第101回箱根駅伝(来年1月2、3日)で総合5位以内を目指す中央学院大の吉田礼志(4年)が、花の2区での区間賞獲得を力強く宣言した。今年の箱根駅伝後に負傷で3か月間離脱するも、自身の課題克服につなげて箱根予選会では日本人トップの個人10位…

 第101回箱根駅伝(来年1月2、3日)で総合5位以内を目指す中央学院大の吉田礼志(4年)が、花の2区での区間賞獲得を力強く宣言した。今年の箱根駅伝後に負傷で3か月間離脱するも、自身の課題克服につなげて箱根予選会では日本人トップの個人10位となった。主将として走りだけでなく、競技に取り組む姿勢でも1年間、強気に引っ張った22歳。最後の箱根路でも、6年ぶりのシード奪還へ先頭に立つ。

 吉田は眼光鋭く、最後の大舞台への思いを口にした。「チームとしては箱根駅伝5位。個人としては2区での区間賞を目標にずっと1年間やってきた」。09年以来16年ぶりの総合5位以内と各校のエースが集う「花の2区」での区間賞。高いハードルをも乗り越える自信が主将からあふれ出た。

 前回の箱根駅伝後は出遅れた。左の腸頸靱帯(ちょうけいじんたい)を負傷し、約3か月間の離脱を経験。その間、ゴムチューブなどを使った地道な練習で臀(でん)筋と腸腰筋を強化。さらに、他の部員とともに山でのメニューに臨むなど、徹底的に下肢をいじめ抜いた。課題だった上り坂での走りが向上。この自信を糧に吉田は、箱根駅伝予選会では日本人全体トップで走破した。

 走り以外の部分でも今年は引っ張り続けた。「強気」というチームのスローガンの下、主将として1年を通して目標を高く設定。自らへの厳しさ同様、周囲にも厳しく叱責(しっせき)し、時には反発も起きた。全ては強くなるためにチームを思ってのこと。その姿を背中で見せるため、練習では誰よりも距離を多く積んだ。

 すると次第に他の選手たちも付いてくるようになった。4年生を中心に「去年より自主的に走る子が多くなった」と川崎監督。練習で誰よりも自身を追い込む吉田に引っ張られ、チームの意識は例年以上に高くなった。副主将の近田陽路(こんだ・ひろ、3年)も「礼志さんが主将で良かった」と感謝する。

 初めて2区を走った1年時は18位、前回も14位と起伏の激しい区間で悔しい思いをしてきた。卒業後は実業団のホンダで競技を続ける。「2区で最低でも、1時間6分半では走りたい。将来は五輪のマラソンで活躍したい」。“三度目の正直”で歴史に残る快走を見せ、チームの士気を高める。(浅岡 諒祐)

 ◆中央学院大 1966年創部。箱根駅伝には94年に初出場。最高成績は2008年の3位。出雲駅伝は16年の4位が最高。全日本大学駅伝は08、16年の5位が最高。練習拠点は千葉・我孫子市。駅伝部は選手50人、学生スタッフ5人。タスキの色は紫。主なOBは、97年日本選手権十種競技で優勝のタレントの武井壮、17年ロンドン世界陸上3000メートル障害代表の潰滝大記(つえたき・ひろのり、富士通)。