本州最北端の青森県にある青森大学(青森市)。1970年創部の硬式野球部には約120人の部員が在籍しているが、名簿を見ると青森や東北の高校出身者ばかりではないことに驚かされる。北海道、関東、関西、北陸、中国、九州…日本各地から選手が集まってき…
本州最北端の青森県にある青森大学(青森市)。1970年創部の硬式野球部には約120人の部員が在籍しているが、名簿を見ると青森や東北の高校出身者ばかりではないことに驚かされる。北海道、関東、関西、北陸、中国、九州…日本各地から選手が集まってきているのだ。そして大所帯となりつつあるのが、気候が大きく異なる南国・沖縄の高校出身者。現在6人おり、来春には11人に増える予定だという。全国屈指の豪雪地帯に位置する大学を進学先に選ぶのはなぜか。理由を探るべく青森大に足を運んだ。
真っ白なグラウンドの隣で…“僻地”にあふれる選手の熱気
取材日は12月中旬。角野快斗コーチが運転する車に乗せてもらい、青森駅から約30分かけてグラウンドに到着した。青森大OBの角野コーチは横浜創学館高校(神奈川)出身。横浜創学館と青森大はつながりが深く、現在も角野コーチの後輩たちが毎年のように入部している。
グラウンドは深々と降り積もった雪に覆われ使用不能。例年11月中旬以降は雪が降り続くため、冬の時期は隣接する室内練習場を使用している。この日も寒さを吹き飛ばすほどの熱気がこもる室内で、キャッチボールや投球練習、打撃練習に取り組む選手たちが汗を流していた。
「ここには、僻地から虎視眈々と中央球界を狙う選手たちがたくさんいます」
2017年からチームを率いる三浦忠吉監督はそう口にすると、「あの子は高校時代3、40本ホームランを打っていて、足もあるし守備もうまい。(別の)この子は真面目で、難しいことを言うとバッティングが大きく変わってしまうんです」など次々と選手を紹介してくれた。その語り口からは、教え子一人ひとりに強い思い入れを抱いていることが伝わってくる。
札幌を起点に“開拓”進め…「光るもの」探し飛び回る日々
三浦監督はオフシーズンになると、スカウティングのため日本全国を飛び回る。監督就任当初は青森や東北の高校出身者が部員の多くを占めていたが、メキメキと力をつける富士大学や八戸学院大学といった北東北大学野球リーグのライバル校を倒すためには、選手層を厚くすべきだと考えた。
「社会人野球こそ長かったけど、高校野球は0からのスタート。最初はまったくツテがありませんでした」。母校の青森大に戻る前はJR北海道に12年間在籍していたため、札幌市を起点に徐々に範囲を広げていった。逸材を見つける“選球眼”は多くの試合、選手を見るうちに養われた。
「(同じ東北の強豪校である)富士大学や東北福祉大学と競合した場合、高校生はなかなかうちを選んではくれない。それなら、遠い場所にも出向いてほかの大学が狙っていないポテンシャルの高い選手を発掘しようと思ったんです。速く走れるとか、強く投げられるとか、フルスイングできるとか、体が大きいとか…何か一つでも光るものがある選手は気になりますし、見つけたときは気持ちが昂ぶります」
中でも「発掘しがい」を感じたのが沖縄。春季キャンプを宮古島で実施していたことや、同い年の知り合いに沖縄尚学・比嘉公也監督がいることなどがきっかけで、沖縄の高校生を目にする機会が増えた。そして、沖縄独特の「フィジカルの強さ」を持つ選手たちに惚れた。
目標はプロ入り…沖縄出身外野手は「厳しい環境」求め青森へ
その筆頭が、2026年ドラフトでのプロ入りを目指す右の強打者・川満真外野手(2年=糸満)だ。高校時代は「エースで4番」で、投手としては140キロ近い速球が魅力。だが三浦監督の目にそれ以上に光って見えたのは、毎打席で披露するフルスイングだった。
最高成績は県16強で個人としても全国的な知名度はなかった。川満いわく、九州の大学数校が進学先の候補に挙がる中、突如遠く離れた場所からアプローチをかけてきたのが三浦監督だったという。最終的に青森大を選んだ理由は「プロ野球選手を目指せる大学だと思ったから」。青森大OBで同じ右打ちの外野手である蝦名達夫外野手(現・横浜DeNAベイスターズ)、名原典彦外野手(現・広島東洋カープ)が大学で成長してプロ入りを果たしたことも決め手の一つになった。
大学に入るまでは東北を訪れたことも、雪を見たこともなかった。気候の変化については「最初はめちゃくちゃ不安でした」と振り返る。「でも…」と川満。「高校生の頃までは自分に甘くなってしまっていたので、厳しい環境にいる方が追い込めるかもしれないと思いました。厳しい環境で野球ができたら人間的にも成長できると信じて、覚悟して青森に来ました」と力強い口調で続けた。
「いまだに風邪はよく引きます」と苦笑いを浮かべるが、雪国の練習環境にはすぐに適応した。1年秋にレギュラーの座を勝ち取ると、そのシーズンは3割近い打率をマークしてベストナインに輝いた。ただ、2年目は打撃面で本領を発揮できず。勝負の3年目に向けては「親には『野球に集中するから今年はバイトをしません』と言いました。誰にも文句を言わせない成績を残せるよう、この冬はとことん自分を追い込みます」と誓う。川満のように、強い覚悟を胸に秘める選手は少なくない。
「すごい原石だよ」…逸材高校生に伝える“愛情”と“熱意”
「青森のこの環境で誰よりも野球と向き合う時間を作った結果、夢をつかんだ先輩たちがたくさんいる。高校時代の実績や立ち位置は関係ない。ひたむきに努力を重ねれば、大学の4年間でそれを覆すことができる。君は気づいていないけど、すごい原石だよ」
青森大OBには蝦名、名原らプロ野球選手だけでなく、高校時代の悔しさを糧に実力を伸ばして社会人野球に進んだ選手が多数いる。近年では鳴門高校(徳島)で補欠だった高井智也内野手がJR四国でレギュラーを勝ち取り、今年の4年生では白樺学園高校(北海道)で注目外野手の陰に隠れていた玉置健士郎外野手が日産自動車に内定した。三浦監督は彼らの「シンデレラストーリー」を交えながら、日本各地で出会った逸材たちに声をかける。
三浦監督は前述の通り取材中、現役、OB関係なく出会った教え子一人ひとりの魅力や背景を嬉々として話してくれた。言葉の節々から感じ取れる指揮官の愛情と熱意は間違いなく高校生にも伝わるはずで、だからこそ選手たちは青森大を選び、期待に応えようと4年間努力する。取材を通して、全国から選手が集まる理由の一端が垣間見えた気がした。これからも青森の地で、出会いの数だけの「ストーリー」が紡がれていく。