2025年は令和7年だが、昭和(1926―1989年)で数えると100年になる。"昭和100年"の節目を記念して、昭和の箱根駅伝を写真で振り返る。* * * 1954年(昭和29年)の第30回大会、牧歌的な風景の中を駆…
2025年は令和7年だが、昭和(1926―1989年)で数えると100年になる。"昭和100年"の節目を記念して、昭和の箱根駅伝を写真で振り返る。
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1954年(昭和29年)の第30回大会、牧歌的な風景の中を駆ける「花の2区(9区)」鶴見―戸塚間。のどかな丘陵地帯を、学校関係者が鈴なりになって乗るトラックを引き連れて駆け抜けるのは中大の菊地直志。箱根の山中にも見えるがここは2区、あまりの変わりように場所の特定が難しかったが、左後方に見える送電施設などから権太坂と判明した。鶴見中継所をトップでタスキを受け取った菊地は快走、区間1位で3区につないだが明大に抜かれ、中大は往路2位に終わった。
当時の報知新聞は「保土ケ谷にさしかかると白雪をおおった富士がくっきりと浮かび上がる。早大、明大、日大の激しい2位争いとなったが、中大の菊地は600メートル近くの差を開けていた。しかし戸塚踏切にさしかかると折り悪く貨物列車の通過に引っかかり、1分ほど遅れた」と伝えている。