) 今のアジャコングが「アジャコング史上最高」――。最高のアジャコングはどのようにして生まれたのか? その謎に迫るインタビュー第4回では、ブル中野との抗争、「チャンピオンの器」、リング上での相手との「会話」などについて聞いた。ブル中野(左)…
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今のアジャコングが「アジャコング史上最高」――。最高のアジャコングはどのようにして生まれたのか? その謎に迫るインタビュー第4回では、ブル中野との抗争、「チャンピオンの器」、リング上での相手との「会話」などについて聞いた。
ブル中野(左)をカナディアンバックブリーカーで担ぐアジャコングphoto by 東京スポーツ/アフロ
【ブル中野からベルトを獲ったあとの悩み】
――かつてアジャ選手は、「強くなりたいというよりも、強いアジャコングでいることをみんなが求めているから、『みんなが求めるアジャコングにならなきゃいけない』という気持ちがすごく強かった」と発言していますね。
アジャ:20代の頃、(ブル)中野さんとやっている当時ですかね。ただ、中野さんからベルト(WWWAシングル王座)を獲った瞬間に思ったのは、「よし、やったぞ!」じゃなくて、「明日からどうしよう......」だったんです。当時の私はブル中野を倒すことを目標にやってきたので、それがなくなってしまった時に、喜びよりも「明日から私、何をすればいいんだろう」という思いが先に来てしまって。
――燃え尽き症候群のような?
アジャ:ある意味そうですね。ちょうどその頃から対抗戦が始まったんですけど、私からするとそんなのどうでもいい。最強のブル中野を倒しているんだから、これ以上のものはない。中野さんに「これからお前の時代だ」とマイクで言っていただいて、その時に「強いアジャコングでいなきゃいけない」と思いました。ブル中野を倒したアジャコングなんだから、最強でいなきゃいけない。今考えれば、「最強って何?」という話なんですけど。
「最強ってどうしていけばいいの?」「ずっと勝ち続けることが最強なのかな?」とか、いろいろ考えました。当然、最高峰の"赤いベルト"を誰にも獲られてはいけないっていうのはあったんですけど、ただ、誰かとやって守っていくだけでいいのかとか、ファンや周囲が思うアジャコング像はどういうものなのかとか、すごく考えて深みにはまった時期だと思います。
――今はどのように考えていますか?
アジャ:今はなんにも考えてないです。私がやりたいことをやって、それを見る人たちが面白いと思うかどうかはそちらの自由、という感じになりました。年齢も重ねてきて、今が最高の自分ですけど、最強だとは思っていない。若くて活きのいい選手とやれば、結果として負けることはあるかもしれないですけど、でも、内容では勝ってたかもしれないよね、とか思ったりもしますね。
【全女は「クソみたいな会社だったけど、恨みはない」】
――Netflixの『極悪女王』をきっかけに、全女の"異常さ"がフィーチャーされました。アジャ選手から見て、全女はどんな団体でしたか?
アジャ:『極悪女王』の100倍くらいスーパーブラックな会社でしたね(笑)。ドラマではあれくらいしかできないだろうな......。「長与千種 還暦祭」で長与さんが「全女は大嫌いだけど、大好き」と言ってたように、本当にどうしようもないクソみたいな会社だったけど、不思議と恨みはないんですよ。あんな会社でやれたんだから、世の中で怖いことなんて何もないなと思うし、ある種、あんなに面白い会社はなかったとも思うんですよ。全女で育って、ある程度、名前を残させてもらった人間たちからすると、「大嫌いだけど、大好き」が共通項になると思います。
――どんなところが大嫌いで、どんなところが大好きですか?
アジャ:人としては最悪だと思うんですよ。会社としてのやり方も本当にチャランポランだし、「よく株式会社を名乗ったな!」って思うくらいです。でも、だからこそ私たちも好き勝手にできたし、私たちが少し生意気なことを言っても、お金を生み出している限り、あの人たちはクビを切らないし文句を言わない。20歳やそこらの小娘が「うるせー、クソジジイ!」って言っても許されるんです。
――そんな関係だったんですね。
アジャ:会社とはしょっちゅうケンカしてました。「ふざけんな!」と言って事務所を出ていく、といったことは日常茶飯事。普通、そんなことを社長たちに言ったら、即クビですよね。それでも、お金を生み出す人間たちに関しては、笑って許してくれる会社だった。寛容......ではないか(笑)。対等でいられた会社ではありました。
【リング上で相手とする会話】
――全女を退団してフリーになってから、長与さん率いるGAEA JAPANに参戦されます。2001年12月15日、里村明衣子選手とのタイトルマッチに敗北し、AAAWシングル王座を失いましたが、里村選手はその数日後の会食でひと言も話すことができず、「こんなのチャンピオンじゃない!」と思ったそうなんです。アジャ選手から見て、当時の里村選手はまだチャンピオンの器ではなかったですか?
アジャ:チャンピオンの器というのは、チャンピオンになってからできるんです。私も中野さんからベルトを取った時は、"チャンピオンになるくらいの実力はついた"というだけで、そこからのチャンピオン像とかチャンピオンの器は、自分で作っていくしかなかった。チャンピオンになってから器が作れなかった人は「その器じゃなかった」と言われるだけですし、きちんとしたものを作っていけば、「器のデカいチャンピオンだったな」と言われる。明衣子はベルトを取って早々に「チャンピオンの器じゃない」と思ったとのことですが、そもそもまだ器がないんですから。
プロレスのチャンピオンって言ったって、世間の人は誰も知らない。「プロレスのチャンピオンです」と言ったところで、「へえ、それで?」となってしまう。でも、チャンピオンとしての器を自分がちゃんと作っていくことで、「この人ってすごいチャンピオンなんだな」と思わせることはできます。器は自分で作るものだと思いますね。
――アジャ選手は誰と闘っても名勝負にしてしまうレスラーだと思います。どうすればアジャ選手のように、対戦相手の力量や相性などに左右されないレスラーになれるのでしょうか。
アジャ:手が合う、合わないというのはあるんですけど、手が合う人との試合だから名勝負になるとは限らない。井上京子とやっている試合では、「こいつはたぶんこう来るから、三手先でこういってやろう」って先の読み合いをするのがすごく楽しい部分ではある。でも、逆に堀田(祐美子)選手などはあんまり手が合わなかったですけど、手が合わないなら合わないで、ケンカすりゃあいいだけの話なので。お客さんが見たいものは"闘い"。それならば、その人に合った闘いをすればいいだけじゃないかなと思います。
――どうすれば、「その人に合った闘い」ができるようになりますか?
アジャ:よく「引き出しを多く持っておきなさい」って言いますけど、自分のなかにいろんなものを持っておくといいですよね。楽しい試合もできて、激しい試合もできる。強さを求める試合もできるし、若い子とやる時にはまた違う闘い方ができる。いろんなものを吸収していけば、誰が相手でも怖くはない。最近、私は海外に行くことが多いんですけど、言葉が通じなくても、プロレスできればリングの上ではなんとかなります。
言葉も通じないし、どんな選手かもわからないですけど、試合のなかで"会話"はできます。「プロレスの基礎――ロックアップから始まったということは、プロレススクールとかで習ってきましたよね? じゃあ、なんとかなるでしょ?」とか。とりあえずプロレスができるっていうんだったら、「リングで会話しようね」という感じです。
――リングで会話をするというのは、どういう感覚なんですか?
アジャ:ある種、テレパシーみたいなものです。プロレスラーであれば持っている感覚だと思いますよ。「長与千種 還暦祭」で相手をした丸っきりの新人でも(彩芽蒼空。還暦祭でデビュー戦の相手を務めた)、「あなたが今まで培ってきたことがありますよね? じゃあ、それを全部見せなさいよ」って、ロックアップしながら伝えていく。もうちょっと上のほうの選手だと、「こいつ、今日はどこか痛めてんな」ということが組み合っているうちにわかるので、こっちが探りながらいくと、向こうも返してくる。それが会話になっていくんです。
――彩芽蒼空選手との試合でも、会話はできましたか?
アジャ:彼女にはそんな余裕はないだろうけど、それでも会話はありましたよ。彼女は今まで長い時間、練習してきたと思うんですけど、あの試合が決まるまでの6分間が今までで一番つらくて、痛くて、悲しくて、怖いという時間だったと思うんです。でも「やらなきゃ終わらない」っていうのを初めて実感したはず。たぶん彼女のなかで、「あ、この人は簡単に試合を終わらせてくれない人なんだ」と感じたはずなんですよ。
だから、彼女はあんだけ疲れて動けないながらも、私を殴り続けた。まったく力が足りなくて、ヘロヘロになりながら、それでも向かってきた。私に対して「精も根も尽き果てるまでやらせる気だ」と感じた上で、「じゃあ、やってやるぜ」という思いがたぶんあったと思う。その点では、彼女とも会話はできたのかなと思いますね。
(つづく)
【プロフィール】
●アジャコング
1970年9月25日、東京都立川市生まれ。長与千種に憧れ、中学卒業後、全日本女子プロレスに入門。1986年9月17日、秋田県男鹿市体育館の対豊田記代戦でデビュー。ダンプ松本率いる「極悪同盟」を経て、ブル中野率いる「獄門党」に加入。1992年11月26日、川崎市体育館でブル中野に勝利し、WWWA世界シングル王座を奪取。1997年、全女を退団し、小川宏(元全女企画広報部長)と新団体『アルシオン』を設立。その後、GAEAJAPANへと闘いの場所を移し、2007年3月10日、OZアカデミー認定無差別級初代王者となる。2022年12月末、OZアカデミーを退団。以降はフリーとして国内外の団体に参戦している。165cm、108kg。X:@ajakonguraken Instagram:@ajakong.uraken