山野力(九電工)インタビュー(前編)山野(右から2番目)は三冠を達成した2年前のチームのキャプテンを務めた。photo by Sponichi/AFLO どんなスポーツでもチームをまとめる上で欠かせないのが、キャプテンの存在だ。とりわけ大学…
山野力(九電工)インタビュー(前編)
山野(右から2番目)は三冠を達成した2年前のチームのキャプテンを務めた。photo by Sponichi/AFLO
どんなスポーツでもチームをまとめる上で欠かせないのが、キャプテンの存在だ。とりわけ大学陸上部は大人数が箱根駅伝を目指すため、チームをまとめ、牽引するキャプテンの仕事は多彩で、その責任は重い。監督とのコミュニケーション、チームの練習、人間関係、さらに自分自身の競技への集中と、いろいろなことにぶつかりながらキャプテンは、与えられた責務をどのように果たしていくのだろうか――。
【3年時は同学年の田澤廉がキャプテン】
駒澤大の山野力(現・九電工)がキャプテンになったのは、大学4年の時だった。
「3年の時、(同学年の)田澤(廉)(現・トヨタ自動車)がキャプテンをしていて、自分が副キャプテンだったんです。4年になると田澤は世界に向けて個人の活動に集中させていきたいというのを聞いていたので、自分がキャプテンになる覚悟はできていました」
山野が1年の時のキャプテンが原嶋渓(引退)、2年の時は神戸駿介(現・小森コーポレーション)、3年の時は同期の田澤だった。それぞれ個性は異なるが、チームのまとめ方、チーム運営のやり方など参考になることが非常に多かった。
「原嶋さんはチーム全員とコミュニケーションを取るようにしていて、すごく優しい方でした。神戸さんは仕事面で1年生に負担がかかりすぎていたので、『強くなるためには必要ないだろ』とそれをなくしてくれました」
3年の時には同期の田澤がキャプテンになった。チームを引っ張る存在になった田澤のキャプテンとしての姿を山野は、どう見ていたのだろうか。
「田澤はコミュニケーションを取ってチームを作っていくというよりは、練習や試合でキャプテンとしての背中を見せて引っ張っていってくれたので、そこはすごく田澤らしいなって思っていました。その分、自分がみんなとコミュニケーションを取って、調整していくことができたので、そこはうまく役割分担ができたんじゃないかなと思います」
ただ、一方で田澤の背中を追うことができず、チームから心が離れていく選手がいるのも感じた。
「競技に対しての姿勢を田澤が示してくれていたので、それにみんながついていこうという感じになっていたのですが、全員がそういう思考になれたかというと、難しかったです。怠けてしまう選手がいましたし、4年生の先輩でもチームをまとめるのに協力してくれる人もいれば、そうじゃない人もいました。ちゃんとやってくださる先輩に『もう少し、同級生にも言ってもらえませんか』とお願いしたのですが、なかなかうまくいかなかったです。やっぱり4年生がしっかりやらないと下はついてこないんですよ。そこが欠けていたので、駅伝でも結果が出なかったんです」
【三冠を狙ううえで重要視していたのは出雲】
そのシーズン、駒澤大は個の力があってもうまく駅伝につなげることができず、全日本大学駅伝は制したものの出雲駅伝は5位、箱根駅伝は3位に終わった。
「きつい1年でしたが、そういう経験をしたのもあって、自分がキャプテンになった時は、なるべく全員とコミュニケーションを取り、後輩に負担をかけすぎないようにしよう。自分ひとりでチームを作るのではなく、4年生全員で作っていこうと決めていました。自分ひとりで見られる範囲は限られていますし、3年の時、周囲の協力がいかに大事なのかを見て、わかっていたので」
山野はキャプテンに就任するとすぐに新4年生を集めてミーティングをした。
「まだバラバラな感じがあったので、まずは4年生が連携し、全員ですべきことを共有しようと決めました。そこで決まったことを下級生に伝えていくのですが、4年生から2年生に行くのではなく、4年生から3年生、3年生から2年生へと順次、上から下に伝えていくようにしました。そういう情報の伝達を含めて、1本の芯が通った組織作りを大事にしていました」
チーム全員にはこう伝えた。
「学年が上だからといって、言われたことにすべて従うのは違う。走れているから偉いというのも違う。その都度、自分で判断して行動してほしい」
そうは言われても下級生は、上級生に対してなかなか言いづらいし、逆に言われれば従わざるを得ないことが多い。それでも山野がそう言ったことで、直接、自分の考えを話しに来た選手もいた。各学年、同世代間での問題も当事者同士を呼び、山野と副キャプテンの円健介(引退)が間に入ってお互いの話を聞き、納得するまで話し合い、解消していった。
「時間も取られますし、人の話を聞くのは大変です。でも、そういうのをひとつひとつ解消していかないとチームとしてうまく回っていかないので、面倒くさがらずにやっていました。普段はキャプテンとして常にチームのことを考えて行動していましたし、練習の時は自分に集中するという感じで、うまく使い分けることができていたので、そんなにストレスはなかったんです」
山野キャプテンの下で駒澤大は三冠を達成するのだが、出雲、全日本、箱根の三大駅伝で、一番重要視していたのは出雲だった。
「出雲で勝てば、みんなモチベーションが上がるだろうし、勢いがついて活気づいてくると思うので、とにかく初戦が大事だと考えていました。幸い、故障者が誰もいなくて、万全の状態で臨めたので、順当にいけば間違いなく優勝できるだろうと思っていたので、それが実現できてかなり盛り上がりました」
【箱根直前に体調不良者が続出】
出雲を制し、寮に戻るとチーム内に勢いのような大きなうねりを感じた。
「出雲は、メンバー以外は寮の食堂でテレビ中継を見るんですけど、ケガで走れなかった篠原(倖太朗)(現・4年)が、自分たちが帰ってきた時に『みんな、すごくかっこよかったです。自分も出たい気持ちが高まりました』と言ってくれたんです。同じことを言う選手も多かったので、いい流れができたなと思いました」
全日本も制し、いよいよ残すは、箱根だけになった。だが、そこから田澤をはじめ、主力が体調を崩すなど、チームに危機が訪れた。
「箱根まで1カ月を切る段階で、主力が(体調不良で)バタバタと倒れたので、大八木監督(現・総監督)も元気がなかったですね。でも、奥さんに『あんたがしっかりしないでどうすんの』と言われて、いつもの監督に戻りました。さすが監督の奥さんだなあと思いましたね(笑)。チームとしては、結果的に4人ぐらいダメになって、田澤も本調子ではなかったですし、円はようやく戻ってきたばかりで正直、箱根はあとひとりでも欠けていたらヤバかったと思います」
駒澤大は箱根を制し、史上5校目の三冠達成を実現した。
山野は駒澤大卒業後、九電工に入社し、競技を継続している。2年目となる今年はキャプテンになり、チームを率いる立場になった。大学と実業団でのキャプテンの存在、役割にどんな違いがあるのだろうか。
「キャプテンの存在は大学と実業団では、かなり違いますね。実業団は陸上が職業なので、選手個々のモチベーションが下がることはないですし、適当にやっている選手はひとりもいないので、自分からあれこれ言うことはほとんどないです。大学よりも年齢の幅がありますが、九電工は優しい先輩ばかりですし、風通しもいいんですよ。現実的にはキャプテンという仕事も大学ほどなくて、日々の練習でしっかりと先頭に立って、3年の時の田澤がやっていたように練習や試合で見せていくという感じです。そういう意味では大学の方がキャプテンとしては大変でしたね(笑)」
「三冠」達成時の主将・山野力が見る今季の駒澤大 「今、篠原(倖太朗)は苦しいかもしれないけど...」
■Profile
山野力/やまのちから
2000年5月22日生まれ、山口県出身。宇部鴻城高校時代は全国大会への出場経験なし。駒澤大学に進学後、大きく力を伸ばす。箱根駅伝では2年時に9区6位(総合優勝)、3年時に9区4位、主将を務めた4年時には9区3位(総合優勝)と、二度の総合優勝に貢献した。現在は九電工所属。