フィギュアスケートで26年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪の枠取りがかかる世界選手権(25年3月、米ボストン)の代表が23日、門真市内で記者会見を行った。今季のグランプリ(GP)ファイナル銅メダルの佐藤駿(エームサービス・明大)は、自身…
フィギュアスケートで26年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪の枠取りがかかる世界選手権(25年3月、米ボストン)の代表が23日、門真市内で記者会見を行った。今季のグランプリ(GP)ファイナル銅メダルの佐藤駿(エームサービス・明大)は、自身の体調について「僕は大丈夫」と無事を強調した。
初の表彰台がかかった全日本選手権。SP6位で迎えた男子フリーでは冒頭の大技・4回転ルッツで転倒すると、その後のジャンプでもミスが相次ぎ、まさかの7位となっていた。演技後には過呼吸になり医務室に運ばれており、取材に応じられなかった。
過呼吸になった時のことは「あまり覚えてない」というが「最初のインタビューを受けて、そこまでは大丈夫だったけど更衣室付近で悔しさだったりとか、フリー前とか恐怖心を抱いてしまっていて、それから解放されたりした安心感とかいろんな感情から倒れ込んでしまった。いろんなスタッフさん、ドクター、コーチの方に介護されていた。本当にありがとうございましたと伝えたい。自分の中ではすぐだったんですけど、帰り際で2時間ぐらい時間がたっていた」と説明した。
フリーの演技については「楽しく終わりたいと思っていたけど、演技に出せなくて悔しい、高難度ジャンプがはまっていなかったのも、ここぞというところで決めきる力不足。改めて痛感した。自信もついてるつもりだったけどつけきれていなかった。(大技4回転ルッツは)ショートの失敗で動揺してフリーまで引きずった」と振り返った。
世界選手権の選考要項を多く満たしていたことで、3枠中の2枠目として選考された。代表発表時は「ホテルで1人でいた」といい、「緊張してしまって、携帯を見ては閉じてを繰り返して、ずっと更新して待機していた。結果がでてからすごくうれしい気持ちで、ファンのみなさんに心配をおかけしたけど僕は大丈夫なのでまた世界選手権でいい演技ができるように頑張りたい」と前向きに話した。
世界選手権では26年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪の枠取りがかかるだけに「逆にこの経験をしたからこそ、同じ失敗をしてはいけないと思う。全日本選手権は自分の問題だけど、世界選手権は枠だったり、日本男子の未来もかかってくる。プレシャーの中でも良い結果をだしたいをしたい」と、力を込めた。