全国ミニバスケットボール大会、全国中学校バスケットボール大会、Jr.ウインターカップ、インターハイと4度の日本一を経験し、世…

 全国ミニバスケットボール大会、全国中学校バスケットボール大会、Jr.ウインターカップ、インターハイと4度の日本一を経験し、世代ナンバー1選手として常に注目を浴びてきた瀬川琉久。準決勝敗退となった昨年末のウインターカップで京都・東山高校でのバスケ生活を終えてから1週間が経った1月4日、特別指定選手(プロ契約)としての千葉ジェッツ入団が発表され、LaLa Arena Tokyo Bayでのホームゲーム開催前に記者会見が開かれた。

 会見の冒頭では池内勇太GMが獲得の経緯について説明。瀬川がゴッドドアの一員として出場していたJr.ウインターカップの際に、その活躍が既に目に留まっていたことを明かし、その後直接プレーを見る度に評価が上がっていったという。

 この1年の間に海外での武者修業も経験した瀬川に対し、池内GMも「Bリーグより海外に目を向けているのだろう」と思っていたそうだが、瀬川の実父と面会した際にはクラブの環境面や育成プランなどを熱弁し、本人にも「日本代表に入るためにはBリーグでプレーするのが一番なのではないか」という話もしたとのことだ。

 言うまでもなく、瀬川は今年3月まではまだ高校生という立場だ。それでもプロ契約を締結したということは、千葉Jが戦力として計算しているということでもあるが、一方で瀬川自身は千葉J入りの理由について「自分の最初の目標である、ロスオリンピック出場に一番近づけると思ったから」と語ると同時に、「最終的な目標はNBAで活躍すること」と明言。

 もちろんクラブとしてもそれはよく理解しており、池内GMは「富樫勇樹の存在でこのクラブが成長していったように、ポイントガードがチームを引っ張るのは重要なこと。次世代のエースとして彼をしっかり成長させて、彼の目標である海外挑戦もサポートしながら、一人前の選手にしていきたいというのが、千葉ジェッツGMとしての使命であり、日本のバスケットボール界に関わる者としての使命でもあると思います」と決意をにじませた。将来の日本代表のエースと目されるほどの選手を預かるクラブとして、千葉Jはその責任を強く感じている。

 大学進学の道を選ばず、高校から直接Bリーグに飛び込むケースはまだまだ少ない。その中で瀬川がプロの世界を選んだのは、前述したNBAという最終目標のため。「自分が優先したのは、プレータイムをもらうことよりも、日本のトップレベルの人たちからいろんなことを吸収すること」という瀬川にとって、富樫や渡邊雄太といった日本バスケ界の歴史に名を残す選手を抱える千葉Jは、自身の成長を促す環境が整っている最良の選択肢だったというわけだ。

 そしてもう一つ、瀬川の背中を押したのが河村勇輝の存在だ。河村も、オリンピック出場とNBA入りという目標から逆算し、大学生活を2年でスキップしてプロに転向した経緯を持つ選手。その後のBリーグでの圧巻の活躍を経て、オリンピック出場ばかりか、23歳にしてNBA公式戦出場という目標まで達成してみせたことはバスケファンの誰もが知るところだ。

 河村以前に誕生した日本人NBA選手は田臥勇太、渡邊、八村塁の3人。その3人はいずれもアメリカの大学を経由してNBAにたどり着いており、NCAAでプレーしていない日本人NBA選手は河村が初めての例だ。池内GMも「Bリーグから海外に挑戦することもできる話になってきた」と言い、瀬川本人とも海外挑戦に向けたロードマップを共有してきたということだ。

 当の瀬川も「去年から、学校の昼休みを使って英語の勉強をしたり、NBAの目標に向かってバスケに集中できる環境を自分で作っている」と準備は抜かりなく、「BリーグからNBAに行った河村勇輝選手の背中を追っていきたい」と道筋は明確になっている。

 会見では堂々とした受け答えが目立ち、フォトセッションでは笑顔も多かった瀬川。期待の逸材が今、大きな一歩を踏み出した。

文・写真=吉川哲彦