2025年は令和7年だが、昭和(1926―1989年)で数えると100年になる。"昭和100年"の節目を記念して、昭和の箱根駅伝を写真で振り返る。* * * 1955年(昭和30年)の第31回大会)で国道1号線の戸塚・原宿付近の松並木を走…

 2025年は令和7年だが、昭和(1926―1989年)で数えると100年になる。"昭和100年"の節目を記念して、昭和の箱根駅伝を写真で振り返る。

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 1955年(昭和30年)の第31回大会)で国道1号線の戸塚・原宿付近の松並木を走る中大3区の佐藤光信。1年生ながら区間新の走りをみせ、前を走る日大の52年ヘルシンキ五輪代表・内川義高を抜いてトップに立つと、中大はそのまま往路、復路とも優勝した。翌日の一面は「天晴れ新人佐藤、ベテラン内川を抜く」の見出しとともに「18歳、5尺3寸(約160センチ)の佐藤は坊主刈りの頭に赤いハチマキでひた走ると、神奈川県水道局の前で並び(追い抜き)、茅ケ崎の松並木に入るころには100メートルの差をつけた」と報じている。

 松並木は4区(7区)の大磯が有名だが、原宿や旧ルートの1号線辻堂、茅ケ崎では今でも東海道の面影を見ることができる。