昨年のパリ五輪、その予選を通して強く印象に残ったアスリートがいる。競泳男子個人メドレーで五輪切符を逃した、当時20歳の小方颯(そう)=イトマン港北=。3月の代表選考会、同200メートルは五輪に0秒01及ばなかった。「一瞬、感情が無になった…
昨年のパリ五輪、その予選を通して強く印象に残ったアスリートがいる。競泳男子個人メドレーで五輪切符を逃した、当時20歳の小方颯(そう)=イトマン港北=。3月の代表選考会、同200メートルは五輪に0秒01及ばなかった。「一瞬、感情が無になった」とぼう然自失の表情は、競泳経験者として胸にくるものがあった。
パリを終えた9月のインカレ競泳。小方は200、400メートルに出場していた。選考会から半年。心の中を聞きたくて、声をかけた。「あれから、思い通りのトレーニングが積めなくて」。涙を流し、まだ葛藤していた。ただパリ五輪について聞くと「リアルタイムで見た。頑張るきっかけになった」。必死に前を向こうとしている姿もあった。
競泳は記録との闘い。屋内プールなら同じ水温、同じ水深など、外的要因に言い訳はできない。だからタイムは、非情に現実を突き付ける。「速くターンを回っておけば」「呼吸を我慢していれば」。かなわない「タラ、レバ」は、ずっと頭の中をかけめぐる。
大学4年の夏。私は初の全国切符をかけ、記録会で1500メートル自由形に臨んだ。序盤にりきみ、後半に大失速。「何のための4年間…」と後にも先にもない感情が湧き、今でも時間は戻らないものかと思う。小方にとっては五輪をかけたレースで0秒01差。タッチ板を押す力の強さで変わるといわれるほどの微差だ。
昨年11月のジャパンオープンで再会した。小方は「大きな挫折と、心の変化があった1年。苦しんだ1年でもあったし、これが自分の強さになれば。五輪までは3年ある。自分と向き合って頑張っていきたい」と言葉を並べた。全ては受け入れられていないかもしれない。だが21歳の青年は、再び一歩踏み出していた。視線の先には28年ロス五輪。3年後、夢舞台のコース台に立つ姿を記者席から見てみたい。(競泳担当・大谷 翔太)
◆大谷 翔太(おおたに・しょうた) 2018年入社。大相撲担当を経て五輪・ラグビー担当。東京五輪、パリ五輪、ラグビーW杯などを取材。