引退インタビュー梅崎司(大分トリニータ)前編 大分トリニータ、浦和レッズ、湘南ベルマーレでプレーしてきた梅崎司が、20年に及ぶプロサッカー選手としての人生を終える決意をした。大分に復帰したのは2021年の夏、34歳になっていた。あれから3年…
引退インタビュー
梅崎司(大分トリニータ)前編
大分トリニータ、浦和レッズ、湘南ベルマーレでプレーしてきた梅崎司が、20年に及ぶプロサッカー選手としての人生を終える決意をした。
大分に復帰したのは2021年の夏、34歳になっていた。あれから3年半──、多くを経験してきた彼は、プロの一歩を踏み出させてくれたクラブに何を残そうとしてきたのか。
選手を引退することを決意した経緯と、大分での日々について聞く。
※ ※ ※ ※ ※
梅崎司に20年間の現役生活を振り返ってもらった
photo by Sano Miki
── 20年に及ぶプロサッカー選手生活、お疲れ様でした。あらためて、2024年シーズン限りで引退を決意した経緯について聞かせてください。
「当初は、来季もどこかで選手を続けようと思っていました。大分トリニータから契約満了を告げられることは、自分のなかで覚悟していたので。というのも、自分の年齢や今季の活躍を思い返すと、シーズンの半分以上をケガで練習することすらできなかった選手を、クラブが来季も在籍させるかどうか。それが厳しいことは想像に難くありませんでした。
一方で、自分の経験や存在としては、ほかの選手とは違うものを残せていた自負もありました。だから、クラブから満了を告げられたほうが、心置きなく選手として新しいチャレンジができると考えていました。実際、トライアウトを受けるつもりで、日程も確認していたくらいなので」
── トライアウトを受けてまで選手にこだわろうとする姿勢は、梅崎選手らしいですね。
「相談した人のなかには、そこまでする必要はないのではないかと言ってくれる人もいました。でも、当初は浪人してでも、選手を続けようと思っていたんです」
── そこから考えが変わるタイミングがあったのでしょうか?
「大分からは、引退するのであれば(11月3日の)ホーム最終戦でセレモニーを行ないたいから、試合の前日までに結論を出してほしいと言われていました。契約満了を告げられた日から数日しか猶予がなく、当初はさすがに期日までに答えは出せないと伝えていました。
そこからいろいろな人と連絡を取り、相談もしましたし、意見も聞きました。その期間は、まるでジェットコースターのように、1時間ごとに気持ちが変わるくらいでした」
【将来への不安や希望、洗いざらい話した】
── 相談した人のなかには、選手を続けたほうがいいという意見と、引退して次に進んだほうがいいという両方の意見があったことが想像できます。
「自分自身の感情の起伏も激しく、こんなにも人と話して泣くものなのか、というくらいに泣きました。でもその時に、あらためて自分が人に恵まれていたことに気づかされました。なかには10年ぶりくらいに話す人もいたのですが、みんながみんな、自分のことを思って、それぞれの考えや知見、経験を伝えてくれました。そして自分の素直な気持ちに気づいたんです」
── それは?
「2、3年くらい前から指導者の道、ゆくゆくは監督になりたいと思っていたのですが、最終的に自分の心と対話したら、次のステージに進みたがっていた。それで、選手を引退することを決断しました」
── 相談したなかで、特に印象に残っている言葉をかけてくれた人はいるのでしょうか?
「湘南ベルマーレ時代にお世話になった曺貴裁(チョウ・キジェ/京都サンガF.C.監督)さんの言葉は、やはり大きかったです。
選手を続けるにしても、僕自身は身体のことが気がかりで、昨季も含め、年々ケガが増えていました。ケガがなければ、2023年も半分以上はリーグ戦に出場することができたように、そこだけが不安でした。今季も肉離れを繰り返し、練習に復帰してからも、ずっと再発を怖れていたくらいだったので。
選手としての思い、将来への不安や希望、そうしたすべてを曺さんには、洗いざらい話した時に言われたんです」
── 何と?
「『お前が現役を続けるかどうか、悩んでいる話を聞いたのは初めてだ』って。『今まであれだけ現役にこだわっていたのに、選手を続けるかどうか考えている。それがひとつの答えなんじゃないか』と言われたんです。それで『自分自身が次のステージに行きたがっているんじゃないか』って。
最終的に曺さんは、『一度、選手を引退したら戻れないから、しっかり自分で判断して決めるように』と言ってくれましたが、僕にとっては自分でも気づかない心根を見透かされたようで、心に刺さる言葉でした」
【ここで選手として終わることができれば...】
── 限られた時間のなかで、家族にはどのように伝えたのでしょうか?
「妻は、僕の意見に賛同してくれました。ここ数年、選手を続けながらもケガが多く、どこかつらそうに見えていたと言ってくれました。僕が次のステージに進んだ時の姿が見えると言ってくれ、自分がやりたい道に進めばいいと背中を押してくれました。
ただ、11歳になった娘だけは『パパ、やめないで』『絶対にまだできる』と言っていたので、その時だけは『もう一度、選手として輝いている姿を見せなければ』と思って、迷いましたけどね。最終的に『それでもパパは次に進むよ』と話したら、納得してくれました」
── 2021年7月に大分に復帰して3年半。ユース時代から過ごし、プロのキャリアをスタートさせたクラブで、選手を終えられることも特別だったのではないでしょうか?
「その感謝は、言葉では言い表せないですね。おそらく、多くの選手がそうした終わり方を望んでいると思うのですが、みんながみんな、そうしたキャリアの終わり方を迎えられるわけではないので。
大分から復帰のお話をいただいたのが34歳。間違いなく選手としてのキャリアが終盤に差しかかっているタイミングでした。湘南ではその年、J1リーグで2試合しか出場機会がなく、それでも大分が自分の復帰を望んでくれたことは、本当に幸せでした。
その2021年は、大分でも4試合しか出場できませんでしたが、翌2022年は復活というか、もう一度、自分のプレーを見せられた感覚もあったし、チームメイトとも、ファン・サポーターとも喜びを分かち合えた思いがありました。だから、なんだろうな......ここで選手として終わることができれば、という思いも大きかった」
── ホーム最終戦後に行なわれた引退セレモニーを見ても、その後のファン・サポーターとの交流を見ても、大分で愛されていたことが伝わってきました。
「自分自身で復活できたと感じている2022年は、湘南時代とはまた違った形で、チームの中心として関われている感覚がありました。それは、いち選手としてだけではなく、2023年にはキャプテンもやらせてもらいましたし、大分でそうした存在になれたことがうれしかったですね。
ファン・サポーターの皆さんも、僕に対してプレーだけではない何かを期待してくれているのも感じていたので、自分が育ったクラブでそうした経験ができたことは、自分のなかでも本当に大きかった」
【明らかにチームが変わっていく様を実感】
── 若かりし頃に在籍していた時と、復帰してからでは、チームに対して働きかけられることも変わっていたように思います。
「全然、違いました。僕自身の考え方も大きく変わりましたから。一方で、選手としてはもう一度、輝きたいという強い思いもありました。実際、2022年は自分のフィットネスも上がった感覚があり、それによりゴールに向かう姿勢も出てきて、決定機も作り出せていたし、その形からゴールも獲れていた。
加えて、下平隆宏監督のもとでうしろから丁寧につないでいくサッカーに触れ、シャドーの位置でプレーしていましたが、浦和レッズ時代に指導を受けたミシャさん(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)とはまた異なるシャドーの役割を求められました。
自らボランチの脇まで下がってビルドアップに関わるプレーは新鮮で、指導者に転身する今後にも生きていくような学びがありました。それにトライすることで、選手として、新しい自分も見せられたと思っています」
── 梅崎選手の魅力は、プレーだけでなく、常にうまくなろう、吸収しようとする姿勢にあったように思います。
「選手として、常に自分を表現したいという思いがあったので、そう言ってもらえるとうれしいですね。
プレーにおける個の成長に加えて、湘南時代は初めてリーダーとしての役割も求められました。曺さんから若手選手に対してこういう姿勢を見せてほしいというリクエストや、また2018年には日本人最年長になり、年齢が高い選手に対しても話をすることもありました。
時には、年上の選手に対して、それを要求するのは大変で、厳しいと思うこともありました。だけど、それを自分が言う、もしくは見せることで、明らかにチームが変わっていく様を実感できていたので」
── 湘南で、それまでの空気を変えるような役割を求められたわけですね?
「2018年に湘南に加入する時から、その役割については求められていました。当時の湘南はある意味、真面目な選手が多すぎるから、その雰囲気や空気を壊してほしいと言われていました」
【チームメイトに対して厳しい発言もした】
── 3年半を過ごした湘南では、リーダーとして新しいミッションにトライしたわけですね。
「自分が熱量を持って周りに話をしたり、伝えることで、チームにプラスの相乗効果が生まれたんです。それによって、僕自身もほかの選手から相談される機会も増えましたし、続けていった結果、2018年にYBCルヴァンカップ優勝という結果をつかみ取ることができました。
自分のなかでも、いち個人としてだけでなく、チームとしてどうあるべきかを考えて得られたものや時間、経験は、それまでとは違った感動がありました。ただ、それを曺さんのもとだったからできたというのは悔しくて、復帰したトリニータでもそうした役回りにチャレンジしたかったんです」
── なるほど。
「だから、僕がトリニータに戻ってくる意味も、リーダーとしての存在価値にあったと思っています。復帰した2021年は、そこまで多くのことはできなかったですが、2022年は自分なりに、このままのチームではいけないと思う瞬間もあって、試合後にチームメイトに対して厳しい発言をしたこともありました。
その結果、チームメイトにも思いは伝わって、試合前の円陣では自分が話をするのが恒例になりました。自分の言葉や姿勢、行動の何が、周りの選手に火を着け、一致団結して戦えるかも考えましたし、そうしたことを考えながら過ごしたトリニータでの3年半は、結果的にリーダーになれたかどうかは別として、プレーだけではない何かを残せたのではないかと思っています」
(つづく)
「埼玉スタジアムが揺れる感覚は、ほかには代えがたい瞬間」
【profile】
梅崎司(うめさき・つかさ)
1987年2月23日生まれ、長崎県諫早市出身。2005年に大分トリニータU-18からトップチームへ昇格し、翌年にはレギュラーに定着。同年8月には日本代表デビューを果たす。2007年1月にフランス・グルノーブルに期限付き移籍でプレーしたのち、同年12月に浦和レッズに移籍。2018年から湘南ベルマーレ、2021年から大分トリニータで活躍し、2024年11月に現役引退を発表した。ポジション=MF。身長169cm、体重66kg。