9月のパリ・パラリンピック柔道女子48キロ級(全盲)で銀メダルを獲得した半谷静香選手(36)が24日、母校の筑波技術大学(茨城県つくば市)から、名誉卒業生の称号を贈られた。「あきらめなくて良かった」と、4度目の挑戦でつかんだ喜びを語った。…

 9月のパリ・パラリンピック柔道女子48キロ級(全盲)で銀メダルを獲得した半谷静香選手(36)が24日、母校の筑波技術大学(茨城県つくば市)から、名誉卒業生の称号を贈られた。「あきらめなくて良かった」と、4度目の挑戦でつかんだ喜びを語った。

 半谷選手は福島県いわき市出身。中1で柔道を始め、2007年に視覚・聴覚障害者が学ぶ筑波技術大への入学を機に視覚障害者柔道に転向。卒業後の12年ロンドン大会以来、4度目のパラリンピック出場で初めてメダルを獲得した。

 柔道を始めて23年になる。病気の進行で目が見えなくなり、右ひざの靱帯(じんたい)を切るけがにも直面した。石原保志学長から称号を授与された後、競技人生を振り返り「たくさんの方に支えられ、目標を達成できた。探求心と(良い)健康状態が続く限り競技を続けたい」とあいさつした。

 授与式の後、半谷選手は教員や在校生に向けての講演で、目が見えず、動きをまねできない状態で技を体得するために必要な言語力について語った。

 「今の動きは良かった」とコーチに評価されても後で動画を見て振りかえることはできない。体の部位や姿勢に注意を払い、うまくいった時の感覚を再現し、コーチと自分の認識にずれがないか確認する。「コーチと私との間で共通言語をつくることが大切。見て学べないのなら、言葉を使って同じものを目指すしかない」

 試合前の緊張や不安に向き合うため、ジェットコースターに乗り、その時の感情を整理した経験も明かした。「解決する糸口が見つからない時は、できることをやるしかない。今できることを全力でやるからこそ、次の課題が見えてくる」。困難に直面してもひるまず、技を磨いてきた自負がのぞいた。(鹿野幹男)