プロボクシング帝拳ジムは5日、ジムのマネジャーの長野ハルさんが1日午後8時40分、老衰のため亡くなったと発表した。99歳だった。葬儀は故人の遺志により、近親者のみで家族葬にて行われるという。また、弔問、香典、供花などについても故人の遺志で…
プロボクシング帝拳ジムは5日、ジムのマネジャーの長野ハルさんが1日午後8時40分、老衰のため亡くなったと発表した。99歳だった。葬儀は故人の遺志により、近親者のみで家族葬にて行われるという。また、弔問、香典、供花などについても故人の遺志で辞退するという。
帝拳ジムでは元WBA世界フライ級(50・8キロ以下)王者・大場政夫をはじめ、数多くの世界王者を送り出してきたが、元WBC世界スーパーライト級(63・5キロ以下)王者で現帝拳ジム代表の浜田剛史さんは取材に「ボクシング一筋の人生だった。起きている時間はずっと仕事、ボクシングの人生でしたから。これからはゆっくり休めるんじゃないかな」と長野さんの逝去を悼んだ。
この日、長野さんと会ってきたという浜田代表は「ああ、年を取ったかなあという感じでした。やせたかなと。12月半ばに話をした時には声に力があった。治ればジムに出ると言っていた。最近はマスクをしていたこともあり、聞きづらいだろうからと声を大きくして話をしていましたね。それでエネルギー使っているなと感じていた」と無念さをにじませた。
浜田代表は、帝拳ジム入りした17歳の時に長野さんと出会った。「マネジャーは当時53歳。今でも、その当時と変わらない関係でした。当時のまんま、過ぎてきました。お世話になってから46年になりますか…。母親ですね」とポツリ。東京・王子にあるジムの合宿所に住んでいたが、長野さんは隣に住んでいたという。「ロードワークから帰ってくると、長野さんは家の前を掃除していて…。一緒に住んでいたようで。本当に母親のように、選手の食べるものもチェックしていた」という。「『この子はねえ、洗濯も一人でできないし…』とか子供のように言われましたね。二人で食事に行っても『親子ですか?』とか聞かれて…。何年たっても、子供ですよね」としみじみと話した。
つねに「選手ファースト」の人だったという。選手がケガをして入院すると、ずっとそばにいて世話をしたりしたという。浜田代表は長野さんの優しさを思い出した。「ボクシングは実力の世界だけど、人気の商売でもある」という長野さんからは「あなたはスターにならなくちゃいけないから」と、取材でもしっかりとした受け答えをするように言われた。時には準備不足で取材に来る記者もいたが、その時は長野さんが代わりに言ってくれたそうだ。「『嫌われ役は私なんだから』って言ってくれて」と感謝の言葉をつないだ。
曲がったことが嫌いで「まっすぐな人だった」と浜田代表。「ジムは笑う所じゃない」と、選手を叱ってくれる人だった。ボクシングにかける情熱は選手にも負けない。だからこそ、全力で選手を守ってきた。「でも、ここ20年くらいは優しくなった感じで…。笑うようになりました」と浜田代表。優しい笑顔にはもう会えない。
だが、同時に強い思いを口にした。「こういう状況の中でも、私は選手たちを勝たせないといけない」と浜田代表。選手にはいつもどおりの練習を求めていくという。「そうしないとしかられますからね」。天国に旅立った“母親”に、改めて誓った夜だった。