聴覚障がいのあるアスリートの世界最高峰の国際スポーツ大会、「第23回デフリンピック夏季大会」が7月18日から30日までトルコで開催された。約100の国と地域から3000人を超える選手が全21競技に参加。日本からは11競技に108 選手…

 聴覚障がいのあるアスリートの世界最高峰の国際スポーツ大会、「第23回デフリンピック夏季大会」が7月18日から30日までトルコで開催された。約100の国と地域から3000人を超える選手が全21競技に参加。日本からは11競技に108 選手が出場し、過去最多となる全27個(金6、銀9、銅12)のメダルを獲得、出場国中で第7位になった。前回(2013年)のブルガリア大会での21個・10位からの躍進だった。



7月のデフリンピックで7つのメダルを獲得し、活躍した金持義和選手

 日本チームの好成績に大きく貢献した1人が、水泳の金持義和(かなじ・よしかず/エイベックス)だ。専門とする個人背泳ぎや4×100mメドレーリレーなど7種目に出場し、銀4つ、銅3つのメダルを積み上げた。

「メダルを7つ獲り、日本選手団のメダル目標25個に貢献できたことはよかった。でも、目指していた金メダルが獲れず、悔しいです」

 実は金持にとって、トルコ大会は2回目のデフリンピックで、前回ブルガリア大会では50m背泳ぎで金メダルを獲得。当時の世界新記録を叩き出す快泳だった。

 今大会での連覇を目指し、金持はこの4年、強化に挑んできた。まず、レーススタイルの改善に取り組んだ。前半から積極的にとばし、後半は耐えて逃げ切る従来のスタイルは失速のリスクと背中合わせだったからだ。そこで、前半は流れをつかみながらペースを抑え、後半にスピードアップするよう意識を変えた。

 さらに、昨年秋には思い切って練習環境も変え、大学の水泳部から民間のスイミングクラブに移籍した。決め手は背泳ぎの名コーチがいたこと。専門種目に特化して磨きをかけたいと考えたからだ。コーチにはまず、フォームから直された。特にスタートからフィニッシュまで全力で行なうストロークは上下動が激しく、無駄が多いと指摘され、力の入れ具合にオンオフがあるストロークへの修正を指示された。「入水時はしっかりとかき、水から腕を出す時は自然な流れでリラックスする。泳ぎの効率が高まれば、課題である後半の失速も抑えられる」という理論だ。

 そうして臨んだ今年のデフリンピック・トルコ大会。200m背泳ぎでは最初の50mのターンは6位だったものの、その後4位、3位と徐々に順位を上げ、銀メダルを手にした。ストロークの修正も完全とはいえないが、一定の手応えはあったという。

 ただ、4年前に競り合ったアメリカ選手をはじめ、世界も伸びていた。金持は「金メダルも獲れず、目標タイムもクリアできなかった。改善中の泳ぎも満足のいくものではなかった。まだまだです」と振り返る。

 専門コーチに師事したことで、改めて背泳ぎと向き合い、「新しい発見や学びが楽しい」という金持。次の4年は、「いろいろ吸収しながら、『自分流』をつくっていきたい」と意気込む。

 金持は1994年佐賀県に生まれ、生後8カ月から水泳を始めた。1歳で発症した髄膜炎の影響で徐々に聴力が低下、6歳頃に左耳の聴力をほぼ失い、右耳は補聴器を使っている。それでも唇の形で理解する「口話」も身につけ、普通校の水泳部で泳力を磨き、高校総体や国体などでも活躍してきた。

「泳ぐときは補聴器を外すのでコーチの指示は聞こえません。練習では、一度プールから上がって指導を受けることもあります。タイムの読み上げは声でなく、指で示してもらっています。一般の大会ではスタートのピストル音は聞こえないので、スターターのほうに顔を向け、ピストルの先のわずかな光を目で確認しスタートを切っています」

 健聴者のなかで戦ってきた金持には、4年に1度のデフリンピックとは別に、持ち続けている夢がある。「日本水泳連盟が主催するジャパンオープンと日本選手権大会への出場」だ。50mの背泳ぎでは参加標準記録にあと0.1秒に迫る。

 そのために、泳ぎに必要な筋肉をつけ、カウンセリングなどで精神面での充実もはかり、オンとオフのある泳ぎを追求していく覚悟を持っている。

 そして、金持にはもうひとつ使命と感じていることがある。それはデフリンピックの知名度を上げることだ。2020年東京パラリンピックの開催が決まり、混同されることも少なくない。異なる2つの大会であることを理解してもらい、ともに応援してもらえたらと願う。

 デフリンピックは、「デフ(聴覚障がい者)のオリンピック」という意味で、4年に1度開催されている最高峰の大会だ。オリンピックとほぼ同じルールで行なわれており、試合中は補聴器の使用は認められず、それぞれの聴力で戦わねばならない。



現在、大学院に通いながら練習を続けている

 そこで、水泳や陸上競技などのスタートはランプ式で行なわれ、サッカーなど球技では審判は笛に加え、手旗も併用するなどルールがアレンジされている。競技にもよるが、選手は音声に頼れない分、頻繁に頭を動かして視覚で情報を集め、チーム競技ではアイコンタクトや手話、練習で培った阿吽(あうん)の呼吸などを駆使して戦う。

 国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)が主催し、夏季は1924年のフランス大会から、冬季は1949年オーストリア大会から始まった。1960年ローマ大会を第1回とするパラリンピックより長い歴史があるが、オリンピックと同年開催のパラリンピックに比べ、デフリンピックの認知度はまだ高くないのが現状だ。

 とはいえ、日本国内では少しずつ、盛り上げていこうという動きも見られる。たとえば、今年6月には、超党派の障がい者スポーツ・パラリンピック推進議員連盟が「デフリンピック支援のためのワーキングチーム」を発足させた。

 また、トルコ大会開幕直前には日本選手団壮行会が参議院議員会館で開かれた。デフリンピック選手団の壮行会開催は史上初めてのことだ。

 金持は、「僕は参加できなかったんですけど、参議院議員会館で壮行会をやると聞いてびっくりしました」と言う。そういった状況も含めて「デフリンピックに関する報道も増え、4年前よりも注目度は上がっていると思います。ようやく始まったな、という感じです。もっともっと知ってもらえるように、競技で結果を出し、普及活動にも積極的に関わっていきたい」と未来を見据える。

 現在、23歳。メダリストとして金持の挑戦は、まだ続いていく。

【エイベックス・チャレンジド・アスリート Website】
http://avex-athlete.jp

【金持義和 Official Blog】
http://ameblo.jp/kanaji-yoshikazu/

【金持義和 Facebook】
https://www.facebook.com/kanaji.avex/