東京女子プロレス・山下実優 インタビュー前編 伊藤麻希とのタッグ「121000000(ワン・トゥー・ミリオン)」で、東京女子プロレスのプリンセスタッグ王座を保持する山下実優。来たる2025年1月4日の後楽園ホール、マーシャ・スラモビッチ&ザ…

東京女子プロレス・山下実優 インタビュー前編

 伊藤麻希とのタッグ「121000000(ワン・トゥー・ミリオン)」で、東京女子プロレスのプリンセスタッグ王座を保持する山下実優。来たる2025年1月4日の後楽園ホール、マーシャ・スラモビッチ&ザラ・ザッカーの挑戦を受ける。

 2013年8月にデビューした山下は、2025年でキャリア12年目を迎える。新春の大一番を前に、プロレスデビューのきっかけや、"絶望"を味わった試合など、これまでの足跡を振り返ってもらった。


東京女子プロレスのプリンセスタッグ王座を保持する山下実優

 photo by Tatematsu Naozumi

【アイドルを目指していた少女がプロレスデビュー】

――山下選手はアイドル志望だったとのことですが、プロレスの道に進むきっかけを教えてください。

山下:子どもの頃、AKB48が流行っていて「アイドルになりたい」という夢がありました。地元の福岡でAKBのオーディションを受けて、書類審査を通過して東京で面接を受けたんですが、叶いませんでした。それでもアイドルを目指して福岡と東京を行き来している時、DDTプロレスの髙木三四郎さんに会って「DDTの女子部(東京女子プロレス)を作る」という話を聞いたんです。

――どういった経緯でそれを聞いたんですか?

山下:私は小さい頃から空手を習っていたんですが、それを知っている方が「アイドルを目指すより、空手の経験を活かしてアイドルレスラーになったほうがいいんじゃない?」とアドバイスをくれて。その方が髙木さんに私のプリクラを見せたら、プリクラだったからだいぶマシに見えたのか「面接だけでもいいから、今すぐ東京に来てほしい」と呼ばれて面接を受けたんです。

 最初はあまり乗り気じゃなかったんですけど、髙木さんと話をしていたら気持ちが変わって「参加します」と。本当は「格闘技はやりたくない」と思っていたんですけどね(苦笑)。

――現在は打撃をベースにしたストロングスタイルのプロレスラーですが、最初はアイドルレスラーだったんですか?

山下:最初の頃は、踊って入場していましたよ。団体としてもアイドル要素を出しながら模索している時期だったと思います。

――デビューまではどんな練習をしていたんですか?

山下: 2012年に上京して、リングデビューするまで約1年間、みっちり基礎を教えていただきました。当時活動していたのは、私を含めて3人。ずっとマットで練習していましたね。私たちは1期生で先輩がいないので、いろんなジャンルの先生に学びました。(2013年の1月に)初めてプレイベントが開催されたんですが、そこでやったのもマットプロレスでしたね。

――そこから毎月のようにプレイベントを行ない、2013年8月17日、DDTプロレスの両国国技館大会のタッグマッチでデビューしました。

山下:そこで立ったリングは、マットとは別物でした。試合前はずっと泣いていて、すごく緊張していたのを覚えてます。試合の内容はまったく記憶にないんですよ。試合後、デビュー戦の映像で確認して「こんなことをやってたんだ」と。

 空手もやっていたからか「戦うこと」に関しては、一緒にデビューしたほかの選手よりイメージできていたほうだと思います。でも、プロレスラーとして"魅せる"部分で納得がいかなかった。「本当に難しい」と感じましたね。

【初めて"絶望"を味わった戦い】

――その"魅せる"ができるようになった、と感じたのはいつ頃ですか?

山下:けっこう時間がかかりました。周りの人からすれば、私が空手を習っていたことは強みに見えたでしょうけど、私のなかでは「空手で効く蹴り」と「プロレスで効く蹴り」はまったく別物。「お客さんを魅了できる蹴り」ができない葛藤がありました。

 レスラーとして「こう魅せていこう」と明確に意識したのは、2017年8月26日に、後楽園でセンダイガールズの里村明衣子さんとシングルで対戦した時です。この日、人生で一番の"絶望"を味わいました。初めて試合中に「勝てないな」と感じたんです。空手の試合でメチャクチャ蹴られても、一度も感じたことがなかったのに......。

――絶望を味わっても戦い続けなければいけない。その時はどんな気持ちでしたか?

山下:けっこう心のなかはグチャグチャでした。東京女子にほかの団体の選手が上がることはほとんどありません。そのリングにセンダイガールズのエースである里村さんが来た。私は東京女子を代表して戦っているから負けたるわけにはいかないし、ファンにみっともない姿を見せたくない。その強い気持ちがあったのに、里村さんにスリーパーホールドで締められ、私は一瞬意識が飛んでしまったんです。

 なんとかロープブレイクはしましたが、お客さんも里村さんの空気に支配されていました。そこで「勝てないな」と......。試合はスリーパーホールドでレフェリーストップ負け。でも、結果以上に気持ちで負けたことがすごく悔しかった。

 でも、その負けで「東京女子で"絶対的な強さ"の象徴になる」と腹をくくりました。それまでは「可愛くありたい」という気持ちもあったんです。私は器用なタイプではないので、いろんなことはできない。だからプロレスラーの強さ、ストロングスタイルを追求しようと思いました。

【海外では"東京女子のボス"?】

――2024年も4月から6月中旬まで海外遠征をしていましたが、これまでも山下選手は世界を飛び回ってきたイメージがあります。

山下:飛び回ってますね。アメリカだけでなく、イギリスやスペインでも試合をしましたし、いろいろな国の選手と戦うことの楽しさを知りました。ただ、「東京女子を大きくしたい」という思いが強かったので、それを第一に考えて海外で試合をするようになりました。

 目標にしていた東京女子単独での両国国技館大会が開催されたあと(2022年3月19日)、「次の目標はどうしようか?」となって。それで、海外でベルトに挑戦したり、もっと世界中のいろんな人と戦いたいと思うようになりました。

――海外からのオファーなどのやり取りはどうしているんですか?

山下:全部自分で対応します。そのほうが勉強になるし、せっかくならいろいろ経験してみたいですから。

――海外の反応はいかがですか?

山下:レッスルユニバース(プロレス動画配信サービス)が世界配信されているので、私のことを"東京女子のボス"と認識している人もいます(笑)。現地の人が「アップアップガールズ(プロレス)」の歌も日本語で一緒に歌いますからね。配信の影響は大きいです。

【武藤敬司、赤井沙希の引退試合に思ったこと】

――2023年2月、武藤敬司さんの引退試合に出場。東京女子の提供のタッグマッチで東京ドームのリングに上がった時は何を思いましたか?

山下:初めての東京ドームのリングは、入場からすごくテンション上がりました。リング上からも意外と客席が見えて、「これが東京ドームか......」と感慨深いものがありましたね。でも何より、東京女子のメンバーと一緒にあのリングに立てたことが嬉しかったし、楽しかったです。

――いつかは東京女子でも開催したいですか?

山下:不可能ではないと思います。2023年2月が、その第一歩だったらいいですね。武藤さんに感謝しています。

――引退といえば、同年11月にDDTの赤井沙希選手も引退試合を行ないましたね。タッグマッチの相手として山下選手も出場しました。

山下:引退試合は特別ですし、戦いたい選手はいっぱいいたはず。その相手に選んでいただけて光栄でしたし、緊張もしました。赤井さんに関わってきたレスラー、スタッフやファンの気持ちを背負ってリングに立たないといけない責任がありますから。

 試合中は、赤井さんが引退する実感が湧かなかったんです。でも、最後に私がスカルキックを決めた瞬間に目が合って。その目を見て「これが最後なんだ......」と思いました。

――"介錯人"としての役割を果たして感じることはありますか?

山下:赤井さんは体力、スタイル、強さも保ったまま引退しました。その潔さがすばらしかった。「私も"強い山下実優"のままで引退したい」と思いましたね。

(後編:プロレスラー11年目で感じた「マンネリ」と進化 里村明衣子との 1対1、伊藤麻希とのタッグへの思いも語った>>)

【プロフィール】
山下実優

1995年3月17日、福岡県生まれ。165cm。2013年8月17日、DDTプロレス両国国技館「DDT万博〜プロレスの進歩と調和〜」でプロレスデビュー。2016年1月4日、初代プリンセス・オブ・プリンセス王座を戴冠。2019年4月5日アメリカでSHINE王座の獲得と、プリンセス・オブ・プリンセス選手権の最多防衛記録10回に成功。2021年2月に伊藤麻希とのタッグ名を「121000000」(ワン・トゥー・ミリオン)として本格始動。2022年11月ロンドンでEVE王座を奪取。2023年3月に「121000000」でプリンセスタッグ王座を獲得し、同年6月にはアメリカで設立した新団体「Spark Joshi Puroresu」の初代王者になる。2024年9月、「121000000」でプリンセスタッグ王座2度目の戴冠。2024年11月にDDT UNIVERSAL王座を獲得。2025年1月4日、後楽園ホールでマーシャ・スラモビッチ&ザラ・ザッカーの挑戦を受ける。