2015年育成ドラフト3位の田村丈さんは2019年までDeNAでプレーした 2015年育成ドラフト3位でDeNAに入団した田村丈さんは、大学留年、2度の入団テストを経てようやくプロの門を叩いた。3年目に支配下を掴んで1軍デビューを飾ったもの…
2015年育成ドラフト3位の田村丈さんは2019年までDeNAでプレーした
2015年育成ドラフト3位でDeNAに入団した田村丈さんは、大学留年、2度の入団テストを経てようやくプロの門を叩いた。3年目に支配下を掴んで1軍デビューを飾ったものの、この1試合のみで2019年限りで戦力外となり現役を引退。球団職員、アメリカンフットボール転身を経て、一般社団法人アスリートプロを立ち上げ代表理事として活動している。異色のキャリアをたどる32歳が、4年間と“短命”だったプロ野球生活を振り返った。
関西学院大4年時、DeNAと広島の入団テストを受けるもどちらも不合格となった。「就職活動をしていなかったので、留年するしかないなと」。“大学5年生”として就職活動を始めようとしていたとき、DeNAのスカウトから「来年もう一度勝負しないか?」と声をかけられた。受かる保証はない。それでも「やりたいです」と即答し、1年後のチャンスに懸けた。グラウンドで大学生とトレーニングをしながらパーソナルジムに通い、晴れて2度目のDeNA入団テストに合格した。
「4年生のときも受かると思っていて受からなかったので、正直半分諦めていました。受かればラッキーだなと。でも受かってよかった、ホッとしたという感じでした。そこで無理ならもう野球は諦めようと思っていたので……」
やっと辿り着いた舞台だったが、1月に同期のドラフト1位・今永昇太投手(現カブス)を見て「すげえ、球が違う」といきなり衝撃を受けた。それでも地道な努力を続け、2018年7月に念願の支配下登録。同8月1日に1軍に初昇格すると、その日に出番がやってきた。
「一生忘れられないですね。超満員で、マジでアニメの主人公になった気分。『これが1軍のグラウンドで投げる景色か』みたいな。すごかったですね」。夢のようなマウンドを思い出したように、ふと微笑む。本拠地の観衆の視線を独り占めしたが、結果は1回3安打2失点。防御率18.00とほろ苦く、これが最初で最後のマウンドになってしまった。
引退後は球団職員→アメフト転向→一般社団法人アスリートプロ立ち上げ
この年の秋、台湾で行われたウインターリーグに参加した際に投球フォームを崩した。これが悪循環の始まりだった。翌2019年は1軍キャンプに呼ばれたが「オープン戦で牽制を投げたときに指先の感覚がおかしくなって、イップスっぽくなって……」。その後の2軍調整でも悩みは深まるばかりで、5月にはストレスからくる十二指腸潰瘍で入院した。「そのときに、野球は無理だなと。今年で引退だなと思いました」と“最後”を悟った。10月に戦力外を通告されると、トライアウトを受けることなくユニホームを脱ぐことを決めた。
引退後の2020年からは球団職員としてベースボールスクールのコーチを務めた。2021年夏にアメリカンフットボールチームからスカウトを受け「最初は『嘘でしょ!?』ってビックリしました」というものの「挑戦しなかったら後悔する」と未経験の異業種に挑戦。長くても3シーズンと決めて必死に汗を流し、かけがえのない経験を得た。
2024年限りで区切りをつけると、現在は一般社団法人アスリートプロの代表理事として、野球普及活動やアスリートのキャリアサポートを行っている。入団テストや育成選手という苦労したことも、ほかの人にはない貴重な財産だ。努力で道を切り拓いてきた田村さんらしく「子どもたちに夢を与えたい」を目を輝かせた。(町田利衣 / Rie Machida)