サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、ゴール裏のアツ~い奴ら。■日本の「体操関係者」たちだった⁉ Jリーグは昨年の12月8日に202…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、ゴール裏のアツ~い奴ら。

■日本の「体操関係者」たちだった⁉

 Jリーグは昨年の12月8日に2024シーズンが終了し、短いオフがあったものの、それもアッという間に終わった。各クラブはシーズンに備えたキャンプに入っている。しかし、試合はまだ1か月も先だ。「サポーター」たちは、そろそろ「シーズンオフ」に飽きてきた時期ではないだろうか。

 Jリーグのサポーターだけではない。日本代表のサポーターにとっては、「オフ」は昨年の11月から今年の3月まで、実に4か月間にもなる。昨年から好試合、好結果が続いているだけに、3月の試合を待ち切れない思いに違いない。

 日本代表のサポーターといえば、代表的なグループが「ウルトラス・ニッポン」。1992年に広島で開催されたアジアカップで日本代表の応援をリードし、日本のサッカースタジアムに「サポーター文化」を出現させた。そして30年以上たった今日も、日本代表戦でスタジアムの雰囲気を盛り上げている。

 そもそも、「ウルトラ」という言葉を、かつて私はロシア語だと思っていた。1964年の東京オリンピックのとき、ソ連の体操選手たちがものすごい技を出すと、NHKのアナウンサーが「ウルトラC!」と連呼していたからだ。しかし、もちろん、「ウルトラ」はロシア語などではなく、「ウルトラC」という表現をつくったのも、諸説はあるものの、日本の体操関係者たちだったらしい。

■相手の選手に「スペシウム光線」

「ウルトラ」という言葉は、はラテン語の「ultra(~を超えた)」という言葉がイタリア語にもそのまま受け継がれ、英語でも「極短な」「過激な」という意味を持つ「ultra(英語の発音は『アルトラ』)」となって、他の語とくっつけて、ごく普通に使われている。日本で大流行したのは、やはり東京オリンピック以降。1966年に放映された特撮のドラマ「ウルトラQ」(TBS系列)は大人気となり、それが「続編」の「ウルトラマン」シリーズにつながっていく。

 それにしても、1992年からの爆発的なサッカーブームのなかで、なぜサポーターの集団が「ウルトラス」と名乗るのか、不思議に思った人も多かったに違いない。Jリーグが始まったころにも「サポーター」という言葉はかなりよく知られていたが、「ウルトラス」は耳新しかった。スタンドから相手選手に向かって「スペシウム光線」を放とうというのか、しかし、サッカーは90分間なのに、たった3分間でエネルギー切れになってしまったら、選手たちも寂しいに違いない…。

 しかし、欧州では組織化されたサポーターグループをとくに「ウルトラス」と呼ぶことが多いということが、その後、広く知られるようになった。「ウルトラス・ニッポン」のリーダーである「洋行帰り」の植田朝日さんが名づけたものに違いない。

■最初に「ウルトラス」と呼ばれた組織

 サポーター集団に「ウルトラス」の名前が送られた最初は、イタリアだった。

 ACトリノ(現在の名称はトリノFC)のサポーターたちが、1951年に「フェデリシミ・グラナータ(ザクロ色同盟)」などの組織をつくった。もちろん、「ザクロ色」とは、トリノのユニフォームカラーである。イタリアのサッカーでは初めてのサポーター組織だった。

 サポーター組織は、次第にイタリアの各クラブに広がっていった。そして1960年代になって赤い煙を出す発煙筒など過激なパフォーマンスを見せるようになったACミランの「ライオンの巣穴」という名のサポーター組織が、「ウルトラス」と呼ばれるようになるのである。「かなり度を超している」といったニュアンスだったのだろう。やがて各クラブのサポーター組織は「ウルトラス」呼ばれるようになる。

 イタリアには、「クルバ curva」という呼び名もある。以前は、イタリアのスタジアムの多くは陸上競技場型で、ゴール裏スタンドはカーブしていた。「ウルトラス」はそのカーブしたスタンドに陣取っていたので、カーブを意味するこの呼称が始まったのである。

 ちなみに、「ウルトラス」や「クルバ」は、組織的なサポーター集団を意味している。イタリア語で一人ひとりのサポーター(ファン)は、「ティフォーゾ(複数形は『ティフォージ』)」である。この言葉は本来「チフス患者」を意味しているのだが、「サッカー」という熱病におかされた人というようなイメージなのだろうか。(2)に続く。

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