2012年から渡米「向こうの表現の仕方とかすごく勉強になった」 ヤクルトやメジャーリーグで活躍した青木宣親氏は、今季限りで日米通算21年間の現役生活にピリオドを打った。自身は2011年オフにポスティングシステムを利用して米挑戦。近年はメジャ…

2012年から渡米「向こうの表現の仕方とかすごく勉強になった」

 ヤクルトやメジャーリーグで活躍した青木宣親氏は、今季限りで日米通算21年間の現役生活にピリオドを打った。自身は2011年オフにポスティングシステムを利用して米挑戦。近年はメジャーを目指す選手たちが増えていることについて「めちゃくちゃいいことだと思う」と持論を述べた。

 10年以上前に自身が移籍したときに比べ、“米挑戦”も変わってきた。NPBの若き才能が早くから移籍志望を公言し、毎年複数人が海を渡る。青木氏は「野球とベースボールはぜんぜん違う。それを経験して自分も幅が広がったような気がするから、経験したほうがいいと思うね。スタープレーヤーが出ていってしまうとかあるかもしれないけど、でもスタープレーヤーは、出ていけばまた次が出てくる。俺はそう思うから、いいと思うけどね」。

 青木氏は6年間の米生活を経て2018年にヤクルトに復帰した。豊富な経験を注入して主将も務め、2021年には悲願の日本一を味わった。だからこそ「(米国に)行ってまた日本に帰ってきて、若い子たちにいろいろ伝えていってほしい。そうやっていい流れができると思います。日本の野球も素晴らしいけど米国の野球も素晴らしいので、そこを経験してまた大きくなって帰ってきてほしい」とNPBの発展も願う。

 米国ではワールドシリーズに出場した一方で、7つのチームを転々。マイナー降格やトレードなども味わった。苦労したことが「めちゃくちゃ糧になった。今後の人生にすごく活きてくる気もするし、実際に帰ってきてからのプレーというのはいろいろなものが見えてすごく楽しかった。前回日本でやっていたときとまた違った感じで野球をやっているというか、その感覚って心地よかったよね」。プラスに働いたと胸を張ることができる。

 実は若手時代は「表現することが苦手というか、喜怒哀楽を出すのが悪じゃないけどそういう風潮があって、どうしたらいいかわからない部分があって苦労していた」と明かす。しかし米国の野球に触れて変化。「向こうの表現の仕方とかすごく勉強になったし、考え方って人それぞれあるんだなって。そんな経験をしたから、本当に違った野球をやっている感覚でした」とかけがえのないものを得た。2025年1月1日からはゼネラルマネジャー(GM)特別補佐に就任。青木氏の“還元”は続いていく。(町田利衣 / Rie Machida)