第101回箱根駅伝は2~3日、東京・千代田区大手町読売新聞社前と神奈川・箱根町芦ノ湖を往復する10区間217・1キロで行われた。往路優勝の青学大が復路でも新記録の2位と安定した強さを発揮し、10時間41分19秒で新記録で、2年連続8度目の…

 第101回箱根駅伝は2~3日、東京・千代田区大手町読売新聞社前と神奈川・箱根町芦ノ湖を往復する10区間217・1キロで行われた。往路優勝の青学大が復路でも新記録の2位と安定した強さを発揮し、10時間41分19秒で新記録で、2年連続8度目の総合優勝を果たした。2分48秒差の総合2位は駒大。駒大は5時間20分50秒の新記録で復路優勝した。総合3位は国学院大だった。

 東洋大は1区登録の石田洸介(4年)、2区登録の梅崎蓮(4年)が共に当日変更で欠場する苦しい布陣となったが、チームスローガンの「その1秒をけずりだせ」を体現する粘り強い走りで往路9位、復路7位と踏ん張り、総合9位。継続中としては最長の20年連続のシード権(10位以内)を死守した。

 主力選手として期待されながら、最後の箱根駅伝に出場できなかった石田は、今大会と大学4年間を静かに振り返った。「危機的な状況の中で、出場した選手が粘ってくれました。チームメートを頼もしく感じました。シード権(10位以内)を獲得できたことは本当にうれしく思います」と出場選手に感謝した。

 石田は、福岡・浅川中時代には3種目で日本中学記録を樹立し、群馬・東農大二高時代には5000メートルで16年ぶりの日本高校新記録をマークした。東洋大でも1年時に出雲駅伝5区、全日本大学駅伝4区で区間賞。しかし、2年時の箱根駅伝2区で区間19位とブレーキしたことに「もう僕は駅伝を走ってはいけないと思った」というほど責任を感じ、不調に陥った。3年時の夏は埼玉・川越市の選手寮を離れ、福岡県内の実家に帰った。1秒を争う世界から“一時避難”し、ゆったりと過ごす日々で、石田は徐々に活力を取り戻し、勝負の世界に戻った。

 3年時は学生3大駅伝すべてを欠場したが、4年目に復活。昨年5月の関東学生対校選手権1部1万メートルでは、高校3年以来、4年ぶりの自己ベスト記録となる28分8秒29で6位に入賞した。

 学生最後の駅伝シーズンに向けて、積極的に夏合宿に臨んだが、故障に苦しみ、秋以降は春先の勢いを失った。全日本大学駅伝(11月3日)は6区21位に終わった。「今季の前半にトラックで良かったことを駅伝で出せませんでした」と振り返った。

 石田の箱根駅伝は2年2区19位という一度だけの出場に終わった。「箱根駅伝の借りは箱根駅伝でしか返せません。大学4年間でやり残したことの答えをこれからの競技人生で見つけたい」と静かに話した。

 今春、卒業後、東京五輪3000メートル障害8位入賞の三浦龍司(22)や「口町ロケット」の愛称を持つ口町亮(30)ら勢いある選手が多く所属するスバルに入社する。石田は、次なるステージに向けて、具体的な目標を挙げるよりも「記憶に残る選手になりたいです」と話す。石田洸介のレースは、まだまだ続く。