前橋育英のキャプテン、石井陽は大一番を前にしても表情がこわばるどころか、心の底から湧き上がるワクワクを抑えきれないとでもいうように、実に楽しげな笑顔で校歌を歌っていた。 結果が出た今となってみれば、この笑顔こそが試合の結末を暗示するものだ…
前橋育英のキャプテン、石井陽は大一番を前にしても表情がこわばるどころか、心の底から湧き上がるワクワクを抑えきれないとでもいうように、実に楽しげな笑顔で校歌を歌っていた。
結果が出た今となってみれば、この笑顔こそが試合の結末を暗示するものだったのかもしれない。
「こういう(国立競技場の)ピッチでできるとは思っていなかったというか、本当にできるんだなという実感と、こういう(5万8000人を超える)大人数の前でできることが本当に楽しみというのが重なって、ここから優勝をかけた戦いが始まると思ったらすごくワクワクして、自然とああいう顔になりました」
全国高校サッカー選手権大会決勝。前橋育英は1-1からのPK戦の末、流通経済大柏を下し、7年ぶり2回目の優勝を果たした。
全国高校サッカー選手権で7年ぶり2度目の優勝を飾った前橋育英
photo by Kishiku Torao
結果的にPK戦での決着となった決勝ではあったが、流通経済大柏が先制するも、前橋育英が追いつき、その後も両校に勝つチャンスがあった試合は、頂上決戦にふさわしい好ゲームだった。誰かが決めたら、というより、誰かが失敗したら決着がついてしまうPK戦で白黒つけるのはかわいそうでもあり、もったいなくもある。そんな試合に見えた。
ところが、当事者の実感は違っていた。前橋育英を率いる山田耕介監督が試合後に口にしたのは、少々意外な言葉だったのである。
「今日の試合は......、なんと言ったらいいか......、PKくらいじゃないと勝てない感じがしていた」
ともに高円宮杯U-18プレミアリーグEASTに所属する両校の今季対戦成績は、前期(前橋育英のホームゲーム)は流通経済大柏が2-0で勝ち、後期(流通経済大柏のホームゲーム)は2-0で前橋育英の勝ち。最終順位にしても前橋育英が6位、流通経済大柏が4位だったのだから、数字の上では両校の間に大きな差はなかった。
それでも山田監督曰く、「内容的には、ホームのときは0-2で負けたが、勝負にならなかった。逆にアウェーのときは2-0で勝ったが、それは相手が3-4-3で来たので、うちも3-4-3にしてミラーゲームにしたのがたまたまハマっただけ。内容的には向こうのほうが全然よくて、ボールも支配されて、相当力の差があるなというのが、今年の流経と前橋育英だった」。
とりわけプレミアリーグの前期で敗れた試合は、石井の表現を借りれば、「フルボッコにされた」というのだから、力の差を感じたのも無理はないのだろう。
とはいえ、相手の力を認めてはいても、負けるつもりで晴れの舞台に立つはずはない。石井が続ける。
「やっぱり流経さんのほうが個の力だったり、技術というのは高くて、そこに対して自分たちは個だけじゃなくて集団で戦おうということをずっと意識していた。それが、最初に1失点してしまったけど、同点に追いつけたりとか、その後に失点しなかったところにつながったのかなと思う」
ともにピッチに立っていた他の選手たちも、キャプテンに通じる肌感を抱いていた。
「前半は自分たちが勝てると思えるような試合運びをしていたが、後半が始まって、やっぱり流経は強いなと感じた」(オノノジュ慶吏)
「ゲーム内容的に見ても、流経のほうが上だったのかなとは思う。やっている感覚としては、ずっと攻められている感覚があった」(佐藤耕太)
前橋育英が誇る強力2トップがそう振り返ったように、謙虚に相手の実力を認めながらも、「そのなかでどう勝つか、という試合だった」と佐藤。オノノジュも、「流経にビビることなく試合に入れた。それでも勝てるとずっと思っていた」と振り返る。
はたして、10分ハーフの延長戦を含めた110分間のスコアは、1-1の引き分け。決勝点を奪うことはできなかったが、相手に決勝点を許すこともなかった。
その結果が、指揮官が"これしかない"と描いていたシナリオでの全国制覇である。
山田監督が穏やかな笑みを浮かべて語る。
「僕の頭のなかには、流経はものすごくいい選手がいて、いいチームだなというのがあった。内容的には互角だった? そんなことはないと思うけど(苦笑)。ただ力は向こうが上でも、彼ら(前橋育英の選手)は粘り強くやってくれた。本当に上出来だと思う」
時計を試合前まで巻き戻せば、石井は「(選手権の決勝で)流経さんとやれるのはすごく幸せだなと感じていた」。彼が見せたとびきりの笑顔は、最強と目するライバルの存在があればこそ、だった。
「前半の途中から育英らしさが出せて、自分的にもボールに触れていた時間が多かったが、後半はセカンドボールを拾えず、押し込まれる時間がすごく多かった。そういうところを見ると、内容は流経さんが上だったなとは素直に思うけど、やっぱりサッカーはそれだけじゃ勝てない。結果、勝ててよかったと思います」
前橋育英は流通経済大柏を称え、いたずらに強がることなく、謙虚な姿勢で大舞台に立った。ゆえに授けられた日本一の勲章である。