昨年限りで明大サッカー部の監督を退任し、今年2月から東京Vの代表取締役副社長に転身した栗田大輔氏(54)が20日までにスポーツ報知のインタビューに応じた。大学サッカー界の名将から異例の転身を遂げた理由や「ヴェルディ発、世界へ」の思いを胸に…

 昨年限りで明大サッカー部の監督を退任し、今年2月から東京Vの代表取締役副社長に転身した栗田大輔氏(54)が20日までにスポーツ報知のインタビューに応じた。大学サッカー界の名将から異例の転身を遂げた理由や「ヴェルディ発、世界へ」の思いを胸に、昨季16年ぶりにJ1復帰した伝統クラブをさらに発展させていくことを誓った。(取材・構成=後藤 亮太)

 スーツに緑のネクタイを締めた栗田副社長は、超異例の転身を遂げて、東京Vの副社長として新たな道へと歩みを進めている。

 「現場では日々戦っていましたが、経営側に入り、クラブ全体をどうやって前に向けていくか。収益性や成績はもちろん、働いている人たちのやりがいをどうやって作ってあげられるかということにトライする。大変かもしれないけど、楽しみというか、頑張っていこうという思いですね」

 昨年まで明大サッカー部の監督を10年間務め、関東大学リーグでは昨季に史上初の無敗優勝(15勝7分け)を達成するなど優勝5回。全国大会も5回制した(総理大臣杯3、全日本大学選手権2)。「明治発、世界へ!」を掲げ、第2次森保ジャパンにも招集されたDF森下龍矢(27)=レギア・ワルシャワ=ら毎年のようにプロへ選手を輩出。さらに、23年夏には当時4年生だったFW佐藤恵允(けいん、23)=現FC東京=が、ドイツ1部ブレーメンへ移籍し、大学から海外へ挑戦する道も開拓した。そうした中での大きな決断には心境の変化があった。

 「このままだと“名物監督”みたいに君臨しちゃうんじゃないかなと。そうなると部全体の循環が止まってしまう。身を引くことで循環するし、OB会も若返り、活性化する方がいいんじゃないかなと思いました」

 そう考えていた時を同じくして東京Vから熱烈なオファーを受けた。栗田氏が清水建設に勤めていた時、アリーナ建設事業などに携わるソリューション営業部長を歴任していたこともあり、明大の先輩でもある東京V・江尻篤彦強化部長の紹介で22年に中村考昭社長と知り合い、定期的に話をする間柄に。そして昨年、東京Vが16年ぶりのJ1で6位と躍進し、債務超過もクリアしたタイミングでさらなる発展を目指すために必要な存在として白羽の矢が立った。

 「会社員や、自分のクラブを経営したり、監督という現場の一線でもやった人はあまりいないだろうなと。他の人にはないものを発揮できるかもしれないという思いから決断に至りました」

 そして、J草創期に栄華を極めた伝統を持ち、首都のクラブの副社長となった今、目指すは「ヴェルディ発、世界へ」だ。

 「可能性はものすごくある。例えばスペインならレアルやバルサのように、Jリーグの価値が上がった時にそういう存在意義のあるクラブになっていくのはすごく魅力。その先に海外との提携や戦略があって、アジアマーケットで欧州、米国を含めたコンテンツを構築すると、そういうところからも資本が入り、一企業として育っていくんじゃないかな」

 そのためにも、まずは土台を強固なものにしていく。

 「前提としてJ1で戦い続けたい。それと常に革新的で、野心的で、若い人たちが成長して、見ている人に何か伝わるような活気と熱量が響き合うようなチームでありたい。その延長に好成績やACLE(出場)、ビッグクラブがあると思う。僕は先導役なので絵を描き続け、頑張りますが、現場と事業がしっかりと足元を見ながら、夢も追えるクラブでありたいです」

 ◆栗田 大輔(くりた・だいすけ)1970年9月19日、静岡・静岡市生まれ。54歳。清水東高、明大を経て清水建設に入社。営業やソリューション営業部長を歴任し、22年6月に退社。サッカーでは05年に横浜市で小・中学生を対象としたサッカークラブ「FCパルピターレ」を設立し、13年からは母校の明大サッカー部のコーチに就任し、14年に助監督、15年から24年末までは監督を歴任。25年2月に東京Vの代表取締役副社長に就任した。