離島の厳しい練習環境を克服し、第97回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)に21世紀枠で初出場する壱岐(長崎)。主軸の日高陵真選手(3年)は、中学時代に軟式野球の全国大会に出場した経験があり、強豪私立高からの誘いもあ…

2024年秋の長崎県大会で主軸として活躍した日高陵真選手=長崎市で2024年10月12日、川島一起撮影

 離島の厳しい練習環境を克服し、第97回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)に21世紀枠で初出場する壱岐(長崎)。主軸の日高陵真選手(3年)は、中学時代に軟式野球の全国大会に出場した経験があり、強豪私立高からの誘いもあった中、島で夢を追うことを選択。けがや手術で思うような練習ができない時期も乗り越え、全員が島出身の部員と大舞台にたどり着いた。20日第3試合の1回戦で東洋大姫路(兵庫)と対戦する。

 兄の影響を受けて小学3年から少年野球チームに入った。長崎県壱岐市立勝本中の軟式野球部ではエースとして全国大会に出場。県選抜メンバーに選ばれ、高校の進路では島外の強豪も選択肢にあった。だが中3の秋ごろ、同じ中学で現在もチームメートの山口廉斗選手(3年)から、離島の鹿児島県・奄美大島にある県立大島高が2014年、22年のセンバツに出場したことを引き合いに「俺たちも頑張れば行ける」と声を掛けられた。

 そこで動画投稿サイトなどで22年当時の大島の戦いぶりを見た。エースの大野稼頭央投手(現プロ野球・ソフトバンク)が力投し、劣勢の場面には選手が笑顔でマウンドに集まり、ベンチからも懸命に声を出す姿。「島の高校生だけでここまで行けるのか。自分も島の仲間とこんな野球がしたい」と思った。

 壱岐島内では別の中学も九州大会に出場し、日高選手ら同級生たちは「黄金世代」と呼ばれた。その仲間とも「壱岐から甲子園」の合言葉で結束。23年春、島での高校生活が始まった。

 日高選手は、大野投手のような投打の活躍を目指した。だが、1年目の夏の長崎県大会は3回戦でコールド負けし、秋の県大会は離島校の連合チームに初戦で敗れた。さらに自身が肘を故障して手術。約3カ月、まともにボールも投げられない状態になった。

 「こんなはずじゃなかったのに……」。夢の舞台ははるか遠く、心が折れそうになった。

 支えは、島で近所に住む祖父博信さん(76)だった。中学まで野球経験があり、幼い時からキャッチボールや守備練習などを手ほどきしてくれた存在。24年夏ごろにようやく練習試合に復帰すると、博信さんは打者として狙い球の絞り方を、また投手として打者を打ち取る変化球の使い方を助言してくれた。

 坂本徹監督(40)の指導を受け、ミート力を向上させるためのサッカーボールを使ったティー打撃や、壱岐伝統の丸太を抱えながらのベースランニングも地道に積み重ねた。次第に力強いスイングになり、長打に手応えを感じた。

 成果は24年秋に表れた。県大会で甲子園出場経験のある強豪を破って準優勝。初出場した九州大会は8強入りした。日高選手は両大会計7試合のうち6試合で4番を任され、九州大会1回戦の専大熊本玉名戦では4打数2安打1打点と活躍。21世紀枠での選出に貢献した。

 博信さんは高齢で遠方への移動が難しく、センバツは島に残りテレビの前で声援を送る。初戦の相手は24年秋の近畿大会を制した強豪。日高選手は「おじいちゃんを含め、島の人たちに勝利を届けたい。離島の選手だけでも全国の舞台で活躍できることを見せたい」と意気込む。【川島一起】