阪神の嶌村聡球団本部長(57)がデイリースポーツの単独インタビューに応じ、チーム編成の未来図などを語った。今オフは国内フリーエージェント(FA)権を取得した大山悠輔内野手(30)ら4人の慰留に成功。チームは近年、生え抜き中心で安定した成績…

 阪神の嶌村聡球団本部長(57)がデイリースポーツの単独インタビューに応じ、チーム編成の未来図などを語った。今オフは国内フリーエージェント(FA)権を取得した大山悠輔内野手(30)ら4人の慰留に成功。チームは近年、生え抜き中心で安定した成績を収めているが「うまくいき過ぎている」と危機感を強調した。選手育成や球団運営、野球の普及・振興に懸ける思いなどを聞いた。=後編。

  ◇  ◇

 -佐藤輝、才木が将来的な米大リーグ挑戦の意向を表明。

 「ポスティングシステムというのは球団に権利があるのが大前提。選手の意気込みや気持ちをくみながらやっていきたい。メジャーを目指すことを止める権利もないし、スキルの上達にもつながってくる。ただ、チームを預かる身としてタイガースのことを考えなければいけない。チームというのは選手の集合体。優勝を目指して頑張っている選手、監督、コーチもいらっしゃる。そして一番は応援してくださるファンの方々、スポンサーの企業の皆さま方、そういったステークホルダーのことを常に考えながらプロ野球経営をやらせていただいている。選手の意気込みだけで『はい、分かりました』というわけにはいかないのが現状です」

 -野球振興室を新設した。普及・振興にかける思いは。

 「われわれは100年前に甲子園球場を作った人、90年前にタイガースを作った人、それをつないできた人の土俵に立って商売してるだけ。野球人口が減り、競技者人口が減り、観戦する人が減ってくる中でどうするかを真剣に考えて次の時代に渡すためには、こういった野球振興室を作っておかなければいけない。目の前のいくら稼ぐかだけではいけないというメッセージでもある」

 -野球振興では巨人とも手を取り合っていく。

 「やはり巨人軍は野球振興でもわれわれより先に行っておられる球団です。そこには歴史と伝統のある球団としてのステータスがすごく現れる。巨人さんが1934年に創設されて、1年後にうちが球団を作ったという昔からの仲間。巨人さんがプロ野球界を90年間引っ張ってきて、われわれも続いてきたという自負を持ちながら、グラウンドではライバル同士で戦いますが、そこは手を取り合いながらやっていければと思っています。勝ち負けではなく、うちは西の方で頑張っていきたい」

 -今後の球団運営について。

 「チーム編成のグランドデザイン(設計図)は変わらずやっていきたい。一つのポイントとしては、育成した選手で勝つこと。選手育成が目的ではない。育成した選手で勝つことが目的。最終目的はそうであるということ。後はチームの連続性。チームが永続するものとして、われわれはこの時代を預かっている。次の時代へバトンタッチするという意識を全員が持つことが大事です。さらに『三位一体』。ユニホームを着た監督、選手。最前線で刀を持って切り合っているフロント。あと親会社の経営陣。その気持ちや方向性が一緒なのが、優勝するにふさわしいチームだと思う」

 (続けて)

 「30年ほど前に三好球団社長が球団経営についておっしゃっていた『人集め、人づくり、人使い』という言葉がある。人集めはスカウト、人づくりは人間教育も含めた育成、人使いは全体的なチームづくりと解釈している。まさしくその通りで、それがグランドデザインとなり、引き継がれている。今後もそうあってほしいと願っています」

 -球団本部長はやりがいのある仕事か。

 「ありますよ。その代わりプレッシャーもあります。逃げないこと、責任を取るということを見せないと周りはついてこない。日々しんどいし、それなりのプレッシャーを感じながらやっているのも事実です(笑)」

 ◆嶌村聡(しまむら・さとし)1967年9月3日生まれ、大阪市出身。関学大では野球部に所属し、91年に阪神電鉄へ入社。94年から阪神タイガースに出向し、広報部に所属。99年に野村克也監督の監督付広報を担当した。2002年から編成部。06年に野村氏が楽天監督に就任すると阪神を退団し、楽天で監督付広報を4年間務めた。10年に阪神復帰。編成部次長などを歴任し、21年4月から球団本部長を務める。