今年も多くのプロ野球選手たちがユニホームを脱いだ。移籍先など次の進路が決まった選手がいる一方で、未定の選手もいる。それぞれの新しい人生に挑戦する男たちの思いを伝える「第2の人生へプレーボール」。ヤクルトからは、2度の戦力外通告を受けてなお…

 今年も多くのプロ野球選手たちがユニホームを脱いだ。移籍先など次の進路が決まった選手がいる一方で、未定の選手もいる。それぞれの新しい人生に挑戦する男たちの思いを伝える「第2の人生へプレーボール」。ヤクルトからは、2度の戦力外通告を受けてなお野球への情熱を燃やす尾仲祐哉投手(29)が、新天地となる社会人野球にかける思いや阪神時代に培った原点に迫る。

  ◇  ◇

 悩み抜いた末にこじ開けたのは、現役続行という扉だった。トライアウトを受けるか、受けないか。ヤクルトの裏方スタッフも打診され、時間ギリギリまで続いた葛藤がある。尾仲が選んだのは新チームで目指す「一」からのスタートだった。

 「現役がよかった。野球が続けたかった」

 その原点は阪神時代にある。18年に国内FA権を行使してDeNA入りした大和の人的補償で移籍。大山や近本、木浪ら…仲は良いが「癖の強い」同学年選手らとしのぎを削る日々を過ごした。携帯電話に残る一つのメモがある。19年7月10日、15時50分。鳴尾浜のブルペンで投球練習をしていると、福留が打席に立ちに来た。打者目線でもらった助言。即座にメモ帳に打ち込み、記憶と記録に刻み込む。のちに何度も見返すものになり、悩み、迷った時に立ち返る“場所”になった。

 そんな尾仲に転機が訪れたのが22年だ。当時の安藤2軍投手コーチから助言をもらい、シュートと出会った。思うように習得は進まないが、野村2軍バッテリーコーチからも「曲げなくていい。勝手に曲がるから、真っすぐを投げろ」と助言を受けた。スライダーを生かす新球種を手にした瞬間。だが、現実は厳しい。同年に阪神を戦力外。23年から2年間ヤクルトで踏ん張ったが、再び戦力外通告を受けた。

 「2回目なのでトライアウトは受けない。3回目って考えると…難しいですね」。直後は何も考えられなかった。それでも自主トレで師事するDeNA・山崎から「終わった時のことは終わってから考えられる。まだ続けた方がいい」と揺れ動く気持ちを、現役続行の方へ後押しされた。また決断に至った最大の決め手は、楽しさを見つけた野球そのものだった。

 「シュートを覚えてから、自分の武器であったスライダーを生かせるから駆け引きが楽しくなった。ピッチングの楽しさを知ってしまった。まだケガもしていないし、体も動くから、まだ野球がやりたいなと思った」

 来年2月からは社会人野球の「サムティ硬式野球部」でプレーする。兵庫県三木市を拠点とする新チームだ。「都市対抗に出たいですね。もう一度、大勢の前で投げたい。1年目のサムティが全国出たらすごいだろうし。対戦したいのは、もちろん(同学年で三菱重工Westに所属する)北條でしょ」。諦められなかった情熱がある。新天地で目指す新しい夢へ。尾仲自身がともした炎を、消すつもりはない。

 ◆尾仲 祐哉(おなか・ゆうや)1995年1月31日生まれ、29歳。福岡県出身。現役時代は右投げ左打ちの投手。高稜から広島経大を経て2016年度ドラフト6位でDeNA入団。17年5月9日・中日戦(岐阜)でプロ初登板(中継ぎ)。同年オフ、FAの人的補償で阪神入り。22年に戦力外通告を受け翌年、ヤクルトへ。プロ通算45試合、1勝3敗、防御率6.08。