◆新日本プロレス「WRESTLE DYNASTY」(5日、東京ドーム) 新日本プロレスは5日、東京ドームで「WRESTLE DYNASTY」を開催した。 来年1・4東京ドームで引退する棚橋弘至が第2試合でAEWの柴田勝頼と5分1本勝負の「ス…

◆新日本プロレス「WRESTLE DYNASTY」(5日、東京ドーム)

 新日本プロレスは5日、東京ドームで「WRESTLE DYNASTY」を開催した。

 来年1・4東京ドームで引退する棚橋弘至が第2試合でAEWの柴田勝頼と5分1本勝負の「スペシャルエキシビジョンマッチ」で対戦した。ロックアップで組み合った両者。そしてチョップ合戦へ突入した。棚橋が一発頭突きを見舞ったが終わることのないチョップ合戦。両者の胸板が真っ赤に染まり、チョップを打ち続け終了のゴングが鳴った。

 試合後のゴングで両者は握手を交わすと拍手が送られた。両者は再戦をアピールしていた。

 柴田は、1・4ドームで棚橋が「ファイナルロード」第一弾でEVILを倒した試合後のリング上で「H.O.T」に袋だたきにあっているところにサプライズ登場し救出。リング上のマイクで棚橋と対戦を訴え、棚橋も受諾。この日のドームでの「スペシャルエキシビジョンマッチ」が電撃決定した。

 棚橋と柴田は、デビュー戦が99年10月10日と同日の同期。深刻な人気低迷に陥った2000年代前半の新日本マットを中邑真輔を加えた3人で切磋琢磨し支えてきた。

 その後、柴田は05年1月に退団。総合格闘技にも挑戦し12年9月に新日本プロレスへ帰還。フリーとして参戦していたが16年3月に再入団。17年4月9日の両国国技館大会でオカダ・カズチカのIWGPヘビー級王座に挑戦し敗れた一戦で試合後に救急搬送され、急性硬膜下血腫と診断され長期欠場となった。

 18年3月には新設された新日本のロサンゼルス道場のヘッドコーチに就任。22年1月4日の東京ドーム大会で成田蓮とのシングルマッチで復帰したが、健康面を考慮し新日本は試合を組まなかった。こうした背景からAEWと契約。23年いっぱいで新日本との契約を終了した。

 一方の棚橋は、IWGPヘビー級王座を8回獲得。G1クライマックスも2007、15、18年と3回制覇するなどエースとして新日本プロレスを支え、苦境に陥った団体の人気をV字回復させる原動力となった。そして23年12月には社長に就任。団体をさらに発展させるべく社長業に専念し来年1・4東京ドームでの引退を決断した。

 同日にプロレス人生を歩き出しながら様々な紆余(うよ)曲折を経た両者のプロレス人生。シングルマッチは、2015年8月8日の横浜大会以来、約10年ぶり。万感を込めたエキシビションでの再会にドームは感動に包まれた。

 共に歩んだ25年のレスラー人生。バックステージで棚橋は「5分じゃ短い」とつぶやくと「ただ、柴田選手と25年前、同じ日にデビューして若手のころ何度もシングルマッチあったり、そして、今回、こうした1対1で向かい合えた…向かい合えたこと事態が今の状況を考えると特別なことだと思いますけど」と感慨に浸ると真っ赤に染まった胸を見せ「火ついたよ。ネクスト、期待して」と再戦を誓った。

 さらに柴田を「節目節目で僕のレスラー人生の節目で大きな影響、時に同期、時にライバル、時に外敵…そして一緒にこれからも戦っていけると思った先のアクシデントがあって…」と絶句し「プロレスラー長くやってると、いろんなものを犠牲にしないといけないことがあったり、体のダメージもあるし、ただそれ以上にファンのみなさんの応援やこうしてもうないだろうと思っていた試合ができる、と。結果としてレスラーを続けてこれてよかったです。ありがとうございました」と涙を流した。

 来年1・4東京ドームで引退する棚橋。ファイナルマッチまで「所属全レスラーと戦いたい」と明かしており今後、全国各地で「ファイナルロード」を展開していく。