錦織圭には、「やや苦手な質問」が、いくつかある。会見などで頻繁に尋ねられるが、そのたびに答えに窮(きゅう)する類(たぐい)のものだ。「なぜ、ファイナルセットに強いのか?」という問いも、そのひとつ。 プロキャリアも15年以上となる現時点で、…

 錦織圭には、「やや苦手な質問」が、いくつかある。会見などで頻繁に尋ねられるが、そのたびに答えに窮(きゅう)する類(たぐい)のものだ。

「なぜ、ファイナルセットに強いのか?」という問いも、そのひとつ。

 プロキャリアも15年以上となる現時点で、錦織のキャリア通算ファイナルセット勝率は72.9パーセントを記録する。これは現役選手では、今なお最高の数字だ。


強い錦織圭が戻ってきた

 photo by AFLO

 2025年シーズンのATPツアー開幕戦となった香港オープンで、錦織は4つの白星を連ねて決勝進出を果たした。2019年のブリスベーン国際以来、6年ぶりのツアー決勝。そのためか決勝では硬さが見られ、強いはずのファイナルセットで敗れはした。

 それでも4勝のうち、ふたつはフルセットでの勝利。しかも2回戦では19位のカレン・ハチャノフ(ロシア)に、3回戦では最高8位のキャメロン・ノリー(イギリス)という実力者が相手だった。

 ちなみに、錦織に勝利してキャリア初優勝を成したアレクサンドル・ミュレール(フランス)は、「全試合、第1セットを落としてからの逆転勝ち優勝」という約20年ぶりの珍記録を樹立。今回に限っては、相手のジンクスに軍配が上がる結果となった。

「ファイナルセットの錦織」の謎解明に関しては、昨年末に興味深い議論の場があった。それは12月に米国フロリダ州で行なわれた「ユニクロ全日本ジュニアテニス選手権・海外派遣プログラム」での一幕。

 このプログラムは、全日本ジュニア選手権の各年代・部門を制した12名のジュニア選手たちがIMGアカデミー等でキャンプを行なうというものだ。その一環で、錦織と車いすテニスの国枝慎吾氏が、ジュニアたちの質問や相談に応じるセミナーが開かれた。

 この座学の場でも、錦織は「ファイナルセットに強い理由」を問われ、やはり答えに窮してしまう。そんな錦織に助け舟を出すように、ひとつの仮設を提示したのは、国枝氏だった。

【国枝慎吾が錦織圭の「謎」を分析】

「僕は、錦織くんがどうしてこれだけファイナルセットに強いのかといったら、バリエーションじゃないかと思うんですよ」

 全員が、国枝氏の言葉に耳を傾ける。

「相手からしてみたら、最後まで何をしてくるかわからない。パターンが読めないから怖いし、だからプレッシャーがかかって自滅もする」

 希代の戦略家でもある国枝氏の分析眼は鋭く、解説は正鵠(せいこく)を射る。もっとも、錦織ご本人の「だったらなんで、2セットで勝てないんですか?」の逆質問は、ご愛敬。

「錦織くんは試合が進むにつれて相手に慣れていくが、相手は錦織くんに慣れることができない」というのが、"国枝説"だ。

 シーズン開幕戦の香港オープンでも、国枝氏が指摘する錦織のバリエーションが存分に発揮された。

 とりわけノリー戦は、錦織の「読めないがゆえの怖さ」が勝因となった試合だろう。この試合での錦織は、第2セットは落とすものの、スマッシュと見せかけたドロップショットなどの憎いプレーを決め、相手の心理に爪痕を残す。

 そうして、運命のファイナルセット──。

 相手にグランドスマッシュを叩きつけられるも、体勢を崩しつつ飛びつきなんとか返したボールが、絶妙なロブとなりベースラインぎりぎりに落ちる! このミラクルショットが飛び出した場面こそが、自身のブレークポイント。相手のサービスゲームを破りリードした錦織は、そのまま勝利へと駆け込んだ。

 このプレーを錦織は、「ファイナルセットに入って、よくあの反応ができた」と自分で自分に驚く。そうして確信した「かなり(以前の自分に)戻ってきた」という手応えこそが、「ピンチに強い錦織」の帰還にほかならない。

「戻ってきた」ということで言うのなら、香港大会での錦織は、サーブのフォームを以前のそれに戻していた。

 具体的には、トスからスイングへと移行する際、右足を軸足に引き寄せる動き。このフォームにすることにより、サーブにスピードと変化が生まれる。今大会、要所でエースやサービスウイナーを決める場面が多かったのは、サーブ改善の成果と言えるだろう。

【錦織のコーチがサーブの変化を説明】

 もともと錦織は「足を引き寄せるフォーム」で打っていたが、昨年ケガから復帰した際は、両足を肩幅ほどに開いたまま打っていた。

 昨年5月の全仏オープン時、この変更の理由をコーチのトーマス・ヨハンソンに尋ねたことがある。その時の返答は、「最終的には足を引き寄せるようにしたい。ただその前に、圭のフィジカルを万全に戻す必要がある」だった。当時の錦織は、ひざや肩に負担を抱えていた時分。威力は犠牲にしても、安定感と身体への負荷軽減を優先した。

 その錦織が、昨年12月のIMGアカデミーでの練習時点では足を引き寄せて打っていた。それはついに、フィジカル面の準備が整ったというゴーサイン。そのサーブ練習をヨハンソンコーチは眼光鋭く見つめ、要所要所で助言を与える。

 そして、そんなふたりの姿をやや遠めに見守っていたのが、理学療法士のロバート・オオハシ氏だ。2011年から錦織を見る同氏は、「もう13年も経つんだね。いろんなことがあった。本当に多くのアップダウンがあった」と、感慨深げに相好を崩す。

 そのオオハシ氏に「コンディションはよさそうですね」と問うと、「状態はいい。それに何よりいいのは、今の圭は『アンダー・ザ・レーダー』だということ。プレッシャーなく戦えるからね」と彼は言った。

 アンダー・ザ・レーダーとは、人々の標的にされにくいということ。虎視眈々と上位を狙う、チーム全体としての意気込みと自信が温かな声ににじんでいた。

 最近の錦織が苦手な質問に、「成績面の目標」があるかもしれない。12月の時点で「グランドスラムでの目標」を問われた彼は、「具体的に言ったほうがいいですか?」と確認したうえで、こう続けた。

「全豪オープンがすぐにありますが、なかなかまだ、ベスト8とかに行くと言える自信が正直ない。その位置にまだいないというのが現状ですが、とりあえず、2週目を目標にはしたいなと思います」

【錦織が最も苦手とする質問】

 錦織にとって苦手な質問があるのは、言葉ではなく、プレーで答えを示すべきとの覚悟があるからだろう。

 思えば、おそらく彼が最も苦手な質問のひとつが、「ファンにどんなプレーを見せたいですか?」だ。それを問われるたび、「これ、いまだに正解がわからないんですが......」と前置きしたうえで、彼はよくこう答える。

「僕はプレーするだけなので、あとは見た人が、何かを感じてもらえればと思います」

 対戦相手を慄(おのの)かせ、観る者を魅了する──。そんなスリルとともに、錦織圭が真夏のオーストラリアに帰ってくる。