2025年は令和7年だが、昭和(1926―1989年)で数えると100年になる。"昭和100年"の節目を記念して、昭和の大相撲名勝負を振り返る。* * * 優勝32度、45連勝など数々の記録を残した“大鵬伝…

 2025年は令和7年だが、昭和(1926―1989年)で数えると100年になる。"昭和100年"の節目を記念して、昭和の大相撲名勝負を振り返る。

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 優勝32度、45連勝など数々の記録を残した“大鵬伝説”の始まりは昭和35年九州場所だろう。当時関脇の大鵬は、13日目に2敗同士で横綱・朝潮と対戦し、寄り切った。14日目は、後に柏鵬時代を築く3敗の大関・柏戸と鋭い立ち合いから、がっぷりの左四つ。左に回りながら、体勢を入れ替えて土俵外へと運んだ。

 初優勝をかけた千秋楽は、関脇・北葉山との一番。大鵬は突っ込んでくる相手に、得意の左差しで優位に。上手も引くと一気に、つり出した。20歳5か月での優勝は史上最年少(現在は貴花田=後の横綱・貴乃花の19歳5か月)。この場所後、大関に昇進した。同年初場所の新入幕でいきなり優勝次点。入幕した年に大関に昇進し、まさに伝説の第一歩となった。

 35年11月28日付の報知新聞は1面に「天才力士 大鵬」の見出しで、新弟子時代から大物だったと報じた。所属していた二所ノ関部屋関係者は「たいていの力士は、こういう時はこうやればいいのだと知っている。しかし思った通りやれるまでには長い時間がかかる。しかも、結局やれない人が多い。大鵬はこういう時にこうやるんだといえば、必ずその通りにやれる。ああいうのは見たことがない。大鵬みたいなのは天才児というのだろう」と、その素質を記している。

 スポーツ報知の元大相撲担当記者・大野修一さんは、大鵬の偉大さを対戦した力士から何度も聞いている。「鏡山親方(元横綱・柏戸)は『強く当たっても体が柔らかいから引き込まれる感じだった』と話していた。枝川親方(元大関・北葉山)も『力を吸い込まれているみたい』だと。共通していたのは、力強さはなかったのに、いつの間にか、大鵬が勝っているということだった」。その不思議な強さで翌36年の秋場所後、21歳3か月で横綱に駆け上がった。(久浦 真一)

 ◆大鵬 幸喜(たいほう・こうき)本名・納谷幸喜。昭和15年5月29日、サハリン(旧樺太)でウクライナ人の父と日本人の母の間に生まれ、終戦とともに北海道へ。31年9月場所初土俵。34年夏、新十両。36年秋場所後に第48代横綱に昇進。46年夏場所で引退。優勝32回。通算成績は872勝182敗136休。引退後は一代年寄「大鵬」として部屋を興し、関脇・巨砲らを育てた。平成25年1月19日、72歳で死去。現役時代は187センチ、153キロ。