2025年は令和7年だが、昭和(1926―1989年)で数えると100年になる。"昭和100年"の節目を記念して、昭和の大相撲名勝負を振り返る。* * * 昭和48年初場所は大関・琴桜が14日目に黒姫山を圧倒し、九州場所に続いての連覇を決…

 2025年は令和7年だが、昭和(1926―1989年)で数えると100年になる。"昭和100年"の節目を記念して、昭和の大相撲名勝負を振り返る。

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 昭和48年初場所は大関・琴桜が14日目に黒姫山を圧倒し、九州場所に続いての連覇を決めた。しかし、横綱昇進については、日本相撲協会審判部はまだ慎重な姿勢だった。3度のカド番など、大関になってからの勝率の悪さや成績にムラがあることを危惧。その心証を覆すためには千秋楽の横綱・北の富士戦は是が非でも勝たなければならなかった。

 いつものように頭でガツンと当たった。左のど輪で攻め、右でおっつけ。押し切れないところで、回転のいい突っ張り。北の富士はのけぞる。再び、左のど輪から右おっつけ。横綱がこらえようとしたところを休まず攻め、押し出した。2場所連続の14勝V、綱を手にした瞬間だった。

 「思い切って自分の相撲を取ったのがよかった。みなさんのおかげです」。32歳1か月、年6場所制以降の最高齢での昇進。まず感謝を口にした。その傍らには、長女・真千子ちゃんがいた。前年の名古屋場所、カド番で迎えたものの、1勝4敗の苦しいスタート。引退も考えた。その時、生まれたばかりの長女のことが頭に浮かび、「この子が大きくなった時、胸を張れる成績を残しておかなきゃ」と奮い立った。

 当時、琴桜の内弟子だった元大関・琴風の中山浩一さんもまな娘の存在が、大きかったと感じている。46年、中1でスカウトされた際には、「もう俺も引退して部屋を持つから、(尾車親方を)俺に預けてくれと、私のおやじに話をしていた」と回想。綱はもう諦めているかのように思えたという。

 ただ、稽古は激しかった。「親方(琴桜)と錦洋さん(元幕内)との三番稽古は、ぶちかましの鈍い音がして、見ていて怖かった」と中山さん。一方で毎日、診療所に通い、首のけん引を行っていた。「痛い、痛いって言ってね。長年の積み重ねで相当厳しい状態だった」。すべては長女のためだったのかもしれない。

 真千子さんは現在、おかみとして佐渡ケ嶽部屋を支える。孫で祖父のしこ名を継いだ大関・琴桜は初場所で綱取りに臨む。(久浦 真一)

 ◆琴桜 傑將(ことざくら・まさかつ)本名・鎌谷紀雄。昭和15年11月26日、鳥取県倉吉市出身。34年初、初土俵。38年春、新入幕。48年初場所後、横綱に昇進。49年夏、引退。通算成績は723勝428敗77休。得意は右四つ、押し、寄り、つり。優勝5回、殊勲賞4回、敢闘賞2回。金星2個。182センチ、150キロ。