2025年は令和7年だが、昭和(1926―1989年)で数えると100年になる。"昭和100年"の節目を記念して、昭和の箱根駅伝を写真で振り返る。* * * 1960年(昭和35年)の第36回大会の銀座ゴールシーン。今では毎年おなじみとな…

 2025年は令和7年だが、昭和(1926―1989年)で数えると100年になる。"昭和100年"の節目を記念して、昭和の箱根駅伝を写真で振り返る。

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 1960年(昭和35年)の第36回大会の銀座ゴールシーン。今では毎年おなじみとなった大手町・読売新聞本社前のスタート、ゴールだが、1971年(昭和46年)に現在の地に移転するまでは、戦前から旧社屋があった銀座がその舞台だった。数寄屋橋交差点から外堀通りをトップで北上してきた中大の奥宮和文が、現在のマロニエゲート銀座2(旧プランタン銀座)にあった社屋(右側)を右折した先にあるゴールに向かう様子をとらえたショット。ファンは交通規制された車道だけでなく、撮影者が立つ開業前の高速道路にも連なり、声援を送った。

 この年、鶴見中継所の直前で日大を抜き2年連続9回目の優勝を果たした中大は、当時の往復225・5キロのコース史上初めて12時間を切るタイムを記録、当時の紙面は「ゴールインした中大のアンカー奥宮は報道陣、先輩、ファンに文字どおりもみくちゃにされた。応援団は校歌を絶叫する大変なさわぎだ」と興奮ぶりを伝えている。