日本代表が20日、26年北中米W杯出場を決めた。22年カタールW杯後に、チームの目標を「W杯優勝」に定め、アジア最終予選は6勝1分けと無敗の強さを見せた森保ジャパンの進化を、日本代表担当記者の「見た」で3回掲載する。初回は選手の意識の変化…

 日本代表が20日、26年北中米W杯出場を決めた。22年カタールW杯後に、チームの目標を「W杯優勝」に定め、アジア最終予選は6勝1分けと無敗の強さを見せた森保ジャパンの進化を、日本代表担当記者の「見た」で3回掲載する。初回は選手の意識の変化と成長。

 あの日の夜、彼らの目標は「W杯優勝」になった。22年12月5日。カタールW杯の決勝トーナメント1回戦、日本はPK戦の末、クロアチアに敗れた。簡単に眠れるはずはなかった。どうすればW杯で勝てるのか、選手たちは話し続けた。考えれば考えるほど、わずかな差で悔しさは募った。

 カタールW杯後、主将に就任した遠藤は語る。「W杯優勝を目標に掲げた背景は、僕だけの感情ではない。カタールを経験した選手たちの雰囲気、悔しさを持った会話を聞いて、優勝を目標にしたほうがいいと思った」。森保監督の賛同も得て、目標は決まった。意識が変わった選手たちは、より成長を求めて変わり始めた。

 「やっぱり個の成長が、チームの成長になる」(遠藤)と選手たちはより高いレベルのクラブに身を置き、自らに成長を課した。カタール当時、メンバー26人中、欧州の強豪クラブが参加するCL、ELの経験者は7人だった。今回の招集メンバーでは27人中15人に増加。遠藤自身もドイツ1部シュツットガルトから、名門のリバプールに移籍。より高いレベルの日常で、自らを磨いている。

 それは森保監督が「W杯と同じような強度、重圧がかかる中で、日常の戦いをしてほしい」と求めてきた点だ。CL、ELを戦う選手たちは、1週間に2試合をこなす8連戦なども経験し、タフさを身につける。これこそが、決勝まで戦えば8連戦となるW杯優勝に向けた“準備”だ。カタールW杯メンバーが多く残る中で迎えた今回の最終予選。自信と、個々の確かな成長がかみ合った時、アジアでは一歩抜け出したチームへとなっていた。(金川 誉)