「7月には支配下登録されることを目指します」 ソフトバンク育成6位指名の川口冬弥がまず目標とすべきは、支配下選手登録。7月に設定した来るべき日に向けて入念な準備を行っている。高校、大学では実績ゼロだったが、ハナマウイへ入団すると才能が開花し…

「7月には支配下登録されることを目指します」

 

ソフトバンク育成6位指名の川口冬弥がまず目標とすべきは、支配下選手登録。7月に設定した来るべき日に向けて入念な準備を行っている。

高校、大学では実績ゼロだったが、ハナマウイへ入団すると才能が開花し始めた。

「最初からアピールする必要があるので、1月の新人合同自主トレで遅れをとったり故障しているヒマはない」

 

飛び抜けた才能を持っていても、パフォーマンスという形にしなければ道は途切れてしまう。ドラフト後に秋季キャンプ最終クールへ参加したことで、現在地とやるべきことを認識できたという。

 

「全選手が取り組むフィジカルを追い込むメニューに参加しました。かなりタフなものでしたが、一軍選手がやることを経験できたことは大きかったです」

 

「年明けの新人合同自主トレでも同様のメニューが組み込まれるそうです。苦しむことなく、しっかりと取り組めるようになっていたい。そこで置いていかれるようでは話にならないです」

ソフトバンク秋季キャンプに参加したことで、「今やるべきことを認識できた」と語る。

~「2年でプロ入り」宣言は純度100の本音だった

「定めた目標から逆算して必要なことを考える」才能を持ち合わせているようだ。

 

「2年後にドラフト会議にかかってプロへ行きます」と、大学卒業後にクラブチーム・ハナマウイへ入団した際に宣言した。本気の言葉だったが、当初は真剣に受け止める人はいなかったという。

 

「自分の中で純度100の言葉。『口に出せば夢は叶う』と誓い的な意味もありましたが、変な自信もありました。自分は野球界でゼロの立ち位置だったので、『上を見るしかないじゃん』という感じ(笑)」

 

奈良県出身、高校は東京の名門・東海大菅生高で寮生活を送った。大学は野球を続けるため千葉大学野球連盟の城西国際大へ進学。しかし、「学生時代は何もやっていない」と語るように実戦登板の機会はゼロに近いものだった。

 

「高校ではAチーム(=一軍)の試合に登板したことはありません。監督にブルペン投球を見てもらった記憶すらない。大学も同様で、コーチの指導を受けた程度。部活とは別に野球技術専門ジムに通うなど、一人でもがいていた感じでした」

 

「大学3年時に初めて150キロが出た時も、全力で思い切り投げたら出た感じ。この時の投球は捕手の頭上にある屋根に当たりましたから(笑)。『うまく扱えればすごくなるのでは?』と思えて、焦りはなかったです」

 

大学4年の春に通っていた初動負荷トレーニングのジムで運命的な出会いを果たす。ハナマウイ投手コーチ・中山慎太郎氏と知り合って同チーム入団を決意、投球をイチから作り上げることにした。

大学3年時に球速150キロは出したが、「大事な試合で投げたことはなかった」という。

~文字通りの「本物」と感じた(ハナマウイ投手コーチ・中山慎太郎)

ハナマウイは2020年に創部2年で都市対抗野球(東京ドーム)出場を果たした話題のチーム。中山コーチのもとで恵まれた身体を最大限に活かす投球スタイルを作り始めた。

 

「投球フォームがバラバラでも球速145キロを常に出している。本物だと思いました」と中山コーチは振り返る。

 

「当初は全身を使って腕を大きく振って殴るような感じで投げていた。球はすごいけど1球ごとがバラバラ。理にかなった投球フォームを身につけ、投球の再現性を高めることを目指しました。そのためにもベクトルの向きを大切にしました」

 

「力を伝える方向を1つにまとめることの重要性を話しました。投球フォームの正しいメカニクスを身につけるため、具体的には体幹、お腹周り(=腹斜筋)、体重移動のバランスが取れるように細心の注意を払います」

 

「僕の長所、短所、目指すべき場所を言語化して伝えてくれたので、信頼できると感じた。ついて行こうと決めました」(川口)と絶大な信頼を寄せる。

投球時のベクトルの向きを一定にするため、体幹、腹斜筋、体重移動のバランスを重視する。

~配球の話をしていると思ったら嬉しくなった

「このまま行けば、絶対にプロに届くよ」と中山コーチは常に語りかけた。

 

「正直、『何を言ってるんだろう?』と感じた時もありました。でも1つずつ理論的にわかりやすく教えてくれて、試してみると自分自身でも手応えが掴めた。僕もどんどん、その気になってきました」

 

日々の努力は着実に身につき、ハナマウイ2年目には先発投手陣の一角を任されるようになった。

 

「初めて野球の投手をやっている感じだった。中山コーチや捕手陣と配球や試合の流れの話をしていると、『俺が打者への攻め方の話なんかしてるよ(笑)』と嬉しかった。もっとやれる、うまくなりたい、という気持ちが強くなりました」

 

ハナマウイでは社会人強豪チームに加え、プロ二軍との交流戦を行なうことができた。プロの打者を相手に投げたことも自信に繋がった。

 

「『プロへ行くのなら、全国大会に出るか、NPB二軍戦で好投して目に止まるしかない』と思っていました。プロに通用する部分があることがわかり、大きな自信になりました」

徳島に移籍したことでNPB関係者の目に触れる機会が増えたのも大きかった。

~プロのスカウトに見てもらうために実戦は多いほど良い

ハナマウイ2年目秋にはドラフト指名の可能性もあったが、叶わなかった。「年齢的に最後のチャンス」と思い、四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスへの移籍を決意する。

 

「徳島でプレーして感じたのは試合数が多いことの重要性。実戦経験を積めるのに加え、NPB関係者に見てもらえる機会が増える。それまでは少ない試合数の中、『良い姿を見せよう』と力んだ部分もあった。1度失敗しても、『次から取り返そう』と気持ちも切り替えられます」

 

「スカウトの方にも、『ピンチや打たれた時の態度を見たかった』と言われました。投手、人間性の両方を見極めたいのだと思います。また、『打たれた次にどういう投球をするのかもチェックした』ということでした」

 

今季、徳島では29試合登板(先発5)、3勝7セーブ、防御率1.37で最多セーブと最優秀防御率のタイトルを獲得。前期はブルペンで抑えも任され、後期途中からは先発も経験。59.1回を投げ85奪三振(奪三振率12.89)と打者を圧倒した。

 

「試合で使ってくれたのが一番良かった。登板試合数が増えマウンド上で多くのことが試せた。捕手にも恵まれて自分の引き出しも増やしてもらえました」

 

「ブルペン時代はフォークをカウント球と決め球で使い分けて使いました。先発では『スライダーでも三振を取りたい』と思って試行錯誤してうまく行くようになった。実戦の中で着実にステップアップしている実感がありました」

中山慎太郎氏(写真左)と川口冬弥(同右)の深い絆が成長速度を高めている。

~自分に期待を持てるという、ポジティブな焦りがある

25歳でのプロ入りが遅いことは自覚している。しかし、経験を積んで身につけたストロングポイントを活かし結果を残し続けることしか頭にない。

 

「先発よりは後ろ、ブルペンで勝負した方が良いと思っています。速球、フォーク、スライダーを使った奪三振能力が武器。短い回、もしくはワンポイントなどの場面で攻めまくって三振を奪う。それができないとプロで生き残れないと思います」

 

秋季キャンプでは首脳陣からも「今持っているものをぶつけてくれればプロで勝負できる」という言葉をもらった。

 

「ハナマウイに入ってから野球を始めたようなものですから、伸び代が残されているはず。自分への期待感のような、ポジティブな焦りがある。もっともっと準備をしないといけない」

 

「日本シリーズや大事な試合で終盤を任せられる、圧倒的な投手になりたいです。そのためにも逆算して今、何をやらないといけないかを常に考えています」

 

プロ入りの野望を言葉に出すことで夢の入り口まで辿り着いてみせた。そこで口にしたのは、「チームに欠かせないブルペン投手になる」という具体的な役割。目標を現実化させるため、今まで同様、逆算して考えて必要な準備を怠らない。

支配下登録だけでなく、日本一を目指すチームに欠かせない投手になることが目標だ。

「みずほPayPayドーム福岡や筑後の球団施設も見ました。こんなに恵まれた環境でやれるのは初めてなので幸せです」

 

「野球選手らしいことをできている」という純粋な思いが伝わってくるようだ。今が選手として最も伸びる「ゴールデンエイジ」であり、古くて青臭い表現なら「青春時代」なのかもしれない。川口をプロの舞台で見るようになる日は、想像以上に早いと感じさせる。

 

(取材/文/写真・山岡則夫、写真・佐藤友美、取材協力/写真・ハナマウイ、中山慎太郎)