んでウインブルドンベスト4。

加藤未唯(かとう・みゆ)
1994年11月21日生まれ。京都府出身。ダブルスでは2016年に穂積と組み、カトヴィツェ大会を制してツアー初優勝。2017年は同じく穂積と組んで全豪ベスト4入り、シングルスでも全仏本戦出場。ジャパンウィメンズオープンでは予選から勝ち上がって準優勝と飛躍の年を迎える。



左下から時計回りに、加藤未唯、二宮真琴、小和瀬望帆、尾崎里紗、穂積絵莉、日比野菜緒

── 皆さんは小学生時代からお互いに対戦経験もありますが、その当時と今とを重ねて、「あの子が今はこんなに強いの?」と意外に思う選手はいますか?

穂積絵莉(以下:穂積) そうですね……一番変わったのは(日比野)菜緒(※1)じゃない?

※1=日比野菜緒(ひびの・なお)。1994年11月28日生まれ。愛知県出身。2015年にタシュケントオープンを制し、ツアー本戦出場2大会目にして優勝の快挙を成し遂げる。その後も2016年タシュケントオープン準優勝、2017年にはマレーシアオープンと江西オープンで準優勝、ダブルスでもモントレイオープン優勝と活躍。シングルス最高56位の94年組出世頭。

一同 あ~。

穂積 菜緒はナショナルの強化メンバーでもなかったし、ジュニアのころはそんなに強いイメージではなかったかな。オーストラリアに行ってたから、日本の大会にあまり出てなかったというのもあるけど……。あっ、でも1回、全中(全日本中学選手権)で準優勝してたか! 決勝で望帆(※2)に負けたんだよね。

※2=小和瀬望帆(こわせ・みほ)。1995年1月18日生まれ。千葉県出身。高校卒業後は米国オハイオ州立大学に進学してNCAAで活躍。今年5月、NCAA選手権ダブルスを制して全米チャンピオンになる。

二宮真琴(以下:二宮) うん、私は準決勝で菜緒ちゃんに負けた。

加藤未唯(以下:加藤) 私は準々決勝で(二宮)真琴に負けた。

穂積 最後(中学3年生)の年だよね。私なんて出てすらないけれど(笑)。でもやっぱり、菜緒が一番ギャップあるよね。他は……変わんないね、みんな。逆に強かったのにプロにならなかったのは、望帆くらいじゃないかな。

── 2011年の全豪ジュニアには日本人女子が12人出場し、そのうち94年生まれの選手が7人(座談会の4人に加えて日比野菜緒、澤柳璃子、鮎川真奈)いたのが印象に残っています。

加藤 そうそう! 5人にひとりは日本人で。あのとき、みんなで写真を撮っとけばよかったね。

穂積 そうだね。でも、あのときはまだみんな、そこまでお友だちじゃなかったからね(笑)。

── その当時15歳~16歳だったメンバーがほとんど全員、今もこうやって一緒にいるというのは、どんな感覚なのでしょう?

一同 え~~。

穂積 私はあんまり違和感ないな。ずーっと一緒だから。

加藤 (穂積)絵莉とはダブルスを組んでたから、ずーっと一緒。部屋も一緒、出る試合も一緒。たぶん親よりも一緒にいた。

穂積 ナショナルで遠征に行くと、ほんっっとうにずっと一緒なんですよ。ジュニアは基本、ひとりで行動できないので。

── そうやって皆さん、10代半ばのころからナショナル強化メンバーとして合宿や遠征に行っていました。特に当時は「Gプロジェクト(※)」により、ダブルスの強化にも力を入れていた時代だったと思います。

※Gプロジェクト=2016年のリオ五輪でのメダル獲得を目指し、特に女子ダブルスの強化に力を入れた日本テニス協会主導のプロジェクト。2010年発足。

穂積 そうですね、Gプロの合宿にはよく行ってました。

尾崎里紗(以下:尾崎) あれはさ、ダブルスの勉強にはよかったよね。

穂積 私もそう思う。

尾崎 ダブルスを強化して、オリンピックでメダルを狙う……というプロジェクトだったから。ダブルスのペアはどうやって決めてたんだっけ? みんな順番でやった気がするんだけど。

── 二宮さんは澤柳璃子(※3)さんと多く組んでいませんでしたか? おふたりが17歳のときに豊田市のITF75,000ドル大会のダブルスで優勝したことが印象に残っています。

※3=澤柳璃子(さわやなぎ・りこ)。1994年10月25日生まれ。北海道出身。2015年10月にシングルスランキング178位に到達。

二宮 たしかに璃子ちゃんと組むことが多かったです。でも(尾崎)里紗ちゃんともけっこう組んだよね。

尾崎 (二宮と自分を交互に指差して)全仏ジュニアベスト4!

穂積 めっちゃアピールしてるじゃん!

尾崎 奇跡のベスト4(笑)。

二宮 璃子ちゃんと豊田で優勝したときも、たしかGプロの一環としてふたりで組んでいたんだと思います。あのころにダブルスのことを多く学んだので。普段通っているテニススクールだと、どうしてもダブルスを教えてもらうことは少ないんです。

穂積 そういえば、めっちゃ合宿でダブルスやったよね。

加藤 ここに入ったら、ここに動きましょう……みたいな。

穂積 ダブルスの基本は「センターセオリー(リターンもストロークやボレーも迷ったらセンターに打つという基本戦術)です!」って。

加藤 とりあえずセンター打っとこ!みたいな。

二宮 あそこで教えてもらえたことは大きかったよね。

尾崎 ………私だけ成長してないっていう(ボソッ)。

一同 爆笑。

尾崎 だってあのとき、私もダブルスめっちゃがんばってやってたのに……。Gプロが終わって1年くらい経って、(奈良)くるみちゃんと組んでWTAツアー大会にダブルスで出たとき、前衛でスプリットステップ(来るボールに備えて両足で軽くジャンプする予備動作)したら、もうボールが後ろにあって……。

一同 笑。

尾崎 そういうこと、よくあって……。おかしいな。私もセンターセオリー、やってたのに。

加藤 でもほんと、ダブルスの練習はよくやった。

穂積 やった、やった。

尾崎 めっちゃ走った……。

加藤・穂積 めっちゃ走ったーー!

加藤 すーっごい走った。

尾崎 なんぼ走んのって。

穂積 『45・15』ねー。45秒走って15秒のレスト(休憩)を何本かやって、それで1セット。2分休んで、また1セット。しかも、1本ずつ走る距離が伸びていくんですよ。

── でもそのときの合宿があって、今の皆さんの活躍があるんですね。では、最後におうかがいします。やはり皆さんの世代だと、東京オリンピックという話題が出てくると思います。意識はしますか?

穂積 それは出たいです。

二宮 もちろん出たいです。

加藤 日本人ならね。

── 尾崎さんは?

尾崎 えっ!? 出たいです。そんな微妙な顔してましたか?

── 多少(笑)。ベタな質問になりますが、そうやって同じ目標に進んでいくなかで、同期がいるというのはよかったですか?

穂積 よかったです。私はよかった。

尾崎 うん。

二宮 そう思います。

加藤 私もよかった。テニスもひとり、夜もひとりだったら……泣きそうになる(笑)。

穂積 心強いですね。同期がいるのは。

加藤 しかも、いっぱいいるって楽しいし。

尾崎 特に、みんなキャラがバラバラだしね!

 今年7月のウインブルドンダブルスでベスト4進出を果たした二宮は、ベスト8に入った時点では「まだ彼女たちに追いついていないから」と、笑顔を見せることはなかった。二宮が言う「彼女たち」とはもちろん、1月の全豪オープンでベスト4入りした穂積と加藤。

 また、ウインブルドンで躍進する二宮の姿を見て、日比野はそれまで抱いていた迷いを「振り切れたと感じた」と言った。あるいは、あまり周囲のことは気にしなかった尾崎も、最近では「同期の活躍は刺激になる」と口にすることをためらわない。

 同期のなかから誰かが頭ひとつ抜け出れば、それに追随するように他の面々も後に続く――。明るい声をあげ、笑顔で坂道を競い駆け上がるような一体感と若いエネルギーを放ちながら、「94年組」たちはこれまでも、そしてここからも、過酷なツアーを疾走していく。