3日連続1着の完全優勝でデビュー開催を飾った市田龍生都 photo by Takahashi Manabu【格の違いを見せつけたデビュー開催】 期待のルーキーが華々しいデビューを飾った。 日本競輪選手養成所を早期卒業し、いち早くプロの世界に…


3日連続1着の完全優勝でデビュー開催を飾った市田龍生都

 photo by Takahashi Manabu

【格の違いを見せつけたデビュー開催】

 期待のルーキーが華々しいデビューを飾った。

 日本競輪選手養成所を早期卒業し、いち早くプロの世界に飛び込んだ市田龍生都(福井・127期)。父がGⅠ覇者のレジェンド、市田佳寿浩(福井・76期・2018年12月引退)とあって、デビュー前から大きな話題を呼んでいた。

 デビューは、1月4日(土)~6日(月)に行なわれた松戸競輪場での開催。初日は「(バンクに入る前は)緊張しすぎて我を忘れそうだった」とガチガチだった市田だが、発走機に着いたときの歓声の大きさで逆に落ち着きを取り戻し、ふたを開けてみれば、9車身差で圧勝。翌2日目は10車身以上の大差をつけて、ここでも1着となった。ともに打鐘から先頭に立つと後続をグングン引き離し、その実力を如何なく発揮。他を寄せつけない快走ぶりに、場内はどよめきに包まれた。

 迎えた3日目の決勝は気温5度と底冷えする寒さのうえに大粒の雨が降るなかでのレース。そのためか「仕掛けるタイミングで後輪が滑ってしまって躊躇した」という。それでも「何もなかったことを一瞬で判断した」と冷静に対応。残り1周で先頭に立つと、圧倒的なスピードで駆け抜け、決勝でも9車身差と驚異的な走りでゴール線を先頭で通過した。

 終わってみれば3日連続1着の完全優勝。しかも格の違いをまざまざと見せつけたレース展開だった。「自分の得意とするのは、勝負所で他を圧倒するスピードを見せて、そして自分が前に出たらもう他の選手を出させないこと」との言葉どおりの走りを見せた。

 3日間を終えて、「競輪はかなり深くて、楽しさ、面白さがあったし、選手ひとりひとりの熱量を感じられた」とその魅力を語るとともに、「この結果におごらず、次の開催も淡々と全力でしっかりと1着を狙っていきたいなという気持ちが固まりました」と前を見据えた。


ゴール線付近。後続選手をカメラで捉えられないほどの圧勝だった

 photo by Takahashi Manabu

【父にあこがれ競輪選手の道へ】

 ファンの度肝を抜く走りでデビュー開催を終えた市田。そんな怪物級のルーキーを語るうえで欠かせないのが、父・佳寿浩の存在だ。佳寿浩はGⅠ制覇の実績を誇り、病気やケガから何度も復帰し長年活躍し続けたことから「不死鳥」の異名を持つ記憶に残る選手だった。

 市田はそんな父の背中を見て育った。物心ついたころにはすでに競輪選手として活躍していたが、当時は「競輪が職業だとすら思っていなかった」という。

「お父さんが運動会で自転車に乗っていろんな人と競走をしているという感覚でした。それでなんでお金を持って帰ってくるんだろうと思っていました」

 父が競輪選手だと認識したのは、小学校高学年のころ。学校の先生から「市田くんのお父さんは競輪選手だからすごいね」と言われたときには自分のことのようにうれしく、「お父さん、すごい、かっこいい」とあこがれを抱いていた。

 市田は、小学校時代は水泳、中学校時代は陸上競技に励んでいたが、中学3年から自転車競技を始めた。バンクを走る父にあこがれて育った市田にとって、それは自然な流れだった。高校から自転車競技部に入り、インターハイの1kmTTで2連覇を達成するなどすぐに頭角を現す。進学した大学でもインカレでチームスプリント、ケイリン、1kmTTを制する3冠を2年連続で獲得するなど結果を出した。その間ずっと「自転車が楽しい」という思いで続けてきた。

【「超えてみろ」に奮発】

 競輪選手としてさまざまな苦難を乗り越えてきた佳寿浩は、厳しい父だった。

「すごく厳しくて、よくないことをしてしまうと、『それはダメだ』とめちゃくちゃ怒られていました。ただ、どれだけ怒られても、それを言ってくれるのはありがたいと思っていましたね」

 幼いころから尊敬していた父の言葉は、市田の心に響いた。とくに自転車競技に関しては、その言葉が自身の糧になっていた。

父を尊敬していると語る市田

 photo by Takahashi Manabu

「自分が(自転車競技で)負けて帰ったときに『悔しい』と言ったんですけど、それを聞いた父は、『なんで悔しいんだ』と。その理由を話すと『だったら何をするべきなんだ』と一問一答で答えていって、結果的に自分の気持ちを高めてくれました。負けた気持ちのままでは終わらせないという意図を感じました」

 競輪に対して常にストイックに取り組んできた父。「本気でやってきた分、自分にも本気で接してくれている」と市田は感じていた。その言葉に後押しされ、前述のように次々と好成績を残し、競輪選手になることを夢見るようになった。

「大学3年生のときに競輪で生きていきたいなと思いました。父に『俺は競輪選手になりたい』と伝えたら、シンプルに『がんばれよ』と。それから『俺らができることは全力でサポートしてやる。お前が選手になるって言うんなら、これから覚悟が必要だし、1選手としてがんばるなら、俺はどこまでも応援してやる』と言ってくれました」

 入所時には父と共に静岡県伊豆の養成所まで車で向かった。その車内では「早期卒業ができるもんならやってみろ。俺を超えられるものなら超えてみろ」と父は言い続けていた。その父は競輪学校(現日本競輪選手養成所)を1位で卒業している。「超える」ためには1位での卒業だけでは不十分で、さらにその上の早期卒業しか道はない。市田は父に告げることはなかったが、父を超えるために早期卒業することを目標に掲げていた。

【父とひたすら討論】

 しかし事はそう簡単には進まなかった。

「自分は先行1本で行くつもりでしたし、なんだかんだ成功できるんだろうなと思っていました。大学の競技のほうでも記録が出ていたので、難なく成功できるという気持ちがあったんですが、やはりプロを目指す競輪選手が集まる場所になると、自分の思った通りに走れませんでした」

デビュー開催ではその走りに感嘆のため息が聞こえた

 photo by Takahashi Manabu

 大学でトップの成績を収めてきたのに思うようにいかない――。市田は養成所での訓練で苦悩の日々を過ごしていた。しかしこの壁も「自分の殻を破るために必要だったこと」と捉えていた。それを乗り越える手助けとなったのが、父の存在だった。

「自分はこれまで決定的な挫折はなかったんですが、自分自身の成長が楽しみな部分があって、それが理由でうまくいかなくなると、練習のなかで挫折してしまうことがよくありました。『なんで俺はこんなこともできないんだ』、『この意識を持って取り組んでいるのにどうしてできないんだ』と。そうなったときに父は必要な人でした」

 これまでも競輪に関して疑問に思ったときには、父と納得いくまで話し合いを行なっていたが、それは養成所でも続いていた。

「養成所では時間は限られていますが、電話をすることはできて、月に1回か2回、1回5分程度なんですが、父と話をしていました。そのときにはひたすら討論していました。『俺は今、先行でこんな感じなんだけど、どうしていいかわからない』と話をして、それについてのアドバイスに対して、『それは違う。それはやった。それも違う。それをやったうえで、それも違うと思う』とずっとやり取りしていました」

 自身を「ひとつのことにとことんこだわるタイプ」と分析するほど物事を突き詰める性格。養成所でのわずかな親子の交流の時間であっても、競輪について問答を繰り返した。ぶつけられた疑問に対して父は「最後まで丁寧に答えてくれた」という。

 その結果、2024年12月に早期卒業を果たした。本来であれば約11カ月間の訓練の末、2025年3月に卒業となるのだが、それを待たずしての快挙だった。その記者会見で目標を問われると、市田はこう答えた。

「最大の目標は父を超えることで、自ずとグランプリ優勝が、競輪人生の目標になってくるんじゃないかなと思います。当面の目標は早くS級に上がって、より多くのことを学びたいと思います」


次の開催に向けて意欲を燃やす市田

 photo by Takahashi Manabu

 まずは目標のひとつ、早期卒業は果たした。今後もこうしてひとつひとつ父を目標に成長していくことだろう。

 デビュー開催ではすさまじいほどの実力を発揮した市田。父から受け継いだDNAに、競輪に対して突き詰めて考える実直な性格、そして父という偉大で最高の師匠がいる。今後、決定的な挫折が訪れる可能性は否定できないが、幾多の挫折を不屈の精神で乗り越えてきた父からのアドバイスがあれば、きっと大きな花を咲かせてくれることだろう。そしてこの底知れぬ力を秘めた怪物のデビューは、競輪界の輝かしい未来を暗示しているのかもしれない。

【Profile】
市田龍生都(いちだ・りゅうと)
2001年9月28日生まれ、福井県出身。自転車競技の名門、福井科学技術高校時代には、全国高校総体(インターハイ)1000mTTで2連覇を達成。国体などのタイトルも複数獲得するなど頭角を現す。中央大学進学後も好成績を維持。2年時にはインカレトラック短距離種目で3冠を成し遂げ、翌年も3冠を達成した。2024年5月に日本競輪選手養成所に入所し、ゴールデンキャップを2度獲得。第1回記録会の400mTTでは養成所記録を樹立した。2025年1月にプロデビューを果たした。父はGⅠ制覇経験のある市田佳寿浩氏(福井・76期・2018年12月引退)。