1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から間もなく30年を迎える。節目の日を前に、未曽有の自然災害を経験した各界著名人が当時を振り返る企画「あの日、あの時」。今回は元オリックス投手でデイリースポーツ評論家の佐藤義則氏。「がんばろう…
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から間もなく30年を迎える。節目の日を前に、未曽有の自然災害を経験した各界著名人が当時を振り返る企画「あの日、あの時」。今回は元オリックス投手でデイリースポーツ評論家の佐藤義則氏。「がんばろう神戸」を合言葉に11年ぶりのリーグ優勝を飾った当時を振り返り、震災に対する思いを明かした。
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未曽有の大震災から今年で30年。「もうそんなにたつのかって感じ。つい最近のことのように感じるけど」。元オリックスの佐藤義則氏(70)の中では震災の記憶は今も生々しく刻まれている。
前日に海外から戻ったばかりだった佐藤氏は宿泊していた大阪市内のホテルで被災した。すぐに家族の無事は確認できたが、神戸の自宅に戻れたのは1週間後。大阪から知人の船で神戸に移動した。チームメートには自宅が損壊したり、車の中で避難生活を強いられた選手もいたという。
とても野球どころではなかったが、「余震のある神戸にいるよりは安全」ということで、2月の宮古島キャンプには選手全員が参加した。4月1日、グリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)で行われたロッテとの開幕戦。まだ街には震災の爪痕が残り、多くの人が避難所暮らしを強いられていたが、スタンドには3万人の観衆が詰めかけた。「びっくりした。こんなに人が来るとは」。開幕投手を務めた佐藤氏は7回2失点(自責1)の力投。自身は勝てなかったが、オリックスは勝利した。
チームは「がんばろう神戸」を合言葉に戦い、6月に首位浮上。最終的には2位ロッテに12ゲーム差をつけて、11年ぶりのリーグ優勝を飾った。佐藤氏も8月26日の近鉄戦(藤井寺)でNPB史上最年長記録(当時)となる40歳11カ月でノーヒットノーランを達成し、球史に名を刻んだ。
「自分たちも被災者であり、被災した人たちと一緒に頑張っていこうという気持ち。自分たちの力以上のものを出せて、みんなで勝つことができた。特別な一年だった」
佐藤氏は阪神・淡路大震災の2年前、93年7月の北海道南西沖地震でも故郷の奥尻島が大津波に襲われ、伯母を失っていた。楽天投手コーチだった11年3月にも東日本大震災に遭った。チームは遠征中で、仙台に戻れたのは1カ月後。佐藤氏も自宅に亀裂が入り、転居を余儀なくされた。
3度も大地震を目の当たりにした。だからこそ、現役を離れた今も野球人として強い信念がある。「今の選手たちはよく『被災者のために』という言葉を使ったりするけど、俺はちょっと違うんじゃないかと感じる。プロは勝ってナンボの世界なんだから、自分のために頑張って勝つことが一番。負けてばっかりじゃ、なにやってるの?ってことになるからね。その結果として、見ている人を励ましたり、勇気づけたりできればいいんじゃないかな」。勝負師として生きてきた佐藤氏らしいこだわりだ。
◇佐藤 義則(さとう・よしのり)1954年9月11日生まれ、70歳。北海道出身。現役時代は右投げ右打ちの投手。函館有斗から日大を経て、76年度ドラフト1位で阪急(現オリックス)入団。最多勝(85年)、最優秀防御率(86年)、新人王(77年)。95年8月26日・近鉄戦でノーヒットノーラン。98年現役引退後は阪神、日本ハム、楽天などの1軍投手コーチを歴任。現デイリースポーツ評論家。通算501試合に登板し165勝137敗、防御率3・97。