テニスで“柳川高校”と聞けば、言わずと知れた名門。対戦相手の所属が柳川というだけで委縮してしまうほどだ。全国大会の優勝は数知れず、福井烈氏をはじめ土橋登志久氏、松岡修造氏といった日本テニス界の一時代…
テニスで“柳川高校”と聞けば、言わずと知れた名門。対戦相手の所属が柳川というだけで委縮してしまうほどだ。全国大会の優勝は数知れず、福井烈氏をはじめ土橋登志久氏、松岡修造氏といった日本テニス界の一時代を築いた選手を輩出してきた。その知名度とは裏腹に、2010年代には少子化に伴って学校自体の生徒数が減少。定員割れするほどで、生徒数700人台まで落ち込んだ。
しかし、10年も経たずに今では生徒数1200人超。そこには、いまや学校の象徴でもある“絶校長先生”こと古賀賢校長・理事長の奮闘があった。どのような取り組みがあったのか。また、1983年の全国中学生男子シングルス優勝者でもある古賀氏。テニスとの関係も深く、柳川高校は史上初となる高校生の運営によるITF大会が開催され、古賀校長は全国高校選抜大会の会長を務めている。テニスへの思いも聞いた。
――テニス界における過去の柳川高校の立ち位置としては「常勝」負けが許されないようなイメージがありましたが、古賀校長が推進する「学校現場の改革」でホームページを拝見すると、個々の生徒が輝いている印象を受けます。
「高校では校風、企業で言いますとその時、その時に作り上げてきた企業風土や文化があります。しかし、今の時代において柳川高校のイメージというのはどういうものだろう?と俯瞰して見た時に変わらなくてはならない!と強く感じました。本当に必要とされる人材と学校教育の現場がもつ感覚とのズレを私は感じそこに着手し、柳川高校のイメージが大きく変わりました。親御さんからよく言っていただくのは『柳川高校に行かないと勿体なく感じる。いろんなことを(生徒に)経験させてもらえるから』というありがたいお言葉です。結果としてオープンキャンパスで今年は2700人(昨年は1000人)ほどの学生に来ていただきました」
「人を育てるということ、育て方というのは今回の取材の中でメインにお話をしたいと思っていて、“学校の姿”と“人の育て方”というのは大きく変わっていかなければならないと感じています」
――古賀校長の著書「学校を楽しくすれば日本が変わる」(祥伝社)で改革を進めるにあたってお父様(通生氏/故人前柳川高校校長)の教育方針やイギリス留学による経験など、その発想や原動力はどういったところから来ているのでしょうか?
「イギリスにウィンブルドン観戦へ行き、そのまま私だけ置いて行かれる(何も聞かされないまま留学することになる)こともありましたが、最後に父が私に放った言葉は『イギリスには日本の未来がある』と。だから『その未来をいっぱい見てこい!』と言われました。まだ学生で、16歳ですから何が何だか分からないまま生活をしていました。ですが、日本に帰って来てみると日本の教育、そして社会全体の大きな違いを感じました」
「ダイバーシティー(多様性)という言葉がありますが、イギリスではジェンダー(社会的、文化的性差)のことも30年前からあり、帰国し日本で働くようになってテレビ番組などで女性に対する男性の言葉遣いなど違和感を感じていました。『学校をダイバーシティーにしていく』というのは、30年前に経験していたことを今やっている感じです」
――イギリス留学が現在の柳川高校の改革の礎を作っているのですね。これまでの日本の先生、コーチは自身の想像を超えない生徒や選手の指導に関して「だからダメなんだ」という否定から入るケースが多くあったように思います。
「私は、日本の教育全体がマイナスから入っているように感じています。良いところを伸ばすというより、ダメなところを見つけて否定する指導法は教育現場においても子供たちを型にはめてしまう。それは日本の歴史を踏まえて考えるとすれば成長してきた要因の一つではないかと思いますが、世界と闘える人材を育てるというふうになってくると日本の教育が出遅れているところがあると感じています。もっと個性豊かで発想がクリエイテイブな子を育てるという時代に入ってきていて、先ほどの『型にはめたマイナスストロークから入っていく教育』を私が学校で変えようとしているところでもあります」
――柳川高校の先生やスタッフ、関係者の皆さんが全員海外留学を経験しているわけではない中で、古賀校長はどのようにリーダーシップを発揮されたのでしょうか。
「自分の考えを押しつけるというのは一番嫌な行為だと思っています。まず私は『全校朝礼』を使いました。全校朝礼は、生徒や先生が揃う場で、毎週1回やっていました。そこで自分が思い描く夢を語ったり、自分を前面に出す。そうすることによって、私がどんな夢を持っているのか、私がどんな人なのか、というのを子供たちに語ると同時に、先生にも私の意図を理解してもらえるように努めました」
「先生たちを職員室に集めて『こんな学校を作りたい』『こんな風にしたい』と言うと難しい捉え方をするように感じたからです。『世界との違い』や『これからの日本や世界のこと』、いろんな話を子供たちにしていく中で、ちょっとずつ理解を深めていって今の柳川高校になってきたのではないかと思います」
――学校改革には大きなエネルギーが必要だと思います。ホームページを拝見すると生徒には選択肢があり大学のようです。アイディアは何処からくるのでしょうか。
「発想は、みなさんが『こんなの無理だろう』『こんなのできない!』と思うところにしかチャンスはない!と全校朝礼で伝えてきましたし、私がやり続けてきたことです。柳川高校の隣には創立200年を越える進学校があり、そこをどうやって越えるかというのを進学コースを作った時に考えました。現在、『グローバル学園構想』(全生徒の三分の一を世界から集める)、『スマート学園構想』(メタバースの学校構築中)、そして『宇宙教育』(宇宙修学旅行を目指していく)という柳川高校にしかない教育で勝負しています。勉強のその先にある『プラスアルファの創造性が必要だ』という時代にフックがかかり、マッチングしていったのではないかと思います」
「親御さんたちも『今までと同じ教育を受けていていいのだろうか?』と思っていたところに柳川高校の教育がマッチし子どもたちからも『この学校に通いたい!』となったのではないかと思います」
――柳川高校にいる生徒の家庭環境もさまざまですし、その中で学校が掲げている3つの目標に向かうことは容易ではないと思います。著書にもあるようにそれは古賀校長が夢を語るところから先導してきたところをお話しいただけますでしょうか。
「校長が『夢を語る』ことが大事だと思ったきっかけは、イギリス留学時代にサンデーチャーチ(日曜礼拝)に行っていた時の経験にあります。牧師さんがいろんな話をする中で、世の中のことや愛のこと、家族のことなどを話す姿が印象的で今でも覚えています。子供たち(柳川高校の生徒)に私が何を伝えたいかと言えば、大人が一生懸命に夢を語る姿と大人が夢を追いかけている姿です。私たちが掲げる『宇宙修学旅行』というのは本気でやっているわけで、『夢を語って実現できるんだ!』という姿を見せ、子供たちも実現に向けて動いている実感があると思います。先生たちも生徒と同じように影響を受けていて、『夢を語ることが恥ずかしい』とは感じなくなっていると思います。トップがそういう背中を見せることで、現在の校風へと変化して行ったように思います」
古賀校長のジュニア時代の写真
――古賀校長はジュニア時代に将来を嘱望された選手の1人だったように思います。日本のジュニア選手をグランドスラムに引率したりする中でどのような視点で選手を見ているのでしょうか。
「日本には素晴らしいコーチの方々がたくさんいらっしゃいます。私自身は技術の指導者ではないので、教育的な視点から見ています。現在の日本のジュニア、部活の選手の実力は十分世界に通用すると思っています。日本的な言い方をすれば心技体のうち、身体とスキルの部分では戦えると感じています。ですが、心の部分、『マインドと経験の差』は世界との大きな差を感じますね。私は教育的な立場でしかお話ができないのですが、学校教育や家庭教育、コーチングの環境でどれだけ世界を身近に感じさせるか、というところが大切なのではないかと思っています」
「みなさんも記憶にある言葉で野球の大谷翔平選手がWBC決勝戦前に『憧れるのをやめましょう』と言ったあの一言が日本の教育を象徴していると思っていて、日本人選手が世界で戦っていく上で乗り越えなければいけないマインドだという風に感じています。彼が日本とアメリカに住んで勝つために必要な一言だと気づいたのではないでしょうか。テニスは個人競技であり、コートに入れば一人でいろんなことを決断しなければならず、そういった面で見ると日本人にはまだまだ弱い部分もあるのではないかと思うこともあります」
――古賀校長ご自身がイギリス留学当時にチャレンジャーなどツアーを回っていた頃に比べ、技術面やマインドなど当時と現在の違いのようなものを感じることはありますか。
「私が当時イギリスに住んでいながらも、世界の舞台というのは存在が遠かったですね。テニスの試合をする前にマインドで負けていた感じがありました。ヨーロッパのサテライトを回っていてもどこか心が萎縮してしまい、近づくことができなかった。しかし、30年経った今、ジュニアを含めた選手のみなさんにとって世界との距離感が縮まってきていることは確かだと思います」
――それでもパット・キャッシュ(1987年ウインブルドン優勝)とも打ったことがあるとか。
「オーストラリアの選手と練習をしている時に来られて偶然、彼が現役で一番強い時に練習してもらうことができました。15分か30分ぐらいの練習時間でしたが、私が一番上手になった瞬間だったかもしれません。彼に『もう一度練習して欲しい』と言われたいじゃないですか。当時のアジアはテニスの後進国であったし、私自身、練習相手を見つけるのに大変でした。そういう中でパット・キャッシュと練習できた時には、『下手に思われたくない』『上手く打とうとする』などいろんな意味で一番人間の醸し出すものを自分の中に感じました」
――潜在的なものが引き上がっていく感覚があり、本物と対面する機会の緊張感も伝わってきました。さて、昔から親交もある松岡修造さんについて、情熱や熱意を前面に出して行く姿勢に共通しているところを感じます。
「一番尊敬する人と聞かれたら絶対に“松岡修造”と答えています。親友でもありますが、誰に聞かれてもそう答えています。まだ彼が選手としてサテライトでヨーロッパを回っていた頃のことです。イギリスの私のところに泊まっていたことが何度もあり、まだお金も稼げていない時に私の部屋から試合会場に向かっていました。その時の彼のテニスに対する姿勢は素晴らしいものがあった。食べ物や身体に関することなども含めた選手時代のことも尊敬していますし、今は日本にあれだけ元気を与えてくれる人っていないのではないでしょうか。日本を熱くしてくれる彼の存在というものが、私の身近に居てくれるということが私の人生と柳川高校を変えてくれたと思っています。修造くんが日本をこんなに明るくしてくれているみたいに、私は日本の教育界を明るくしたいと思っているんだ、という話をしたことがあります」
2023年柳川高校にて対談時の写真
――「国際男子オープンテニス2024年柳川」やクラウドファンディングでスタッフ65名の「国際テニス大会オリジナルユニフォームを作りたい!」プロジェクトなどでは高校生が自立し、実現を目指しました。
「実は高校でITFの大会をやるのは世界で初めてだ、というお話をITFからいただいたんです。柳川高校のスピリットとしては、いろんなことをやるのに『世界初』か『日本初』しかやらないと私は先生たちに言っています。そうすることで生徒も先生も自分たちで考えてクリエイティブになるからです。これが今の日本の教育にとっては大切だと思ってITFの大会をやると決めました。また、柳川高校はテニス界の大勢のみなさまからご支援をいただいて、今があります。その中で何か貢献ができないものだろうか、と常々思っていました。日本の選手が世界に出る足がかりとして、M15の大会が日本になかなかないんだといいます。これからプロを目指していく上で、ポイント獲得の大切さというのを知っておく必要がある。正直、高校が主催するので(ITFの)ジュニア大会を、というお話もあったのですが、プロを目指す最初の段階の大会を誘致しよう!ということで『テニス界への貢献』を目的としてプロの大会を開催しました」
――ITF大会を高校生が運営するという画期的な大会であり、高校にプロが来て生で選手のプレーや立ち振る舞いを見て体感できる。素晴らしい『教育』だと思います。
「せっかく高校が主催するのであれば、大人が運営するのではなく生徒たちでやる、トーナメントディレクターも高校生が担当する、ここもテニスという枠にとらわれず、”個”を育てる、クリエイティブであるといったような教育目的に沿って進めたプロジェクトです」
――古賀校長は「テニス人」でありながら「絶校長」としてその活動が多岐に及んでいますが、トラブルもあるかと想像します。その際、どういう視点で対応されているのでしょうか。
「私は『トラブル最高!』と。これは常に言っています。自分自身の経験でもそうですが、何もないより、何か起こった時の方が解決する力が育つと思います。もちろん(トラブルは)嫌ですよ。嫌ですけどね。学校生活の中で当然いろんなトラブルというのはあるのですが、そのケースはさまざま。ミスもあれば、ボタンの掛け違えのようなものから、良かれと思ったことが違うなど。その度にいつも新鮮に、そこに120%の想いを込めて取り組んでいます。小手先でやってしまうと問題解決には至らないですから」
――生徒や先生たちを巻き込んでステージを引き上げる力があるように思います。その源はどこからやってくるのでしょうか。
「私としては意識してやっているところではあります。(イギリス留学から)帰国した当時はパワーダウンをしていました。それは何故かというと、柳川高校は重たい感じのする昭和の時代の雰囲気があり、先生が生徒を押さえつけている感が強かった。『こんな教育で人って育つのかな?』と柳川高校を辞めてしまいたいと思っていたんです。教育問題で悩んでいる中、ペレストロイカとかグラスノスチなど、国を変えてしまうというのはどういうことなんだろう?と、ミハイル・ゴルバチョフ(ロシアの政治家)さんに会いたかったんです。そんな時、ゴルバチョフさんが『ノーベル平和賞』を受賞し訪日することになり、関係者の方のご配慮でお会いできることになりました」
「(実際に会ってみると)私の悩みなんてちっぽけなものでしたね。27歳の私が質問を用意していたのですが、あまりのオーラで握手した瞬間にすっ飛んでしまいました。質問は『ペレストロイカすごいですね』しか言えず、『そうですね』と言われたあとに『ペレストロイカというのは絶対にソビエト連邦の未来にとって必要なんだ。10年間はガタつくかもしれないけれど必要なんだ』と。握手した瞬間に体中に電流が流れるようにメチャメチャ元気を貰いました!あの時のことが忘れられなくて、『元気が無い人に元気を与えよう!』と思った瞬間で、転換期となった出来事です。握手をして『これで人って元気になれるんだ!』と思い、人と会った時は絶対握手をするようにしています」
「人って元気の無い時ってありますよね。生徒もインスタでDMを送ってきます。『校長先生、空いてる?』とかメッセージが来るんですね。そして生徒と会ったときには、私は絶対に握手をします。人は人から与えられたもので変わることができる!という風に思っているんです。たまに松岡(修造)くんとお食事をする機会があると彼のエネルギーを感じることができます。そして私がまた元気になる。人と会って充電するって、こういうことだなって。私はゴルバチョフさんからいただいたもの。そして松岡くんからいただいたものを人にどんどん与えていっていると思っています」
ゴルバチョフ氏(写真左)と古賀氏
――古賀校長は教育現場の視点からテニスを俯瞰してみている感じを受けました。
「『テニスx教育』という感じですね。世界に通じる選手を育成するというより、『教育のもたらすマインドへの大きさ』だと思っています。そのマインドセットを変えていくことが特に個人競技においては大切で、今回の全米オープンジュニアを見ても海外の選手との差はマインドだと感じています」
――話が少し前に戻りますが、『心技体』の『心』の部分の強化に関して、現場で教えているコーチの皆さんには今、一番何が必要だと思いますか?
「人は、自分が育てられた経験則に基づいて人を育てるものだと思います。ひと昔前は『練習中は水を飲むな!』と言われたり、『殴って殴られて人は育つ』と言われ、みんな苦しい練習に耐えて耐えて、心を鍛えると信じていました。日本は独特の魔法にかかっていたんです。でも最近は子供たちがジュニア時代から海外を経験することが増えてきて、だんだんと世界が視野に入ってきました。指導する大人たちのマインドチェンジが必要な時代になってきてるんです」
――『個』を育てる、という視点から子供たちに一言声をかけるとすれば、古賀校長からどんな言葉がありますか。
「あえて子供たちに行動力を身につけさせるために全校朝礼で話をしている際に、「この続きを聞きたければ校長室においで」と言っています。そこで行動力が試されます、実際に校長室に来た子供たちには『ここに来た時点で皆んなは大きな成功のチャンスを握った』と私は思っていると伝えてからその続きの話はしていくんです。そういう方法を取って育てていこうというところはあります」
「子供たちの前に立っていろいろやっていくことに関して言えば、『ストーリー』は大切だと思っています。今度、校長先生が目の前に立ったらどんな話をしてくれるんだろう?って。ニューヨークから柳川高校の2学期の始業式をやったりしていて、今年はエンパイアステートビルで前年はタイムズスクエアでした。今年は松岡くんと始業式を一緒にやったんですよ。子供たちの前に立つ時はワクワク感のあるストーリーを考えています」
――演出も教育の一環だと考えているのですね。
「この時間にお話をさせていただいている中で、柳川高校はいっぱいいろんな事をやっているというのはお伝えできたと思います。ウチの学校の子供たちは目がキラキラしています!これは自信を持って言えます。私が一番大切に思っていることは子供たちがキラキラ輝く環境を作ってあげることです」
「私が校長になって16年が経ちますが、(最初の)10年間は思いっきりやって気づいたことがあります。やっぱり全部私1人でやっているのはダメだと思ったんです。そこからの5年は現場の先生たちで決断することができる組織を作ろうという感じにシフトしてきました。おかげさまで学校全体の空気が変わり、入学者数も増えてきているのでありがたいことです」
――ではテニスに関してはいかがでしょうか。
「テニスのお話をさせていただくとすれば、私が全国高校選抜大会の会長を務めさせていただいています。日本テニス協会と高体連共催の競技大会で、魅力ある現場を作り上げていくと同時に、選抜で勝った選手が『全米オープンジュニア』でも優勝するんだという強い意志を持って取り組んでいきたいと思っています。このサクセスストーリーが大切で、ポジティブな事例を作って『高校テニスのマインド』を変えていきたいと思っています。これには大切なメッセージが込められていて、これまでの選抜は全米オープンジュニアのワイルドカードを渡して『出場することに意義がある』だけになっていたところがあります。でも、私は勝ちに行こうよ!って言っているんです。世界で勝つというサクセスストーリーがあることで、高校テニスのマインドが変わってくると思います」
――これだけ柳川高校が変わってくると見学、講演、取材などの依頼も多いと思います。
「本を出版していただいただけでもありがたいお話でしたが、おかげさまで売上もよく学校まで問い合わせのお電話をいただいています。『講演に来てほしい』『会いに行ってパワーを貰いたい』とか。学校単位のものであれば対応できていましたが、今の時代は直接個人としてメッセージが来るのがあまりにも多くなってしまい、現在は順次対応させていただいている状況です」
――うれしい反応ですね。変化を起こし、個が輝いていくことで教育が変わり、日本の子供たちが変わっていく予感があります。
「重なるようですが、サクセスストーリーというのがキーワードで『選抜から全米オープンジュニアのチャンピオンを出そう!』というのは大切なメッセージだと私は考えます。それがあれば『テニス界のマインド』『高校テニスのマインド』も変わると思っています。今の状況からすると、難しいことだと考えてしまうかもしれませんが、『夢は叶うと信じて、行動していかないと何も変わらない』のではないでしょうか。だから私は夢を語りつづけていこうと思っています」
――日本テニスのマインドの変化を楽しみに応援していきたいと思います。貴重なお話をありがとうございました。