棚橋弘至インタビュー 中編(前編:選手と社長の「二刀流」 また新日本プロレスを救えるのか?「V字回復させる自信がある」>>) 新日本プロレスの社長、現役プロレスラーとしても活躍する棚橋弘至。旗揚げから50年を超える団体の伝統を受け継ぎつつも…

棚橋弘至インタビュー 中編

(前編:選手と社長の「二刀流」 また新日本プロレスを救えるのか?「V字回復させる自信がある」>>)

 新日本プロレスの社長、現役プロレスラーとしても活躍する棚橋弘至。旗揚げから50年を超える団体の伝統を受け継ぎつつも、時代に合わせた変化を柔軟に取り入れる姿勢で、新たなプロレスの魅力を生み出そうとしている。観客層の拡大、引退後のプロレスラーのセカンドキャリア、そして自身の「引退ロード」などについて聞いた。


新日本プロレスに必要な変化、自身の引退ロードについて語った棚橋弘至

 photo by Murakami Shogo

【2000年代の低迷期に行なった、新規ファン獲得のための変化】

――前編で、アントニオ猪木さんとアンドレ・ザ・ジャイアントさんの試合のような"語り継がれる試合"の話が出ました。新日本プロレスが受け継いでいく伝統と、時代によって変化させるべきものについて、どのようにお考えですか?

「以前、100年以上続く長寿企業のパーティーに参加させていただいた際に、『長寿企業の秘訣』を教えていただきました。ひとつ目は、製品やプロダクトがしっかりしていること。ふたつ目が、会社の方針が明確であること。そして3つ目が、時代の変化に柔軟に対応すること。特に、3つ目が重要だと感じています。

 新日本は(2000年代に)低迷した時でも、ひとつ目とふたつ目の要素はあったんです。選手が揃っていて、道場での練習もしっかりやっていました。ただ、時代の変化に対応する部分で遅れていたので、ビジネスが低迷した。だから、当時僕が取り組んだのは、3つ目の"時代の変化に柔軟に対応すること"だけだったんです」

――具体的にはどのように対応したんですか?

「コスチュームを派手にして、見た目をチャラくして、SNS発信やテレビ出演を積極的に行ない、新たなファン層を獲得しました。今後、そこに気づける選手が出てくると、ビジネスを広げることができると思います」

――棚橋さんがV字回復を実現された時期、新日本のファン層が大きく変わった印象があります。

「明らかに変わりましたね。昭和のプロレスを愛する層も大切ですが、それに加えて新しいファンが入りやすい環境を作ることができたと思います。それまでは、『プロレスを詳しく知らないと、会場に観に来てはいけない』という雰囲気があったのですが、そのハードルを下げて、『誰でも気軽に観に来てください』というメッセージを打ち出しました。その結果、女性ファンが増えて、家族連れも増えて、プロレスがファミリーコンテンツとして受け入れられるようになったと思います」

【自身の引退を前に考える、レスラーたちのセカンドキャリア】

――昨年10月、2026年の1・4東京ドーム大会での引退を発表しました。その理由をお教えいただけますか?

「社長を引き受けた時点(2023年12月23日に就任)で、『現役を続ける期間はあと2年』と決めていました。引退のタイミングや発表時期については、ファンのみなさんに心の準備をしてほしかったので、過去最長の1年2カ月という引退ロードになりました(笑)」

――引退を惜しむ声も多いと思います。大きい大会だけスポット参戦するなど、選手を続ける選択肢もあったと思うですが?

「あ~、それはなかったんです。コロナ禍の前に"燃え尽き症候群"じゃないですけど、『やりきった』という思いがあってから、もうひと頑張りしたので。こんなにプロレスラー人生を全うできて、引退後も普通に働く未来があるのはとても恵まれていると思います。だから、僕だけじゃなくて『プロレスラーが引退した後にどうするか』という点も、これからいろいろ考えていきたいと思っています」

――プロレスラーのセカンドキャリアですね。

「僕みたいに会社に残れるのは運がいい。飲食や他業種をされる方もいますが、なんとかプロレスに関わるビジネスを広げて、引退したあとも"第二の人生"に繋がる新しい仕組みを作りたいと思っています。そうすれば、プロレスラーになりたい人ももっと増えるんじゃないかな。引退したら終わり、じゃなくて、真壁(刀義)さんみたいにタレントになれたり、引退後も会社に残れたりということがあれば、家族も守っていける安心感が生まれると思うので。僕、社長としても、いいこと言うでしょう?(笑)」

【引退ロードでファンに伝えたいこと】

――2026年、1・4の大会で引退試合を迎えるまでの引退ロードについて、どのようにイメージしていますか?

「2024年に回りきれなかった地域もあるので、なるべく地方大会を含めて出場できるようにしたいと思っています」

――ハードなスケジュールですが......。

「疲れないです(笑)。僕は、自分の最期を決めていて、絶対に過労死でと思っているんです。ずっと『疲れない』と言い続けた男がそうなったら、めちゃくちゃ面白くないですか? 一面が『棚橋氏、ついに疲れる......』みたいな見出しで(笑)。そこもエンターテイメントにしたいですね。それくらい働く覚悟はあります」

――そこまで見据えているとはさすがです(笑)。引退ロードのなかで、タイトルへの挑戦も視野に入っていますか?

「もちろんです。最後の最後までタイトルを狙っていきたいですね。引退試合でIWGP世界ヘビー級のベルトに挑戦して、チャンピオンのまま引退できたら最高だと思います。きっとファンのみなさんも『やめないで~』『チャンピオンなのに~』って声を上げてくれるでしょうし、その反応を聞いたら『来年もやります!』と言ってしまうかも(笑)」

――その引退撤回ならファンも嬉しいと思いますよ。

「いや~、ものすごい引退詐欺ですね(笑)。会社として信用を失いますよ。たぶん、ブシロードの木谷(高明)オーナーにめちゃくちゃ怒られると思います」

――それでも、全国を回れば引退を惜しむ声は増えそうです。

「デビューから26年のキャリアを応援していただいたので、『ありがとう』という気持ちで戦いたいです。引退ロードの1年が、直接『ありがとう』を言える最後のチャンスなんで」

――ラストマッチ、誰と戦いたいですか?

「具体的な構想はこれからですが、キャリアのなかで縁のある選手がその時チャンピオンで、自分が挑戦する立場ならドラマチックですよね」

【引退後はボディビル、フィジークの大会に挑戦?】

――引退後、社長業以外に何かやることは考えていますか?

「ボディビルとかフィジークも好きなので、どこかの大会にエントリーしたいと思っています。ただ、比較審査で甘さが出ちゃうので、しっかり鍛えないといけないですね」

――棚橋さんは、オン・オフの切り替えがうまいとのことなので、追い込むとなれば...。

「でも、体づくりに関しては、ここ4年間くらいはオフの状態です(笑)。さっきも、控室のおにぎりがどんどん減っていきましたし」

――オンになった時は、どのように体づくりをするんですか?

「朝6時に起きて1時間くらい走ります。午前中に時間があれば練習して、午後もジムに行って。ダブルスプリットといって、1日2回の練習です。そして今、完全にオンになりました」

――今、ですか?

「話しているうちにエンジンがかかりました。とりあえず、日焼けしてきます(笑)」

(後編:東京ドームの2Daysに自信 オカダ・カズチカが抜けても、新世代がファンと「エネルギーを交換し合う」>>)

【プロフィール】
■棚橋 弘至(たなはし・ひろし)

1976年11月13日、岐阜県大垣市生まれ。立命館大学法学部卒業後、1999年に新日本プロレスへ入門しデビュー。新日本プロレスのエースとして、IWGPヘビー級王座をはじめ数々のタイトルを獲得。積極的にリング外の活動にも取り組む、名実ともに新日本プロレスを代表する選手であり、2023年12月からは新日本プロレスリング株式会社の代表取締役社長に就任した。