今シーズンからWKBL(韓国女子バスケットボールリーグ)で始まったアジアクォーター制度(アジア枠)は、日本国籍の選手を各チー…

 今シーズンからWKBL(韓国女子バスケットボールリーグ)で始まったアジアクォーター制度(アジア枠)は、日本国籍の選手を各チーム2名まで受け入れが可能になるものだ。日本国内で行われたトライアウトを経てアジア枠のドラフトが行われ、9名の元WリーガーがWKBLでプレーすることとなった。

 開幕後はアジア枠の選手が各チームで活躍。地元メディアで特集を組まれるなど注目を集める一方、所属チームも彼女たちのパーソナリティを発信しようと公式のSNSを使って様々なコンテンツが発信された。

 そして、レギュラーシーズンが終わり、プレーオフがスタート。チャンピオン決定戦(ファイナル)に勝ち上がったのがウリ銀行ウリWONとBNKサム。ウリ銀行には宮坂桃菜と砂川夏輝、BNKには飯島早紀が所属、つまりアジアクォーター制度導入1年目の記念すべきシーズンに3名の日本人選手がWKBL王者を決めるコートに立ったことにある。

 ここではBNKの主力として開幕からチームの勝利に貢献した飯島早紀にシーズンを振り返ってもらうとともに、自身のバスケキャリアについても話をしてもらった。

文・写真=田島早苗

創設6年目でWKBL初優勝のBNK。その原動力となった日本人プレーヤー


「試合が終わった瞬間はすごくうれしい気持ちで、でもまだ実感が湧かないというか。ただ、たくさんの方からメッセージをいただき、本当に優勝できてよかったなという思いをしみじみと感じています」

 WKBL(韓国女子バスケットボールリーグ)のチャンピオン決定戦を制して優勝を果たしたBNKサム(BNKは釜山を拠点とする銀行)。今シーズンより導入されたアジアクォーター枠制度にてBNKに加入した飯島早紀は、優勝の翌日、体育館やトレーニングルームなどが併設されたBNKの施設にて優勝の感想を笑顔で語った。

 自身にとっても国のナンバーワンを決める大会での優勝は初めてという飯島は、堅いディフェンスと要所を締めたシュートなどでBNKのスターターとしてプレー。韓国代表や3x3ルーマニア代表といった選手たちとともに欠かすことのできない存在として幾多の勝利に貢献した。

 中でも優勝を決めるチャンピオン決定戦(ファイナル)は3戦先勝で、BNKはウリ銀行ウリWONを相手に3連勝を決めたのだが、第2戦では飯島が15得点3リバウンド3スティールという数字をマークし、試合のMVPにも選出された。さらには優勝を決めた第3戦でも14得点、貢献度の数値もチーム一で、優勝の立役者の一人となった。

 6チームで争われるWKBLのスケジュールは日本のWリーグに比べると変則的で、レギュラシーズン中は、1週間のうち火曜日以外は毎日試合が行われる。そのため、試合をしてから5日間も試合がないときもあれば、木曜日に試合をし、金曜日に移動して中1日の土曜日に試合といったような過密スケジュールのときもある(逆に日本のBリーグやWリーグのように土曜日・日曜日に連戦ということはない)。

 そうした試合日程に、「最初は土日で連戦するWリーグの方が疲れるのかなと感じていたのですが、夜の試合後に釜山まで帰り、また次の日に別のホテルへ移動となると徐々に疲労が溜まっていきましたね。特にBNKはホームが釜山ということもあって移動が大変でした」と、飯島は言う。また、その間の筋肉量維持のためのウエイトトレーニング時間の確保やバス移動中の食事には「マネジャーさんが希望するものを買ってきてくれるのですが、韓国の選手は試合後に普通にピザやチキンを食べる。私も最初はそれに合わせていたけれど、途中からは肉やご飯、野菜があるものを用意してもらいました」と、様々な面で工夫を凝らしたそうだ。

 プレーにおいても、チーム合流当初は「もう少しボールを持って自分で攻めたり、シュートを打ったりしたいという気持ちはありつつ、自分のやりたいこととチームから求められていることが違うという葛藤はあった」が、早い段階でポイントゲッターたちとのバランスを取りながら限られたシュートのチャンスを逃さずにものにしていった。それこそ、チャンピオン決定戦では、「相手が2人の得点源に対してフェイスガード的に抑えてきていたので、逆に私やガードのアン・ヘジにスペースがある分、ドライブやシュートに行くチャンスがあって、それをしっかり決め切れたと思います」と、状況に応じた判断や動きも披露した。

 そうした飯島に対し、チームメートで24歳の韓国代表であるイ・ソヒはこのように言い、MVP級の働きと称えた。

「WKBLの中でも3ポイントシュートがうまい選手(※3ポイント成功率はリーグ4位)。一番の長所はオフェンスとディフェンスのバランスがいいことだと思います」

遠征では自らバスと宿を手配していた実業団時代


 このようにあらゆる面で適応力の高さを見せた飯島だが、それは日本のWリーグでプレーした選手の中でも異例の経歴を歩んでいることが影響しているのかもしれない。

 長野県出身の飯島は、地元の強豪校・東海大学付属第三高校(現東海大学付属諏訪)で全国大会に出場。その後、東海大学に進んだが、1年生のときにチームは関東大学3部リーグに降格。4年生で2部昇格を決めたものの、自身は大学3年間を3部でプレーした。

 教員免許を取得していたこともあり、大学卒業後は母校に戻ることも考えたが、プレー続行の機会を求めて関東女子実業団のチーム入りを希望する。しかし、本人曰く実業団チームとの練習試合でも「結果を残せずなかなか声がかからなかった」。

 そんなときに山梨クィーンビーズへの入団が決まった。当時の山梨QBはWリーグから一時撤退した時期で主戦場は関東実業団リーグ。戦力的にも立て直しを図るチームにおいて選手5、6人という時期もあったという。例外なく飯島も日中は旅行会社で働きながらバスケットに取り組む日々。それこそチームの遠征では自らバスや宿を手配し、食事の対応などを直接宿に電話で確認していたそうだ。

 そうして関東実業団で2シーズン、Wリーグに復帰参戦してから2シーズンと山梨QBで計4シーズンプレーしたのちに新潟アルビレックスBBラビッツへと移籍。ここでは1シーズンのプレーでしっかりと結果を残し、翌シーズンにはトヨタ紡織サンシャインラビッツへと活躍の場を移した。

 以降は多くの人が知る通り、西地区の3ポイントシュートランキング1位(コロナ禍によりレギュラシーズンは東西に分かれて行われた)になるなど着実に力を付けていった。

「自分がいる環境の中で何ができるかを考えるのは山梨や新潟時代にもそうやって考えながらやっていました。だから(韓国でも)そこには苦労を感じなかったですね。他チームのことを聞いて自分のチームを比べるのも嫌だったから他チームのことを聞くのも控えていました」

『所変われば品変わる』ということわざではないが、チームにはそれぞれ特長があって、環境も異なる。その一つひとつに一喜一憂するのではなく、現状をポジティブに捉え、いかに自身の力を最大限に発揮するかを優先する。それは彼女の落ち着いた性格もあるだろうが、日本において3チームでプレーしたことで身につけた術なのかもしれない。

 そんな飯島は、自身の性格を「負けず嫌い」という。

「私は悔しい気持ちは次に成長させてもらえるチャンスだと思っています。Wリーグでもなかなか企業チームから声かけてもらえなくて悔しかったし、(WKBLの)アジアクォーター選手賞も取りにいってはいなかったけれど、取れなかったときにはやっぱり悔しかったですから」

※アジアクォーター選手賞はKBスターズの永田萌絵が受賞

 そういった「悔しさ」をこれまでも大なり小なり味わい、それをバネにステップアップして今の飯島早紀がある。

 優勝決定後、コート上ではBNKの初優勝を祝うセレモニーが行われたが、こちらのカメラに飯島が気づいて笑顔を見せると、そこに若手選手が駆け寄って一緒にカメラに収まった。こんなシーンが幾度となく繰り返されたのだが、それもまたチームメートから信頼を得た証ともいえるだろう。

 優勝という最高の結果で終えた挑戦のシーズン。飯島はにこやかに、そしてゆっくりと充実した1シーズンを次のような言葉で締めくくった。

「バスケットをしていなかったら韓国の選手たちとも出会えなかったし、こういう経験もできなかった。シーズンが始まる前、『シーズンが終わったときに韓国に来てよかったと思えるシーズンにしたい』と考えていたことが実現できたので、本当に幸せだなと思います」

【動画】チームの公式チャンネルで紹介される飯島早紀