女子プロゴルファーの上田桃子がツアーから“撤退”して3カ月が経過した。プロ生活20年でツアー17勝を挙げ、生涯獲得賞金は歴代6位(10億9476万4906円)。日本の女子ゴルフ界で一時代を築いた38歳が、全2回の独占インタビューで現在・過…

コースから離れて日常を楽しんでいる

女子プロゴルファーの上田桃子がツアーから“撤退”して3カ月が経過した。プロ生活20年でツアー17勝を挙げ、生涯獲得賞金は歴代6位(10億9476万4906円)。日本の女子ゴルフ界で一時代を築いた38歳が、全2回の独占インタビューで現在・過去・未来を語る。<取材・構成/玉木充>

コースから離れて 2月の東京は寒かった

料理や英語学習に全力

「この時期に東京にいることはなかったし、2月の東京が寒いなんて知らなかった。今までは暖かいところで過ごしてきたから…」

例年オフの2月は、3月のシーズン開幕に向けて宮崎で合宿を行っていた時期。それが今は料理や英語と現役時代にはできなかった勉強に励む。ノートに細かくメモするようにもなった。

「もともとメモをとるタイプじゃないけど、学んだことと自分の現状をメモします。ゴルフのときは自分がどこにいるのかわかりやすかったけど、今は整理するのが難しくて。そこを把握するために書いています。埋まるときは何ページでも埋まる…という感じです」

「座学で栄養学も勉強しています。どのタイミングでどういう栄養素を取るとどうなるか。ゴルフをやっていてもやらなくても生きるために食べないといけないし、生きるためにトレーニングをしないと老いていく。切り離せないし、知識として勉強しています」

先日は料理教室でエビチリを作った。得意料理を問われると、「得意料理はないですが…豚汁!ぶっこむだけです。なんか嫌なんですよね。ハンバーグです!とかビーフストロガノフです!とか、いかにもなのが」と豪快に笑った。

「出た、じゃなく出せた」 ベストゲーム

2019年「ヨネックスレディス」もベストゲームの1つ

日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の生涯出場試合数は450試合を数える。ツアー初優勝は地元・熊本での2007年「ライフカードレディス」。日米両ツアーを兼ねた11年「ミズノクラシック」でも優勝したが、ベストゲームのひとつにあげたのは21年の国内メジャー。烏山城CC(栃木県)での「日本女子オープン」(6打差2位)だった。

「試合に準備して出し切れたと思えました。今持っている力の90%を出せた。それがすごいうれしかった。出たという感じじゃない。出せた。出たと出せたの違いはかなり大きい。そこは充実感もあったし、自信にもなりました」

また、19年「ヨネックスレディス」も思い出深い試合だ。初日1番のティショットをOBにしてトリプルボギーをたたいたが、最後は後続に6打差の圧勝だった。

「かなりのベストゲームだった。初日のスタートで左にひっかけたけれど、調子も悪くない。めちゃくちゃ自信がありました。そんなことはこれまでなかった。取り戻せると余裕をかませていた。精神的な状況、調子も90%は出せる状況だった。自分の得意としている100ydの距離感も良かった。武器で戦えた」

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米ツアー挑戦へ「情報と経験」が少なかった時代

2007年には当時の史上最年少で賞金女王に輝いた

前週に米女子ツアーが開幕した。昨年は笹生優花が6月「全米女子オープン」を、古江彩佳が7月「エビアン選手権」を制すなどメジャーでも日本勢の活躍が目立った。加えて今年は日本ツアーから年間女王の竹田麗央をはじめ、山下美夢有岩井明愛岩井千怜が参戦する。

「心技体が整っている選手が多い。それと情報がすごくあるので、しっかりと準備していける。(自分の時代との違いは)かなり大きい。あとやっぱりジュニアのときからの経験値の差。ナショナルチームで活躍して、より海外に触れている。私は20歳ぐらいでTOTOで初めて(海外の選手と)回る感じだった。今の子たちは15歳ぐらいから経験している。視点が最初から海外でって感じがします」

07年は年間5勝を挙げて史上最年少(当時)21歳156日で日本ツアーの賞金女王に輝いた。08年から米ツアーに挑戦したが、米本土での優勝には届かず、14年以降は国内ツアーに専念した。勝負の世界に「タラレバ」は禁物だが、それでも25年の今、米ツアーに参戦するタイミングだったら違った結果になっていたかもしれない。

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もう一度プレーしてみたい選手との3サム

諸見里しのぶ(左)は良きライバルだった(写真は2007年ワールドカップ女子ゴルフ練習R)

長く過ごした日米ツアーを回顧してもらい、もう一度回ってみたい選手との3サムを聞いてみた。「うーわ、誰だろう、ワクワクする人がいいな」と真剣に悩みながらも1人目にロレーナ・オチョア(メキシコ)をあげた。

メジャー2勝を含むツアー27勝を重ね、米女子ツアー(LPGA)殿堂入りも果たした元世界ランキング1位のレジェンド。「格好良かった。たたずまいもプレーも人としてもすごく好きだった。飛んでいたし、アプローチもパターも全部うまかった。いちファンとしてもいっしょに回っていました」と思い出を明かした。

もう1人には同年代の諸見里しのぶをあげた。「意外と優勝争いをしていないんです。一回もしていない気がする。お互いバチバチではあったけれど、それが心地良かった。しのぶとガチで、ましてロレーナもそこにいて、バチバチの優勝争いみたいな…。いい雰囲気の場所で戦ってみたかったです」

2007年の「ワールドカップ」(南アフリカ)では諸見里とともに日本代表として日の丸を背負った。「すごい燃えた。普段はライバルって感じだったけれど、そのまんまでタッグを組んでいた。『お前、絶対バーディ獲れよ』と言われて『お前もバーディ獲れよ』と言って…みたいな関係性が楽しかった」と懐かしんだ。

<2010年>ロレーナ・オチョアが引退表明 「この瞬間を待っていた」

<2019年>諸見里しのぶは盟友のサプライズに感涙「幸せ者としか言いようがない」

多くの学びを熟成しきれなかった後悔

現役時代の後悔とは

マネジャーも務める弟・悌史郎(だいしろう)さんに姉を表現してもらうと、「プロフェッショナルに手足が生えている。ご飯のときもずっとゴルフを考えている」と話した。コース内はもちろん、コースを離れても競技のことで頭がいっぱいだった。

05年にプロテスト合格。24年にツアーから撤退するまで、後悔はなかったのか? 「基本はないけど、あげるとするならインプットし過ぎた。アウトプットする時間がすごく少なくて…ためる容量に比べて出す容量が少な過ぎて、ためるほうばっかりがふくらんでいった」

故・荒川博氏と坂田信弘氏、江連忠氏、辻村明志氏ら多くの恩師やコーチからどん欲に学んできた。「90%を出すにはアウトプットの容量が大きくないといけないし、自分の良さが出せない。インプットが好きだったので、たくさん学びたかった反面、熟成しないで出していくことが多く、この容量だと熟成させられなかった」と振り返った。(後編に続く)

GDOのスコアラと記念撮影