指導者として信条とするのが、高校時代に選抜高校野球大会を制して得た勝利の秘訣(ひけつ)と、社会人野球界で苦しみながら学んだ人としての生き方だ。 常葉大菊川(静岡)の石岡諒哉監督(35)は選手時代のチームの代名詞である「超攻撃野球」を…

指導者として信条とするのが、高校時代に選抜高校野球大会を制して得た勝利の秘訣(ひけつ)と、社会人野球界で苦しみながら学んだ人としての生き方だ。
常葉大菊川(静岡)の石岡諒哉監督(35)は選手時代のチームの代名詞である「超攻撃野球」をほうふつとさせる強力打線を持ち味に、母校の監督として2度目の甲子園に臨んだ。
「大舞台ほどしっかり準備して本番では特別なことはしない。いかにさらっと、淡々とプレーできるか。甲子園で頑張らない。楽をするのが理想です」
高校3年だった2007年春、センバツの優勝から得た教訓だ。初戦の相手は後にプロ野球・ヤクルトで活躍し、大会注目の剛腕だった佐藤由規さんをエースに擁する仙台育英(宮城)。準々決勝では中田翔選手(中日)が主軸を担う大阪桐蔭を破った。強力打線ばかりが注目されたが、いずれも相手の映像を研究して勝機をたぐり寄せた。
自身の成功体験から導き出した秘訣は、普段の練習の積み重ねがあってこそ生きる。監督就任5年目の24年度も勝つ確率を上げるため、戦略を練った。
新チームの課題は打線だった。反発性能を抑えた新基準のバットが導入されたこともあり、リードされると逆転する力に乏しかった。昨年の夏休みから単に遠くに飛ばす力をつけるだけでなく、打球の高さや方向を細かく設定したシート打撃で、バットコントロールを磨いた。マシンより投手の球を打つ機会も増やし、早い段階から実戦感覚も養った。
成果は秋の公式戦で表れた。県大会で優勝し、東海大会で準優勝するまでの11試合で79点、平均7・18得点を挙げた。
監督として自分と同じように選手たちを頂点まで導きたい。一方で「甲子園で優勝するのがゴールじゃない」とも思うのは、高校卒業後に進んだ社会人野球時代に大きな挫折を経験したからだ。
捕手を務めていたが思い通りに送球できなくなる「イップス」に陥り、7年の現役生活で「満足できるプレーは何一つなかった」。それでも高校野球の指導者になる機会に恵まれたのは、つらい時期でも選手として練習をやり切ったからだと感じている。
「野球で得た経験をその後の人生につなげることが大事。つらい時にどう振る舞うか、どれだけやり続けることができるか。そんな『もがく力』を選手たちには身に付けてほしいです」
社会人時代に自身の力不足を痛感したから、今も謙虚な気持ちで野球や選手たちと向き合う。主力の児玉一琉(いちる)選手(3年)は「監督の言葉に無駄なことはないと思う。アドバイスも響く」と語る。
初戦敗退した前回のセンバツから2年で、再び大舞台にたどり着いた。
真価が問われた今春のセンバツだったが、初戦で聖光学院(福島)と延長十二回タイブレークの激戦を演じた末、3―4でサヨナラ負けした。自慢の打線は計6安打と本領を発揮できなかった。
延長に入ってからは、バントではなくヒッティングに徹するなど「らしさ」の一端は見せたが、白星には届かなかった。石岡監督は「(バントではなく打たせたのは)指示した僕の責任」と言葉を詰まらせ、「選手に連れてきてもらって、また勝てなかった。自分自身が選手以上に成長していかないといけない」と新たな決意を固めた。【黒詰拓也、牧野大輔】