東京六大学野球の昨年の秋季リーグで、栃木県出身の中山太陽選手(東京大学3年、宇都宮高校卒)がベストナインに選ばれた。今年はチームの副将。学業とスポーツの両立などについて聞いた。 中山選手は身長188センチの大型外野手で、スイングの速さが持…
東京六大学野球の昨年の秋季リーグで、栃木県出身の中山太陽選手(東京大学3年、宇都宮高校卒)がベストナインに選ばれた。今年はチームの副将。学業とスポーツの両立などについて聞いた。
中山選手は身長188センチの大型外野手で、スイングの速さが持ち味。しかし、秋季リーグ序盤は調子が上がらなかった。夏合宿で調整したバットを高い位置に構える打撃フォームが「相手投手の速球に対応できていなかった」という。そこでリーグ中でも迷うことなくフォームを変更。「通用しないと分かったら次のパターン」という柔軟性が功を奏した。ここから勢いを取り戻し、慶応大戦で自身初の本塁打。最終的には打率を3割4分1厘まで上げた。
この1年で成長したのは「対応力」という。春季リーグの試合で肩を痛め、フルスイングができない時期があったが、そのときは「コンパクトな打撃で来た球に逆らうことなく打つ。けがの功名で、もうひとつの自分の良い形をみつけられた」。厳しい状況でも前向きにとらえる。
順当な野球人生を歩んできたわけではない。受験生時代は、勉強の休憩中に東大野球部の応援音楽を流して素振りをするほど、六大学野球での活躍を夢見ていた。ところが、体調を崩して「体を動かすことが厳しい。(高いレベルの)大学野球は終わりだ」と断念したといい、東大入学直後は軟式野球のサークルに入った。
転機は9月のリーグ戦を観戦したことだった。同じ宇都宮高出身の尊敬する先輩の最後のリーグ。「グラウンドや応援の感じ。自分が求めていたものはこれだった」と気づかされ、半年遅れで入部した。
決断の背景には、高校時代の経験があったかもしれない。2年秋の県大会で8強入り。翌年の選抜大会に向けた選考で関東・東京の21世紀枠候補校になり、同校として1924年の夏以来、ほぼ1世紀ぶりの甲子園出場に近づいた。ところがその直後、コロナ禍で部活動はストップ。選手権栃木大会も消えた。最後の夏について、「代替大会(交流試合)を開催していただいて良かった」と感謝するが、不完全燃焼の感があった。「もしかしたらそのおかげで、大学でもう一度、野球をやる決心ができたのかもしれません」
大学4年生のシーズンも昨年に続いて背番号44をつける。レギュラー選手としては大きい数字。プロ野球で44から飛躍していった柳田悠岐(ソフトバンク)らと同様に「まだまだ伸び代がある」ことをイメージしている。
大学でも高校でも野球に打ち込む分、勉強にかけられる「時間的な制約はある」という。支えになっているのが、高校時代に指導を受けた篠崎淳監督が言った「文武不岐(ふき)」という言葉だ。文武両道は「どちらも頑張る」だが、「不岐」は文字どおり分けて考えない。「野球の地道な練習で培った体力や忍耐力は、長時間勉強できることにつながる。勉強で集中して問題を解くことは、投手と対戦する際の、ここぞという時の集中力につながる」と解釈している。
進学など春からの新しい環境で、スポーツを続けるかどうか、迷っている人へのアドバイスをたずねた。自身の経験から「対戦相手の研究やデータの分析など、高校までの野球と大学の野球は、別の競技と思うぐらい違った。そういう楽しい経験を知らないのはもったいないと思う」と語った。
4年生となるシーズンの目標は、自身まだ経験のない「勝ち点(リーグ戦で同じ大学から2勝)を取る」ことだ。好機で安打を放ち、その勝利に貢献するつもりだ。(津布楽洋一)