湘南は11日、平塚市内で新体制発表会を行った。J3のFC大阪から加入したGK永井建成(29)は、J2、J3、JFL、さらに地域リーグでのプレーも経て、キャリア12年目で初のJ1挑戦。「目標にしてきたJ1にこられてうれしいし、光栄です。(移…

 湘南は11日、平塚市内で新体制発表会を行った。J3のFC大阪から加入したGK永井建成(29)は、J2、J3、JFL、さらに地域リーグでのプレーも経て、キャリア12年目で初のJ1挑戦。「目標にしてきたJ1にこられてうれしいし、光栄です。(移籍が)決まった時は、震えました」と笑顔を見せた。

 Jリーグでプレーしていた選手が、年齢を重ねていく中でカテゴリーを落とし、JFLや社会人リーグで引退する、という例は多い。その中で、永井のキャリアは異例だ。高校時代は京都橘高で注目を集めた“スターGK”だった。2年生時、2012年度の全国高校サッカー選手権は、MF仙頭啓矢(現町田)、FW小屋松知哉(現柏)らを擁したチームのゴールを守り準優勝。3年時もベスト4に進出し、卒業後はJ2熊本に入団した。しかし3年間ポジションをつかめず、17年には地元の京都(当時J2)に移籍したが芽は出なかった。

 京都を退団時は22歳と若く、社会人リーグでのプレーを選択。仕事とサッカーを両立させる生活が始まった。18年に加入した東北2部リーグのいわきFC(現J2)では、ウェアの発送や検品などの仕事を行いながらプレー。19年の関西2部ポルベニル飛鳥(現JFLの飛鳥FC)所属時は、製粉会社で1日4トンのミックス粉を作る作業に従事した。「食品を扱うので、マスクに帽子、夏でも空調がない環境での作業で(作業員が)倒れてしまったり、もあった」。20年にはJFLのティアモ枚方に加入したが、21年末には契約満了に。当時25歳。クラブ関係者には、今後の人生を考えて引退を勧められ「もうやめた方がいいのかな。(サッカーは)向いてないのかな、とも思った」と言う。

 それでもあきらめきれず、22年はJFLのFC大阪に「拾ってもらった」。これが転機となる。この年、チームのJ3昇格とともに“Jリーグ復帰”を果たすと、23年には38試合に出場し、リーグ最多のクリーンシート(16試合)を達成。昨季も37試合に出場し、チームはリーグ最少失点(31失点)、2年連続の最多クリーンシート(18試合)も達成し、J3の優秀選手に選出された。

 Jリーガーとしてキャリア最高の時期を迎えたが、年齢は29歳に。J1でのプレーは夢だったが「今年30(歳)やし、(J1は)J3から取らないだろう。若手の選手を育てるだろう」と考えていた。オフには長年支え続けてくれてきた女性と結婚し、12月中には式を挙げ、年末には新婚旅行に沖縄へ。現地に到着し、スマホを見ると代理人からのメッセージが届いた。湘南からのオファーが届いた知らせだった。「何回も見直すんですよ。LINEを。え? ちょっと待って?って。嫁にもちょっと、これ見てって。なんか全然実感がわかなくて」。実感を得られぬまま、移籍は決定。紆余(うよ)曲折のキャリアをたどってきた男は、とうとうJ1の舞台にたどり着いた。

 JFLで契約満了となった際に引退していたら、J1チームに所属するという夢はかなわなかった。当時、引退も考えていた永井に「やりたいのなら、もうちょっとがんばってみたら?」と背中を押してくれたのが、当時は交際中だった現在の妻。「去年、失点数最少などの結果を残せたのは、本当に周りの人のおかげ。一番嫁が苦労したのかなと思う。今、思い出したらちょっと泣きそうです」と目を潤ませた。

 湘南では経験豊富な35歳GK上福元らと、これまで経験したことがないハイレベルなポジション争いが待ち受ける。夢だったJ1デビューは、決して簡単なことではない。「ここに来て一番思うのは、今、地域リーグでがんばってやっている選手たち、Jを目指している選手たちに向けて、チャンスはあるよと伝えていきたい。僕もはい上がってきた人間なので。気持ち、行動次第では、ここ(J1)まで来られるということを伝えたい」。重ねてきたキャリアの分だけ、人間としての成長も遂げてきた29歳。夢に見たJ1のピッチを目指し、新たな挑戦が始まる。