サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、17歳の天才ラミン・ヤマルの1得点4アシストの活躍もあってEUROで優勝したスペインが、苦しみか…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、17歳の天才ラミン・ヤマルの1得点4アシストの活躍もあってEUROで優勝したスペインが、苦しみから這い上がり、無敵艦隊へと名乗りを上げるキッカケとなった「奇跡の試合」。本当にあるんですね、そんなことが…。
■ついに「そのとき」が訪れた
この後、マルタの1点を決めたFWデジョルジョがスローインのときの遅延行為で2枚目のイエローカードを受け、退場、スペインはさらに猛攻をかける。後半33分、中盤に引いたゴルディーリョから左ウイングの位置に開いたマセーダ(!)にパスが通り、マセーダが左足できれいなクロスを入れると、サンティリャーナとリンコンが跳び込み、ボールはリンコンの頭からゴールに吸い込まれる。
そして、その2分後には、ボランチのサラビアが持ち上がって右に開いたカラスコに出し、カラスコが追い抜いていくセニョールに渡すと、セニョールが中央に送ったボールをサラビアが得意でない右足でシュート、ゴールを割った。11-1。ついに「あと1点」となった。残り時間は10分。誰もが「奇跡」が生まれようとしているのを疑わなかった。
そして4分後の後半39分、ついに、そのときが訪れる。右インサイドをビクトル・ムニョスが持ち上がり、内側にサポートしたセニョールとのワンツーで抜け出そうとしたが、相手に防がれる。しかし、マルタのDFがかろうじて触れたボールが転がったところに、セニョールが走り込んでいた。ペナルティーエリアの縁あたり、17メートルから左足を振り抜いたシュートは、マルタ・ゴールの左隅を突き破った。試合開始直後にPKを失敗したセニョールだったが、スペインにとって最も価値のあるゴールを決めたのだ。
■ラウドルップの「デンマーク」を撃破
12-1。これでスペインは勝ち点13でオランダと並び、得失点差も同じ+16ながら、総得点が24になってオランダの22を上回り、欧州選手権フランス1984へのチケットをもぎ取ったのだった。
翌年夏、フランスで開催された欧州選手権に出場したスペインは、ルーマニアとポルトガルにともに1-1で引き分けて迎えた第3戦、終了間際のマセーダの鮮やかなダイビングヘッドで西ドイツを1-0で破り、準決勝に進出。ミカエル・ラウドルップなどの成長で「デーニッシュ・ダイナマイト」と呼ばれて急速に力をつけてきたデンマークを1-1からPK戦5-4で勝利。決勝ではミシェル・プラティニのフランスに0-2で敗れたが、スペインにとって久々のメジャー大会での「ファイナル進出」に、国内は大きく沸いた。
■自他ともに認める「世界トップ国」へ
さらに1986年ワールドカップ・メキシコ大会では、新エース、エミリオ・ブトラゲーニョ(レアル・マドリード)の台頭もあってラウンド16でデンマークを5-1で撃破、ワールドカップでのベスト8は、1950年ブラジル大会のベスト4以来の好成績だった。
以後の15年間、育成に力を入れたスペインは徐々に世界のサッカーの中での存在感を増し、今世紀に入ってからはワールドカップ1回、欧州選手権3回の優勝を飾り、自他ともに世界のトップ国と認めるまでになった。
その大きなカギとなったのが、1983年12月21日、セビージャでの「奇跡の12得点」だった。メディアもファンも「不可能」と思っていた。そう思っていなかったのは、ミゲル・ムニョス監督と選手たち。この勝利こそ、スペイン・サッカーの現在の姿の原点だった。