「箱根駅伝・復路」(3日、箱根町芦ノ湖駐車場~大手町) 大会新記録で2年連続8度目の総合優勝を果たした青学大をまとめ続けたのが、9区の田中悠登(4年)だった。卒業後にアナウンサーの道へと進む主将は、1時間8分40秒の区間2位と好走し、走り…

 「箱根駅伝・復路」(3日、箱根町芦ノ湖駐車場~大手町)

 大会新記録で2年連続8度目の総合優勝を果たした青学大をまとめ続けたのが、9区の田中悠登(4年)だった。卒業後にアナウンサーの道へと進む主将は、1時間8分40秒の区間2位と好走し、走りでもチームを鼓舞した。11度目の復路優勝を果たした駒大が2分48秒差の2位で、出雲全日本選抜、全日本を含む大学駅伝3冠に挑んだ国学院大は3位。10位の帝京大までが来年のシード権を獲得し、7秒差の11位は順大だった。

 「青山学院大学、トップでタスキリレー!」。最終10区につなぐ大役を全うし、息も絶え絶え。それでも、地元・福井放送のアナウンサーに内定している田中は、鶴見中継所で小河原陽琉(1年)にたすきを手渡すと、生き生きと将来の予行演習をした。

 思い描いた悲願がかなった最高の瞬間。目尻を下げながらも「キツかったですね。あっという間で。楽しかったですね」と、アナウンサーらしく簡潔に振り返った。だが、笑顔の裏には常勝軍団をまとめる苦悩があった。

 新チーム体制の下、昨年3月に新主将に選出。しかし、10月の出雲全日本選抜、11月の全日本は国学院に優勝を阻まれた。青学大の主将として箱根だけは譲れない。11月以降は週に一度必ずミーティングを行い、チームの課題を話し合って即座に修正。「違和感があったら箱根まで間に合わない。最後は詰めていった」と、我の強いチームメートをまとめ上げていった。

 自身も万全だったわけではない。全日本から箱根までの2カ月は神経痛に悩まされ、練習ができない時期もあった。だが、苦しい終盤は主将として積み上げた努力と苦労が力に変わった。「本当にキャプテンとしてつらかったこと、悩んだことはたくさんある。そういったこともよみがえった」と必死に足を動かした。

 ラストランを終え、選手としては箱根を“卒業”する。いつかはアナウンサーとしてマイクを手に再び箱根へ。話し上手な原晋監督から「言葉の力を学んだ。同じ内容を言っていても監督が話すとそうだなと。伝える力が大事」と、学んだ4年間は最高のアナウンサー修行だった。