サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、ゴール裏のアツ~い奴ら。■社会問題になった「フーリガン」 東京12チャンネル(現在のテレビ東京…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、ゴール裏のアツ~い奴ら。

■社会問題になった「フーリガン」

 東京12チャンネル(現在のテレビ東京)が1968年に放映を始めた「三菱ダイヤモンドサッカー」における岡野俊一郎さんの解説により、1970年代には、日本でもサッカーファンの間では「サポーター」という言葉がよく知られるようになっていた。しかし、番組が始まった1968年ごろには、イングランドのスタジアムには今のJリーグで見るようなサポーターの集団はいなかった。

 みんなが声をそろえて応援したり、ときには合唱することはあっても、スタンドの一角に同じ色のシャツを着た熱狂的なサポーターの集団がいるわけではなく、黒っぽい服を着たお兄さんやおじさんたちがいっせいに拍手したり、ため息をついたりしていただけだった。それが1970年代の後半から組織化されたサポーター集団となり、1980年代には暴力的な「フーリガン」と化して、やがて大きな社会問題になっていく。

■代表戦で「ブラジル人」同士が激突

 1977年に初めて南米サッカーを取材したとき、リオデジャネイロのマラカナンスタジアムで最も驚いたのは、サポーター同士の争いだった。ブラジル対イングランドというけっこうなカードで、スタンドには7万7000人も入っていたのだが、大半が立ち見席だった当時のマラカナンでは、観客席には「無人地帯」がずいぶん広く残っていた。

 ブエノスアイレスのボカ・スタジアムでは、ファンのほぼ全員が白と水色のアルゼンチン代表のユニフォームを着ていた。しかし、当時のマラカナンでは、ブラジルの黄色いユニフォームを着ているファンなどほとんどいなかった。みんな、それぞれ自分の応援するクラブのユニフォームを着ていたのだ。そして、その多くは、赤黒のフラメンゴか、赤緑白のフルミネンセのユニフォームで、しかも、それぞれに固まって集団をつくっていた。

 すなわち、「ブラジル代表戦」といっても、サポーターはリオの2大人気クラブ、フラメンゴとフルミネンセのサポーターで、自クラブ所属の選手に無条件で声援や拍手を送る一方、ライバルチームの選手にはブーイングを浴びせるという状況だったのだ。

■「荒れていた」世界のサッカースタジアム

 試合前、いきなり騒ぎが始まった。赤緑白の人々がなだれを打ったように走りだしたのだ。見ると、赤黒の人々がそれを追いかけ、取り囲むように襲いかかろうとしているのだ。この時代、世界のサッカースタジアムは荒れていた。しかし、これほどの「闘争」(というより一方的な攻撃)を見たのは初めてだった。

 1985年の欧州チャンピオンズカップの決勝戦でイングランドのリバプールのサポーターがイタリアのユベントスのファンに襲いかかり、39人が死亡するという大事件が起こったが、私が1977年にマラカナンで見た光景は、それ以上の「暴動」だったかもしれない。

 しかし、マラカナンスタジアムの2階席は大半がコンクリート打ちっぱなしの緩い階段状の立ち見席で、フルミネンセのサポーターたちは襲われ慣れているのか、たくみにフラメンゴの追撃をかわし、散り散りになって逃げ切った。(3)に続く。

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