サッカー日本代表の長年のライバル、韓国代表チーム。つい数年前まで、日本の前に「高い壁」として立ちはだかり続けた。そんな彼らのストロングポイントのひとつといえば、屈強なフィジカルだろう。その肉体をキープするためか、韓国人は「大食漢」が多いと…

 サッカー日本代表の長年のライバル、韓国代表チーム。つい数年前まで、日本の前に「高い壁」として立ちはだかり続けた。そんな彼らのストロングポイントのひとつといえば、屈強なフィジカルだろう。その肉体をキープするためか、韓国人は「大食漢」が多いと断言するのは、サッカー観戦で数えきれないほど隣国を訪れている蹴球放浪家。韓国代表選手の強さの秘密かもしれない(?)、その「大食漢ぶり」を、後藤健生が現地からリポートする!

■「日本人がやって来た」宴会の口実に

 元代表監督の沈さん以外にも、知り合いの韓国人は何人もいました。

『朝鮮民衆の社会史』に書いてあったように、彼らは本当に宴会が好きでした。「日本人がやって来た」というのは宴会を開くための格好の口実となったようで、歓迎だと称して毎日のように宴会が開かれ、昼間に暇がある人は案内と称してついてきたりします。その人間関係の濃厚さには、本当にビックリしました。

 そして、たしかに大食でした。マッコリ(濁酒)やソジュ(焼酎)、メッチュ(麦酒=ビール)をしこたま飲んで、真夜中まで食べ続けます……。

 中でも、驚いたのが沈さんとウナギ屋に行ったときのことです。

 ソウル市内を悠々と流れるのが漢江(ハンガン)です。日本の川とは比べ物にならないほどの水量を誇る、大陸的な川です。ソウルの旧市街は南山(ナムサン)の北に広がっていました。朝鮮王朝時代には、南山の向こう側の漢江沿岸には貴族たちが別荘を構えていました。また、沿岸は生糸の生産が盛んで蚕が育てられていました。1988年のソウル・オリンピックのメインスタジアムは蚕室(チャムシル)という所に建設されましたが、今でも、「蚕」という字が付く地名がいくつか存在しているのです。

 そして、大きな川のそばではウナギもたくさん獲れたのでしょう。ウナギは韓国でもよく食べられています。

 ちなみに、韓国語ではウナギ(鰻)は「チャンオ」。漢字で書くと「長魚」。見たままですね。

■直径30センチ以上の大皿に「山盛り」

 沈さんが運転する軽自動車に乗って、南山を越えて漢江近くのウナギ屋に行きました。立派な料亭風の建物で、木々に囲まれ、落ち着いた雰囲気でした。

 出てきたのは、タレをつけて焼いたウナギ。つまり、日本のかば焼きと同じでした。

 ただし、違うのはその量です。日本では、うな丼にしても、うな重にしてもウナギのかば焼きはごはんの上に乗せられて提供されます。酒を飲むときには、皿の上にかば焼きや白焼きが1尾分(あるいは一切れ)乗って出てきます。

 しかし、韓国のかば焼きは大きな皿の上に山盛りになっていたのです。いや、本当に大きな直径30センチ以上の大皿でした。それを、ソジュを飲みながらパクパクと食べていくわけです。ウナギといえば、相当に脂ののった魚です。2人がかりでようやく皿の上のウナギのかば焼きを平らげました。

■「韓国恐るべし」まさかの延長戦

「ああ、よく食ったなぁ」と、僕がホッとした瞬間、沈さんはどうしたと思いますか?

 手を叩いて店員を呼び、もう1皿、追加注文をしたのです(日本でも韓国でも手を叩くという行為は人を呼ぶ動作。喝采のために手を叩く習慣はもともと西洋のもので、明治維新後に取り入れられた)。

 いやあ、ふだんは杖をついてヨボヨボと歩いている老人が、あのかば焼きの大皿を1皿平らげて、さらに追加注文するとは……。「韓国恐るべし」と思いました。

 最近はウナギの稚魚が足りずに、ウナギの値段はまさにうなぎ上り。思い出してみると、2024年は、とうとう一度もウナギは食べずに過ぎてしまいました。考えてみれば、僕は、あのとき、ソウルで一生分のウナギを食べてしまったような気がします。

「朝鮮の人たちは大食漢だ」

 19世紀に朝鮮で布教活動をしたフランス人神父のシャルル・ダレや19世紀末に朝鮮で暗躍した日本人、本間九介といった人たちの意見に僕もまったく同感します。

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