全国高校サッカー選手権大会に4年連続出場の岡山学芸館。文武両道や徹底的なフィジカル強化などが特色だが、どんな歴史を経てきたのか。OBや指導者として部に関わる3人が語り合った。 <座談会参加者>堀之内健介さん 41歳 教員 2010年より指導…

全国高校サッカー選手権大会に4年連続出場の岡山学芸館。文武両道や徹底的なフィジカル強化などが特色だが、どんな歴史を経てきたのか。

OBや指導者として部に関わる3人が語り合った。

 

<座談会参加者>

堀之内健介さん 41歳 教員 2010年より指導者(高校教員)

淺原俊宏さん 34歳 2006年入学 OBで2013年より指導者(外部コーチ)

徳山裕大さん 31歳 2009年入学 OB 後援会会長

それぞれの時代

ーーお三方で一番古い時代を知るのは淺原さんですね

 

淺原「僕が入学前の2005年に岡山学芸館は選手権予選で県決勝まで進んでいました。勉強もサッカーもと思うと岡山県ではそんなに選択肢がなく、学芸館を選びました。高校1年の冬に新人戦で初めて岡山県優勝。その1年後に高原先生(当時はまだコーチ)が監督になって、僕たちの代が高原監督の一期生です」

現在外部コーチでありSNSも担当する淺原さんのサッカー部在籍当時

ーーその頃と今の違いは

 

淺原「今との大きな違いは、各学年1~2人は県外の選手がいても、あとは全員岡山県人でした。徳山さんのときはいました?県外」

徳山「僕らのときは0です」

 

ーー徳山さんの代は堀之内さんも指導者でいらした

 

徳山「そうです、堀之内さんはキーパーコーチで、僕はキーパーでした」

 

ーー岡山学芸館はどんな印象でしたか

 

徳山「作陽と玉野光南には勝てないけど、何とか全国を目指す過程の世代でした。僕らの代では、特待生もそれなりにいましたが、県外は本当にゼロ。

クラブチーム出身と中学部活動出身が混ざっていて、レベルの差が結構ある。僕も中学部活動出身だったので、一週間でやめようかと思うくらいレベルの違いに驚きました」

地獄の合宿が最大の思い出

徳山「当時は走るトレーニングが本当に多かった。一番強烈だったのは、山口県にある大島という島の合宿です。2泊か3泊の間ボールを使わない。毎日走って、ご飯が朝5杯、昼は弁当、夜もお茶碗5杯、ご飯を食べないと部屋に戻れない。僕はご飯を食べていたので『食べられない選手を見張れ』と」

 

ーー人間教育

 

徳山「サッカーより先にメンタルですね。強いチームを倒すために、気力と体力を鍛えるような、それが指導の中心でした。あと『選手の前に人として成長しなさい』と。とにかく挨拶や学校での態度を、上手い下手に関係なく先生が厳しく指導していました。今もそうかもしれませんが」

淺原「上手い選手でも、本当に関係なく厳しかった。」

 

 

ーー合宿は季節的にはいつですか

 

徳山「真夏です。ぶっ倒れるまで走る地獄。それに行かない条件はインターハイに出ることしかない」

 

ーー切実ですね

 

堀之内「合宿といえば、一回岡山県笠岡市の飛島(ひしま)でもしました。廃校になった小学校で、それこそ走って食べる合宿。一周4キロの島を3周走る。砂浜を走って、隣の200何段か階段がある神社の島にフェリーで移動。休憩のレクリエーションで小学校周りの草取り」

 

ーー草取りで少し休める

 

堀之内「それもボールを使わない。本土に帰ると、港のすぐ近くに陸上競技場があるんですよ。そこで久しぶりにボールを使って紅白戦。みんな嬉しいんだけど、めちゃくちゃ下手になってます(笑)」

淺原「足が重いですからね(笑)」

堀之内「今も生徒の噂になりますよ。『負けたら合宿ですか?』。今は160人だから合宿は難しい」

厳しい練習に耐え抜いた徳山さんは3年で副主将となり背番号1を背負った

ーー合宿以外の思い出は

 

徳山「僕は中学部活動出身で特待生でもない。でも3年生で副主将にしてもらいました。キーパーとしては実力が足りなかったですが、最後の選手権で背番号1をいただきました。先生も熱い人が好きで、最後まで頑張ったところを評価してくれる。今の自分があるのは高校3年間があったからだと、非常に感謝しています」

変わったこと変わらないこと

ーーその後の時代は

 

堀之内「やはり県外からや、岡山で一番になりたいと来てくれる人が増えました。いい選手も集まって来た」

淺原「選手の質もありますが、僕はマインドが圧倒的に違うと思います。僕らの頃って何だかんだ『作陽と玉野光南には負ける』という感覚があって、恐らく選手権初出場の2016年以前は少なからずあったと思うんですよ。2016年頃から『作陽と玉野光南には当たり前に勝たないといけない』みたいなマインドを選手が平気で持っている」

 

ーー意識が変わった

 

徳山「僕は逆に変わってないと感じたことがあります。選手権で優勝した時に試合を見ていましたが、ピッチに入る前の挨拶とか、ユニフォームを絶対に中に入れるとか、試合中のマナーや礼儀、その辺の指導が全く変わってないですよね。グラウンドに最初に入る挨拶が当時と全く一緒で、そういう伝統が残っているのがすごく嬉しかったです」

堀之内「難しいのが、最近のユニフォームはシャツを出すデザインなんですよ。日本一になったときのデザインは、シャツを出す用のやつだったので迷って」

徳山「そうだったんですか」

堀之内「高原先生が『出せばええやん』吉谷先生は『いやちょっとそれは違う』みたいなやりとりもありました」

 

ーー異論はありつつ伝統を守った

 

堀之内「はい。そこはブレずに」

指導者として15年目になる堀之内さん。地獄の合宿は指導者もきつかったそうだ

「細胞レベル」の名コンビ

ーー堀之内さんから見てほかの高校にないすごさは

 

堀之内「全国的にもあまりないと思うのは、高原監督と吉谷部長の関係性ですね。同級生だし大学も一緒。たぶん小学校の頃からお互いを知っている二人が、同じところで指導者をやっている関係性は珍しいかと」

 

ーー具体的には例えば?

 

堀之内「例えばサッカーの考えの食い違いがあると、とりあえずどっちも引かないですね。ただ、最終的に吉谷部長の方が『監督のお前が言うならそれで』みたいなところはあります。サッカー以外でもやり取りは激しいです」

徳山「でもめちゃくちゃ仲いいですよね」

淺原「それは間違いないね」

堀之内「たぶん血とか調べたらほとんど一緒だと思う(笑)細胞レベルで分かり合えてると思う。我々からみても、羨ましいですね」

 

淺原「試合前に高原監督が精神的なことをガッと言って、そこにかぶさって吉谷先生が違う角度から言う。2022年からは高原監督の恩師の平先生が、3人目でグッといく。試合前にメンタルを上げる指導者が3人いるというのは、ほかの高校にないと思います」

徳山「選手は今の環境で指導が受けられること幸せですよね、本当に」

淺原「堀之内先生ももちろんですし、ほかの若いスタッフ3人も全員熱いメンバーなので、どのカテゴリーも熱量はあまり変わらないと思います」

 

徳山「僕は高校卒業後にあまり関わりがなかったんですが、高原先生から突然電話がきて『お前後援会会長してくれ』と。そういう巻き込むパワーや情熱にみんなやられるんですよね。熱いものがないと、やはり人はついてこないので。それで選手もどんどんレベルアップしてるんだと思います」

伝統の「走り負けない」力

淺原「僕がすごく気になるのは、ほかの高校の先生は学芸館のサッカーにどういう印象を持っているのか。学芸館のサッカーしか知らないので(笑)」

堀之内「一番はたぶん『よく走れる』。それと同時に、やっぱり最近は『当たり負けしない』。うちのグラウンドで試合して、他のカテゴリーが筋トレしていたら、どんな筋トレしてるんですか、って動画を撮って帰る人もいる」

淺原「やっぱりこの3年くらいでそういう印象に変わってきている感じですよね」

 

ーー2022年から長瀬トレーナーがフィジカル指導をしている

 

堀之内「重いものを動かすような体作りではなくて、常に動ける体を作るフィジカルトレーニングが中心になっていますね」

 

徳山「でも淺原さん、僕らのときもあまり『走り負ける』ことはなくなかったですか。技術的なところは負けても」

淺原「それはなかったかも」

徳山「今は最新の知識や技術がありますが、僕や淺原さんのときは、陸上部より走るサッカー部」

 

ーー死ぬほど走って死ぬほど食べた成果が

 

淺原「確かにそう。めっちゃ走ったし勝てるところもそこ。やっぱりフィジカルだね」

堀之内「ある意味そこも変わらん部分やな」

指導者もOBも熱い。左から徳山さん、堀之内さん、淺原さん

OBも「人生が変わった」全国優勝

淺原「たぶん徳山さんもそうだと思いますが、全国優勝してから『学芸館出身』ということが、もう全然変わりました。全国優勝したということが、その選手たちだけでなく、OBはもちろんそれまで携わってきた方々全員の人生を変えてくれたと思っています」

徳山「本当に大共感です!誇りプラス、僕らのやってきた時代が報われたというか」

淺原「それはすごく思うよね」

徳山「当時、トレーニングも指導も厳しすぎて何度挫折したか(笑)

僕らがやってきたことがつながっていたってことが、一番嬉しいですね」

 

高原監督と吉谷部長の熱い力を中心に、岡山学芸館サッカー部は歴史を積み重ねてきた。その伝統を次の世代に伝えていくOBや指導者たちの気持ちも熱い。関わるすべての人の人生を変える勝利をこれからも目指していく。

 

 

(取材・文/井上尚子)