対談の話題は和田の家庭の笑い話など多岐に及んだ。(C)TakamotoTOKUHARA/CoCoKARAnext 22年間に渡るプロ生活に幕を下ろした和田毅。早稲田大時代に東京六大学の奪三振記録を476に塗り替え、鳴り物入りで入団したホーク…

対談の話題は和田の家庭の笑い話など多岐に及んだ。(C)TakamotoTOKUHARA/CoCoKARAnext

 22年間に渡るプロ生活に幕を下ろした和田毅。早稲田大時代に東京六大学の奪三振記録を476に塗り替え、鳴り物入りで入団したホークスでは1年目からローテーションの一角としてチームの黄金期を支えた。日米通算165勝を挙げた稀代の左腕は、ストイックな現役生活を終えた今、何を思うのか。学生時代に早慶戦で鎬を削った旧知の仲である田中大貴(元フジテレビアナウンサー)が迫った独占インタビュー。第3回は、活躍を支えた家族との秘話やプロ野球選手としての矜持をお届けする。

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田中大貴 ファンの皆さんからは、「普段どんな人なんですか?」という質問を多く頂いていて、和田毅のプライベートや本性が知りたいようです。

和田毅  猫被ってるみたい? 逆に聞くけど、普段の俺はどう?

田中 寂しがり屋で ワイン好き。飲むと長い。終わろうとしてるのに三品くらい注文する(笑)。あとは、意外と気を使う。後輩とご飯に行けばいいのに「気を使われるの嫌だから誘うの止めようかな」とか言うよね。

和田 気は使うかもしれない。「お酒飲みたくないのに付き合ってもらってるのかな」とか。若手を誘う時でも「明日練習だし、ちょっと早く帰したほうがいいかな」とか考えてしまう。

田中 あとは、年々よく喋るようになってきた。

和田 そうかな? たしかに嫁さんからは「パパ、もっとしゃべった方がいいよ」と言われたことがあって、全然自覚はなかったんだけど、その言葉で「もっと喋った方がいいんだ」と思わされた。それから喋るようになったのかもしれない。喋れるようになったのは嫁さんのおかげだな(笑)。

田中 家でお酒を飲むことは? あんまり飲まないか。

和田 飲まないね。飲んでもチューハイでちょっと乾杯くらい。

田中 仲間で一緒に飲んでる時は「柳町、髪型ダメだね」とか面白いことを言うけど、ああいうテンションではない?

和田  家では、ないかな。

田中 和田家の話だと、あれが面白かった。奥さんが「パパお疲れ様」ってメダルを買ってきてくれた話。金色にも見えるんだけど、銅メダルにも見えて……。

和田 どう見ても銅メダルだったね(笑)。 「これって何色」と聞いたんだけど、「金だよ」って言うんだよ。買いに行った場所には2種類しかなかったらしくて、あとは銀色があったらしい。でも、メダルって普通は3種類あるから「もしかしたら金が売り切れたんじゃない?」って話をしたの。でも嫁さんは「そんなことない」っていうから、ネットで調べた。そしたら……やっぱり銅だった(笑)。

田中 (笑)

和田 それで後日、めちゃくちゃ大きい金メダルを買ってきてくれた。本当にえらいでかいメダルを、正真正銘の金メダルだって渡された(笑)。

田中 毅より奥さんの方が面白いキャラなのかな?

和田 間違いなく嫁さんの方が面白いね。

田中 スポルトの時なんかおしとやかなイメージだったけどね。

和田 テレビではさすがに素は出せないでしょ(笑)。

田中  (笑)。サポートはいろいろしてくれたでしょ? 登板前日の食事はパスタとか、全部決めてやってくれたり。

和田  そうだね。自分も炭水化物を採った方がいいと思っていたから、最初は本当に炭水化物だけ採っていた。 それで、ある時に嫁さんが「これって本当に大丈夫? 他のものも食べなくていいの」みたいに言ってくれて、自分でも他のものも食べたほうがいいような気がしていたから、「じゃあ違うもの食べよう」となった。そこからまた身体が大きくなって、2010年(17勝8敗)、2011年(16勝5敗)と成績が上がった。

田中 メジャーに行く直前くらい?

和田 そう。だから節々に嫁さんの言葉があった。食事を変えたのもそうだし。年齢が上がってからはパスタを食べるのも変えたし。

田中  めっちゃパスタ食べるよね。 パスタがすごく好きなイメージ。

和田 炭水化物にタンパク質も多めに入れられるから一番いいんじゃないかなと思ってたんだけど、やっぱり年齢が上がってきて、炭水化物をたくさん摂りすぎると身体が疲れる。パスタを食べた次の日の朝は身体がだるくて、という日が続いて、年齢的なものもあるし、ちょっと身体に合わないんじゃないかと思って先生に話を聞いたら、「止めた方がいい」とアドバイスをいただいて食事をまた変えた。

田中 奥さんは冷静に見てくれていたんだね。

和田 一番冷静に見てくれてたんじゃないかな。

田中 あのストイックな和田毅に言えるのはすごい。

和田 嫁さんの言葉は、かなり大きかったね。

田中 あと、すごく覚えてるのが、毅の子供への姿勢。ここぞという時に怒ること。基本的には遠くから見ているけど、ここぞという時の”境界線“を感じてもらうように接してる姿は、パパの先輩としてめちゃくちゃ参考にした。そんな話をしてくれたの覚えてます?

和田 覚えてるよ。 嫁さんが言ってることを子供が聞かない時もあるし、反抗期じゃないけど、思春期とかもあるからね。でも、 これ以上言ったらパパは怒るからな、みたいな境界線は作っていた。

田中 遠征で家にほとんどいないから、いない時でもそれをどこかで感じさせるとか、思い出させることが大事だと。

和田 「あるラインを超えたら、ママからパパに報告来るからね」と子供には伝えていた。うちの父親がそうだったから。うちは男2人兄弟だったので、年齢が上がって生意気なことを母親に言ったりした時に、父親から「それ以上言ったら俺が怒るぞ」みたいなことを言われていた。だから、「これ以上言ったらダメなんだ」という自分の中での境界線があった。

田中 いなくても存在を感じさせるのが大事だと新聞のインタビューでも答えてたね。 でも引退して、久しぶりにというか、子供から見たら初めてパパが家にいるんじゃない?

和田  そうだね。今も忙しくさせてもらってるけど、これまで練習していた時間帯は家にいるから。

田中 (高橋)由伸さんは監督になる時や、監督の座を下りる時に一番娘が泣いたと言っていた。毅はどうだった?

和田 そんなに泣かなかったかな。自分は肩を痛めていたから、2019年ぐらいから毎年のように「辞めるかもしれない」と伝えていたのもあったと思う。それでDeNAが日本一になった夜に娘に伝えた。王会長に伝える前夜だね。どこかから漏れ伝わるのは嫌だったから、嫁さんとも直前で伝えようと相談していて、「今年パパやめるわ」と娘に伝えた。

田中 娘さんは来年も続けると思っていた?

和田 思っていたみたいで、「本当に本当の話?」みたいなことを聞かれた。毎年言ってたからね。だから「これは本当だよ」って。そうしたら「本当なんだぁ… 」「パパ、お疲れだったね。頑張ったね」って。

田中 現役を続けてほしいという言葉はなかった?

和田 まったくなくて「十分やったね」という言葉だった。ぐわーっと泣かれたら困るなと思ってたんだけど、やっぱり毎年言っていたから覚悟はしていたみたい。それが今年ついに来たんだと。悲しいというよりは、お疲れだったねという感じのホロッとした涙は流したけど。

田中 長い期間かけて準備ができていたのかもしれない。

和田 そうだね。

田中 毅がよく話していたのが、プロ野球選手の厳しさだったと思う。育成と支配下の違いだったり、長くプロ野球選手でいたからこそ、厳しさを知っている。

和田 あれを言った時は……うちは1軍から4軍まであるし、育成選手の数もすごく多い。だからどうしても、”なあなあ”じゃないけど流されることが多くなる。選手層が厚いから1年目は身体作りでいいや、とかね。育成は3年間は面倒見てくれるような雰囲気も少なからずゼロではないし。実際は決して3年の猶予があるわけではないんだけど、そういう甘えが生まれてしまう。だから、支配下になるためにがむしゃらにやろうよ、と。まだまだ君たちは支配下になってないわけだから、自分の中ではプロ野球選手ではない、と言ったんだよね。

田中 なるほど。

和田 背番号は3ケタだし、1軍の試合には出れないんだよ、と。当然、身体作りは大事なんだけど、その中でもやっぱり一日でも早く支配下に上がりたいという気持ちを持つのと持たないのでは全然変わってくる。危機感ではないけど、そういう気持ちでやってほしいというのを一番伝えたかった。

田中 早稲田大の時から甘さを排除する意思が強いように見えていたけど、その甘さとの向き合い方はどうやって培ってきた?

和田  人間はどうしても楽な方に行きがちになってしまう。 自分の場合は自ら引退を選べたけど、基本的にほとんどの人がクビを宣告されて辞めていく。実際にクビと言われた時に「ええ、なんで?」みたいに、初めて危機感を覚える人がいるかもしれない。そう思うくらいなら、時間がある中で1日も悔いなく日々を過ごしてほしい。だから自分は1日1日を大切に悔いなく22年間やってきたつもりだし、そういうふうに若い選手たちにも過ごしてほしい。 宣告されてからじゃ遅いから。

田中 このインタビューが出る頃には、ホークスの役職が出ているかもしれないけど、やっぱりホークスの中でもそういう意識改革だったり、できるだけ長くプレーしてもらうための働きかけをしたいという想いはある?

和田 まあ、モチベーションをどう持っていくかはコーチやフロントの仕事でもあるけど、結局やるのは個人個人だからね。僕らが言ったところで、選手がやらなかったら、それで終わってしまう。永遠のテーマなのかな。僕らが若い時も、そういう人たちはたくさんいたしね。

田中 これからどうするの? といろんな人に聞かれてると思うけど、なんて答えてます?

和田 フリーランス(笑)。

田中 社会人1年目ね。

和田 まず来年はゆっくりやりたいなと思ってる。仕事仕事というより、今までやれなかったことをメインにしたいなと。シーズン中なのに家族で温泉行ったりね。

田中 野球にはある程度携わるけれども、空いた時間は今までやってないことをすると。

和田 初めての仕事もやってみたいけど、どちらかというと青い芝でゴルフしたりとか、まずは一度そういうのを経て、充電できたなと感じてから仕事かな。

田中 いずれは?

和田 やっぱり野球の仕事に携わりたい。どういう形であるかはわからないけど。

田中 球団で戦いの場に携わりたい?

和田 フロントの方に行くか、現場に行くかはまだわからないけどね。

田中 その時は広報で僕を呼んでよ。仕事は全部他に任せて行くから。

和田 えっ? いや、忙しいでしょ?

田中 ダメなんですか?

和田 いやいや、全然。 来てもらったらすごく嬉しいけど。 そんな全部仕事ほっぽりだしてね……。

田中 アナウンサーをやってきたけど、新たなキャリアとして球団の広報を務めるのは今までにないことだし、戦いの場にいられるのは素晴らしいことだと思う。なかなかないよ。この年齢で戦いの場にいられるって。

和田 もう22年間ずっと戦いの場にいたので、今はどちらかというと、穏やかな場所でちょっと休ませてほしいかな(笑)。

田中 でも、またいつかは?

和田 これだけ野球界に携わってきたし、恩返しじゃないけど、自分が伝えられるものは伝えていきたいと思っている。もちろん、いつかは野球界に携わりたい。

田中 その時は、広報で呼んでください。よろしくお願いします(笑)。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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