野球殿堂博物館の表彰委員会は16日、今年の野球殿堂入りのメンバーを発表。競技者表彰のプレーヤー表彰として、NPBで歴代最多となる1002試合登板、通算407セーブの岩瀬仁紀氏が選出された。 岩瀬氏は候補者入りした昨年、232票で有効投票の…

 野球殿堂博物館の表彰委員会は16日、今年の野球殿堂入りのメンバーを発表。競技者表彰のプレーヤー表彰として、NPBで歴代最多となる1002試合登板、通算407セーブの岩瀬仁紀氏が選出された。

 岩瀬氏は候補者入りした昨年、232票で有効投票の75%となる266票に34票及ばなかった。2年目で実績が認められての選出。ルーキーイヤーから15年連続での50試合以上登板、さらに守護神として通算407セーブと、中日の黄金時代をけん引し、6度出場した日本シリーズでは無失点と抜群の実績を残した。

 引退会見で「防御率はすごく大事に思ってきた。勝ちゲームで投げられる投手でありたいと思ってきた」と語っていた岩瀬氏。150キロを超えるスピードボールはない。それでも抜群のコントロールにボールのキレ、類いまれな投球術、鋼のメンタルなど-。極度の重圧がかかる試合終盤のマウンドを託され続け、残した通算防御率は2・31。セーブ数とともに、いかに安定してチームを勝利へ導いてきたかが分かる数字だ。

 2007年の日本シリーズでは、日本一に王手をかけたゲームで8回まで1人の走者も許していなかった山井からマウンドを受け継いだ。球場が騒然となる中でも投球は乱れなかった。三者凡退に仕留め、日本シリーズ史上初めて継投での完全試合を達成。当時、チームを率いていた落合監督は「あの場面は岩瀬じゃないと抑えられない」と言わしめたほどだ。

 「プレッシャーがかからないと言われたらウソになる。やるべきことをやろうと思っていた。ホームラン以外なら」とゲーム後に語っていた左腕。プロ野球の歴史に衝撃的な1ページを刻んだシーン。積み重ねられた数字だけではない岩瀬氏のリリーバーとしての姿が認められての殿堂入りだった。