昨年、Jリーグ2連覇と天皇杯制覇を達成した神戸は阪神・淡路大震災と切り離せない因縁がある。1995年1月1日にクラブ創立。同17日、チーム初練習を予定していた朝に未曽有の大災害に襲われた。吉田孝行監督(47)は当時、Jリーグ横浜F入りを控…

 昨年、Jリーグ2連覇と天皇杯制覇を達成した神戸は阪神・淡路大震災と切り離せない因縁がある。1995年1月1日にクラブ創立。同17日、チーム初練習を予定していた朝に未曽有の大災害に襲われた。吉田孝行監督(47)は当時、Jリーグ横浜F入りを控えた滝川二高3年生。被災地への思いはサッカー人生の原動力になっている。

 晴れやかな始動のはずだった1・17、神戸は絶望のどん底からスタートした。震災で神戸市西区の練習場はがれき置き場となり使用できず、チームそろって初練習ができたのは2月6日。岡山県倉敷市の川崎製鉄のグラウンドを借りてスタートした。そんな逆境を経て、昨年は震災から30年の節目を前にリーグ2連覇を達成。天皇杯も制し、Jリーグで敵なしの強豪クラブに成長した。

 吉田監督も震災を体験し、心をえぐられる思いをした。当時は同県川西市在住で滝川二高3年生。自宅で「今も忘れない」ほどの大きな揺れを経験した。実家は被害に見舞われることはなかったが、時間が過ぎるにつれて被害状況を知り「若すぎて今ほど考える力はなかったが、それでもやはり衝撃すぎた」と振り返る。卒業後は横浜Fの入団が内定していた。心痛のまま被害の爪痕が残る故郷を後にしたつらさは、今も忘れることができない。だからこそ「そこから街も復興したし、震災とともにヴィッセルも歩んでいるし成長している」と実感している。

 08年に神戸へ移籍し13年まで現役を続けた。震災から20年目の15年には、発起人としてノエビアスタジアムでチャリティーマッチを開催。「何か神戸のためにできないか、震災のことも忘れてほしくないし、次の世代に防災意識を伝えられたら」という故郷への恩返し、若い世代への継承を願ってのものだった。

 山あり谷ありの歴史を歩んだ神戸は現在、3連覇を狙う立場にいる。就任2年半で残留争いのチームから王座へ導いた指揮官は「去年は天皇杯、Jリーグも優勝できたし、僕らは地域の人たちと一緒という思いが強い。プロを目指す子どもたちや、会社で働きながらヴィッセルの試合を楽しんでいただいている方々に『明日も頑張ろう』という勇気を与えたいし、ヴィッセルはそういう存在であり続けなきゃいけない」と、クラブの担う役割を理解している。

 30年を経て、これからの震災の伝え方、兵庫県の発展にも目を向ける。「神戸というクラブと震災は切り離せない。30年前を知る人も少なくなっている。知らない子供も多いと思う。そういう意味で震災を忘れないのも大事だし、震災とともに立ち上がったクラブであるというのも、今の選手たちも知らなきゃいけない」と話す。かつては、震災から立ち上がったクラブの歴史を描いた映像を自作し、選手に説明したこともある。

 クラブの未来と同時に、兵庫県の将来にも期待を寄せる。「地元から世界に出て活躍する人材、サッカーだけでなく他のスポーツや、スポーツじゃなくていろんな分野でも、そういう人材が出て来るというのが、神戸市や兵庫県にとっていいことだと思う。世界へ出ていく人材を育てなきゃいけない。だからヴィッセルは街を勇気づける存在でいなければいけないと思っています」。被災地の歴史と“トモニ”神戸は歩み続ける。

 ◇吉田孝行(よしだ・たかゆき)1977年3月14日、兵庫県川西市出身。滝川二高のとき、U-17世界選手権に中田英寿、宮本恒靖らとともに出場した。95年に横浜Fに入団し、合併に伴い横浜M移籍。2008年に神戸に移籍し、13年に引退した。17、19、22年とシーズン途中から神戸監督に3度就任。21年はJ2長崎を指揮した。家族は夫人と長女。