◆26年北中米W杯アジア最終予選▽第7戦 日本2―0バーレーン(20日・埼玉スタジアム) 日本代表はバーレーン代表に2―0と勝利し、3試合を残して日本史上最速で8大会連続のW杯出場を決めた。0―0の後半21分にMF久保建英(23)=Rソシエ…

◆26年北中米W杯アジア最終予選▽第7戦 日本2―0バーレーン(20日・埼玉スタジアム)

 日本代表はバーレーン代表に2―0と勝利し、3試合を残して日本史上最速で8大会連続のW杯出場を決めた。0―0の後半21分にMF久保建英(23)=Rソシエダード=のアシストから、途中出場のMF鎌田大地(28)=クリスタルパレス=が先制点。同42分には久保が卓越した左足で追加点を奪い、1得点1アシストで勝利の立役者となった。最終予選最多24得点の攻撃陣の中軸を担い、26年北中米W杯でも森保ジャパンを目標の世界一へとけん引する。

 ユニホームを放り投げ、心の底から雄たけびを上げた。鮮やかな久保のゴールが、8大会連続&世界最速でのW杯出場の扉を開いた。1―0の後半42分。左ショートコーナーのリターンパスをペナルティーエリア左で受けると、左足でわずかに空いていたGKのニアゾーンをぶち抜いた。「頭が真っ白になるくらいうれしかった。感情が爆発しました」。試合中にユニホームを脱ぎ反スポーツ行為で警告を受けたが、それを忘れるぐらいの喜びだった。前回は不出場だったW杯出場決定試合で1G1Aの大活躍。5万8137人で埋まった埼玉スタジアムを沸かした。

 先制点も背番号20から生まれた。0―0の後半21分。FW上田のスルーパスに反応してDFラインの裏に抜け出すと、相手を引き連れながらエリア付近まで進入。その隙にMF鎌田が自身の背後からゴール前に回り込んだことを察知すると、左足でパスを送り、均衡を破る得点を演出。前半は0―0でピンチもあったが「耐えるところは耐えて、後半しっかり刺すところ刺して。強者の戦い方ができた」と主役を演じ切った。

 W杯での悔しさを晴らす切符を手にした。22年カタールW杯では1次リーグを終えた直後に発熱し、決勝トーナメント1回戦のクロアチア戦を欠場。39度近い高熱に見舞われたためホテル隔離となり、チームがPK戦で16強敗退が決まった瞬間はピッチではなく、自室のテレビで見届けた。「なんでこんなにうまくいかないんだろう」と失意のどん底に沈んだ。

 ただ、21歳で初のW杯を体感したことが久保を変えた。自分主体のプレーは消え、代表の勝利を最優先に戦う男になった。「前回の最終予選は自分の幼さが出たと思うけど、今回はチームのためだけを一心に考えた結果、ゴールを決めて勝利に貢献できてうれしい」。A代表で得点した試合は6戦全勝。守備でも戦う姿勢を見せた久保が文句なしの試合のMVPだった。

 Rソシエダードでも絶対的な存在で今では世界中から注目されるアタッカーは、北中米W杯に向けた最初の活動で口にした「僕は(カタール)W杯の時とは別人なので」という言葉を結果で、存在感で証明。それでも、W杯の切符は通過点。「僕たちの目標はここじゃない」。日本初のベスト8、そして、W杯優勝という夢へ。25歳で迎える久保建英が日本を背負って戦う。(後藤 亮太)

「俺に聞いて」ピッチ外でも成長

 久保自身も自負する「人間としての成長」は、ピッチ内だけではなく、ピッチの外にも見られた。第2次森保ジャパンとなり、同世代で代表入りする選手が増えた。すると初招集の選手がいれば「困ったことがあったら全部俺に聞いて」と手をさしのべ、代表の活動になじめるような心配りをしていた。「今までだったら多少ワガママなことをしてもピッチ内外で優しく見守ってくれる選手がたくさんいたけど、逆に今度は自分の立ち振る舞いを意識していかないと」。大人になった久保に、今では代表の中心としての風格が漂う。