過酷なパリ五輪のコースを走りきり6位入賞を果たした鈴木優花 photo by Nike夏のパリ五輪女子マラソンで6位入賞を果たした鈴木優花(第一生命)。大学時代から長距離ランナーとして力をつけ始め、フルマラソン2度目の出場でパリ五輪代表権を…
過酷なパリ五輪のコースを走りきり6位入賞を果たした鈴木優花
photo by Nike
夏のパリ五輪女子マラソンで6位入賞を果たした鈴木優花(第一生命)。大学時代から長距離ランナーとして力をつけ始め、フルマラソン2度目の出場でパリ五輪代表権を獲得し、オリンピック本番では力を出しきってみせた。
まだまだマラソンランナーとして成長途上の鈴木に、史上もっとも過酷なコースと言われたパリ五輪について、あらためて振り返ってもらった。
*本文はグループインタビューの内容も含めて、再構成したものです。
前編:パリ五輪女子マラソン6位・鈴木優花インタビュー
【タフなコースを走りきって】
――史上もっともタフなコースと言われたパリ五輪では2時間24分02秒の自己ベストで6位入賞を果たしました。あらためて振り返っていかがですか。
鈴木 とても楽しかったです。激しいコースではありましたが、あれだけのことに挑戦する機会もなかなかありませんし、そこに向かっていけたことが楽しいという気持ちになりました。
――全体的にアップダウンが激しく(高低差最大156m)、14km過ぎに最初の上り坂があり、極めつけは傾斜13度以上の上りが1km近く続く28kmすぎの上り坂があり、その直後も長い下り坂が続くようなコースでした。どのようなレースプランを立てていたのですか?
鈴木 最初の上り坂までの平坦なコースでは、有力選手はみな元気なので、おそらくペースの上げ下げが激しくなると予想して、(それに合わせないよう)自分のペースで押していくことを心がけていました。28kmからの坂に備えていきたい部分があったので、そこまでは前に出ず、自分のリズムを崩さないように走りました。その後の長めの下りから平坦なコースになったら、できる限り、細かく、でもゆっくり足を回して体力を温存して、最後は行けるところまで行くというプランでした。
――実際のレースでは20kmをすぎてから、先頭集団から少し離れされましたが、28kmすぎの上り坂のところで再び追いつきました。最もきついと言われていた、あの坂の印象は?
鈴木 壁だな、と(笑)。14km過ぎから始まる上り坂と比較にならないくらい、モノが違う。重力が違うと感じるくらいで、歩いたほうが速いんじゃないかと思うくらい進まなかったです。そこは一番、緊張した部分でもありました。
――そうした坂への対策は、どのように行なってきたのでしょうか。
鈴木 坂全般に対してですが、五輪レースを想定して、オリンピックまでの合宿や練習での距離走のなかに坂のコースを入れて、準備を進めてきました。走り方としては前傾している体に対して、足を前に出すというより、(上体に対して)真下に足がつくよう、反発をもらいながら走るように心がけていました。
――その後31km過ぎから急な下り坂もありましたが(30km通過は8番手)、その時はどのような思いで走っていましたか?
鈴木 メダルを獲りたい気持ちはありました。ただ、周りは経験豊富な選手ばかりで、最後にスピード勝負になったらきついと思っていましたが、とにかく最後までどうにかついていきたいなと思って走っていました。
――35km通過では6人の先頭集団の後方につき、その後しばらくすると5人と差が少し開き、前方にその集団を見ながらの単独走となりました。何を考えて、走っていましたか。
鈴木 体が動かなくなってしんどい部分もありましたが、ここまで集団に食らいついてきた、ここまでこれたんだから、最後は自分のリズムでやりきるぞとやる気に満ちていたと思います。
――レース終盤は、エッフェル塔を視界に入れて走っていたと思いますが、どこかで楽しむ気持ちもあったのですか。
鈴木 そうですね。もともとエッフェル塔はレースのなかでひとつのポイントとして考えていたので、見えてきた時には、あ、(ゴールまで)もうすぐだと思いました。でも実際には3〜4km残っていたので、やはり長くて、きつくて、もがいていました(笑)。ただ、その景色は力になっていたと思います。
――前方に集団が見えているだけに、なかなか差が縮まらないと思いながら走っていましたか?
鈴木 はい。実はその前に、集団から離される瞬間に、焦るなと自重していたのです。そこで(集団に)つくかつかないかで差が出たと感じました。もしそこでついていったら、もっと前でレースができたかなと、今思い返せば思ったりもしますが、自分はその瞬間、勝負の分かれ目を、経験不足もあって見極められなかったと思います。ただ、離されてはいましたけど、(メダル獲得を)最後まであきらめてはいませんでした。
――そういう時って、誰か落ちてこないかなと思ったりするものですか(笑)。
鈴木 ちょっとはよぎりました(笑)。ただ、周りは最後、スパート合戦で勝負に行くんだろうと思っていました。
【女王ハッサンから受けた刺激と学び】
レース後、女王ハッサン(右)とともに。鈴木にとって貴重な時間となった
photo by JMPA
――優勝したシファン・ハッサン選手(オランダ)とゴール後に会話を交わしていましたが、彼女についての印象は?
鈴木 ハッサン選手はトラックレースの5000m(予選・決勝3位)、10000m(決勝3位)でトータル3本走った上でオリンピックのマラソンに臨んでいたので、もともと持っている土台、力について底知れないものを感じました。3月の東京マラソンの時は、私は観客として見ていて、レース後に話す機会があり一緒に写真を撮ったのですが、パリ五輪のレース後にもまた一緒に撮ってもらいました。
――底知れぬ力とは、どういう部分ですか?
鈴木 メンタルの部分ですね。あのレベルまでいくとほかの選手たちも楽しみつつ、タイトルがかかったレースでは周りのことを気にせず結果に対して真っすぐなんですけど、ハッサン選手が一つ違うのは、オリンピックのような大舞台でも周りの選手とも親しくレース前に話しをしたり、レース後に健闘を称え合うスポーツマンシップを忘れないんです。どこかリラックスしている。もちろん、自分の限界に挑戦する姿勢は人一倍あると感じました。
――実際に一緒に走ってみて、ハッサン選手との距離感は?
鈴木 まだまだ天と地ほどの差があると思います。トラックで何回も(世界大会の)タイトルを取っていますし、私はマラソン一本で取り組んできて、ようやく世界で入賞というところまできましたが、ハッサン選手はトラックで培ってきたスピードとタフさ、力があって、マラソンでの金メダルにつながったのではないかと思います。そこは全然違います。
――ハッサン選手はじめ、今の世界のトップ選手はトラックでスピードを追求してからマラソンに移行する傾向が強いです。鈴木選手はマラソンをベースに戦っていますが、そういう選手たちと対等に戦うには、どういうアプローチを考えていますか。
鈴木 私の特性を考慮しつつ、トラックのベースは必要になってくると思います。トラックで追い込んで、秒(自己ベスト)を縮めていくタフさ、スピードのベースは必要だと感じています。そうすれば全体のペースに余裕が生まれるので、マラソンにつながっていくと思います。
――例えば田中希実選手(New Balance)、廣中璃梨佳選手(JP日本郵政グループ)とトラックで勝負することもイメージにありますか。
鈴木 そうですね。ハッサン選手もそうですが、もともと持っているスピードの力があるからこそマラソンをやりきれていると思うので、メダルを狙っていくなかでトラックのスピードをつけないと勝負はできないと思います。(離れていて)後ろから見たわけではないですが、ハッサン選手の(パリ五輪マラソンの)ラストスパートはトラックレースのものだと思うので、(映像などで)あれを見て、より感じました。
つづく
●Profile
すずき・ゆうか/1999年9月14日生まれ、秋田県出身。大曲高校入学後に陸上競技に本格的に取り組み、3年時にはインターハイ出場を果たす(3000m予選落ち)。大東文化大学入学後に長距離ランナーとして成長を遂げ、トラック、駅伝で活躍。大学卒業前の2022年3月に、初マラソンとなる名古屋ウイメンズマラソンで女子日本学生記録となる2時間25分02秒で5位。2度目のフルマラソンとなったパリ五輪代表選考会MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)で1位となり、オリンピック代表に内定。3度目のマラソンとなったパリ五輪では6位入賞を果たした。実業団では1991年東京世界陸上選手権2位、92年バルセロナ五輪4位のマラソン実績も持ち、指導者としても多くの日本代表を育て上げてきた山下佐知子コーチに師事している。